散日拾遺

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2月7日 ラロ『スペイン交響曲』初演(1875年)

2024-02-07 03:05:29 | 日記
2024年2月7日(水)

> 1875年2月7日、フランスの作曲家エドゥアール・ラロの作曲した「スペイン交響曲」が、大ヴァイオリニスト、サラサーテによって初演され、大成功を収めた。
 この曲は交響曲と題されてはいるが、実際にはヴァイオリン協奏曲で、ラロが交友のあったサラサーテのために書いた曲である。ヴァイオリン・ソロを中心とする楽曲であるにもかかわらず、交響曲と名づけられたのは、五楽章で構成され、オーケストラパートが躍動的に書かれていることなどが理由と言われている。初演の時、第三楽章の「間奏曲」は演奏されず、長らく第三楽章は演奏されないことが慣例となっていた。
 ラロはフランス生まれだが、一家は祖父の代まではスペインのバスク地方に住んでいた。リール、パリの音楽院で作曲とヴァイオリンを学び、二十代半ばでいくつかの作曲作品を発表するものの注目を集めることはなく、その後はヴィオラ奏者として四重奏団などで活動していた。
 再び作曲を手がけたのは、42歳の時に妻となったアルト歌手、ベルニエが強く勧めたからという。1867年、テアトル・リリックのコンクールで オペラ「フィエスク」を提出して第三席となり、これを後に編曲した「ディベルティスマン」で一躍人気を得た。成功したのは50歳近くなってからで、晩成の器であった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.43

ヴィクトール・アントワーヌ・エドゥアール・ラロ
(Victor Antoine Édouard Lalo, 1823 - 1892)

 この曲が『365日物語』に取り上げられるほど有名であるとは知らなかった。 
 僕は知っている。昔バイオリンを習っていたことは以前書いた。その教室の先輩の中に、この曲の一楽章を発表会で弾いた人があったからである。とても上手な、そしてとてもきれいなお姉さんだった。あのままプロになったのだろうか。
「はじめまして」の再会 
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/d62af76c8bae0e680392037321b940a0
 
 ラロはサラサーテと「交友があった」とある。『ツィゴイネルワイゼン』で知られるサラサーテは、パンプローナ出身のバスク人だった。それが縁をつないだということもあったか。
 協奏曲なのになぜ「交響曲」なのか、「スペイン」のタイトルとイメージはどこに由来するのか等、今日はじめて知った。パールマンの気品ある演奏に不足はないが、次は是非ともHIMARI こと吉村妃鞠の演奏で聞いてみたいものである。カルメン幻想曲をあのように弾きこなす彼女であれば、この曲の情念を誰よりも豊かに引き出してみせるに違いない。

パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス
(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz, 1844 - 1908)

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