散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

2月11日 ネルソン・マンデラ釈放(1990年)

2024-02-11 03:28:52 | 日記
2024年2月11日(日)

 この日の特記事項として「建国記念」を挙げないと、昔だったら厳罰ものだったことだろう。中には「信仰の自由を守る日」と呼ぶ人々もある、そのような歴史的いわく付きの国民の祝日。

> 1990年2月11日、南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者、ネルソン・マンデラは28年ぶりに釈放されて自由の身となった。
 政府の人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対し逮捕されたのは1962年、マンデラが44歳の時のことだった。二年後、彼は国家反逆罪で終身刑の判決を受け、ロベン島に収監された。ロベン島はケープタウンから12キロ沖合の小さな島で、十七世紀末から刑務所として、またハンセン病患者の隔離のために使われていた島だ。マンデラは20年間をここで過ごし、その後ケープタウン郊外の刑務所に移された。
 転機が訪れたのは1989年、フレデリック・ウィレム・デクラークが大統領に就任してからだった。民主改革路線でアパルトヘイト廃止の方向を模索していたデクラーク大統領は、1989年12月に獄中のマンデラと会談し、約三か月後に彼を釈放した。この時、マンデラはすでに71歳になっていた。
 マンデラは釈放後、デクラーク大統領と協力して民主南アフリカ会議を開き、アパルトヘイトの撤廃に向けて憲法を改正し、1994年、南ア史上初めての全人種参加による選挙で、大統領に選ばれた。1993年、マンデラはデクラークと共にノーベル平和賞を受賞している。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.47

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ
コーサ語: Nelson Rolihlahla Mandela [xolíɬaɬa mandɛ̂ːla]、
(1918 - 2013)

 穏やかな、それでいて毅然とした、とても好い顔である。こんな風になりたい、せめてこんな顔をした指導者を仰ぎたい。
 ミドルネームのホリシャシャはコーサ語で「トラブルメーカー」の意味だそうだ。いったい、誕生の時につけられた名前なのだろうか。メソジスト教会で洗礼を受けたクリスチャンであり、そこでの教育に多くを負うているという。
 「基本的には非暴力主義を唱えており、平和主義的な考えはたびたび表明していたが、ウムコントゥ・ウェ・シズウェ(「民族の槍」を意味する軍事組織)の創設からもわかるとおり一時武装闘争路線に傾き、解放後もしばらくは武装闘争路線を否定してはいなかった」と Wikipedia にある。南アフリカはガンジーが人種差別の現実に初めて直面した土地でもあった。
 非暴力と暴力についてのマンデラの言葉に、じっくり耳を傾けてみたい。

Ω