散日拾遺

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雨水から知る旧正月

2024-02-21 23:17:37 | 日記
2024年2月21日(水)

 大事なことを忘れていた。雨水は旧正月の目印でもあるのだ。

> 旧正月とは旧暦の正月のことで、その年によって日にちは異なります。二十四節気の雨水(新暦2月19日頃)の直前の朔日(新月)が旧暦の元日となり、新暦では年によって1月22日〜2月19日までの間を移動することになります。朔日を元日として始まる新年を大正月といい、15日の望の日(満月)を小正月といいます。旧正月は、中国では春節と呼ばれ、現在でも新年を祝う行事が新暦の正月よりも盛大に行われます。旧正月を新年として祝う習慣は、韓国や台湾、ベトナム、モンゴルでも見られます。

 今年の場合、雨水直前の朔日は2月10日、これが今年の元日で、2月24日が小正月ということか。
 月齢とからめて年々移動する決め方が連想させるのは、教会暦のイースター(復活祭)である。こちらは「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」で、最も早くて3月22日、最も遅くて4月25日とかなり幅がある。1984年のイースターは4月22日とずいぶん遅かったが、おかげで大雪の降った厳冬後に遅れていた近辺の桜が、あたり一面一斉に開花したものだった。
 両者はいずれも太陽暦と太陰暦の組み合わせである。イースターは春分と満月だから一目瞭然。一方、二十四節気は一年すなわち太陽の公転周期を24分割したものだからやはり太陽暦の系列であり、「雨水の前の朔日」という旧正月の決め方もまた、太陽暦と太陰暦の組み合わせになっている。
 もっぱら太陽の運行によって固定された一月一日は簡便で合理的だが、年によって揺れ動く旧正月にはまた別の親しみがある。アジアの伝統への表敬を兼ね、来年からは個人的に旧正月を祝ってみようかな。おっとまだ遅くない、24日、満月の土曜日が今年の小正月なのだった。
 その次の満月は春分の日を過ぎた3月25日の月曜日、これがイースターのリマインダーとなる。



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2月21日 トレヴィシックが世界初の蒸気機関車を走らせる(1804年)

2024-02-21 03:52:01 | 日記
2024年2月21日(水)

> 1804年2月21日、イギリスの機械技術者、リチャード・トレヴィシックは開発した蒸気機関車「ペナダレン号」に5両の車両をつなぎ、鉄10トンと70人の乗客を乗せて、マーサーティドヴィルから約14.5キロの距離を走行した。途中煙突部分が低い橋にぶつかって破損し、その場で修理したという。所要時間はおよそ4時間5分だった。
 トレヴィシックは鉱山会社のボイラー開発技師で、1801年蒸気自動車を開発、1803年には改良型蒸気自動車で、ある程度の走行実績を上げていた。
 当時のウェールズは製鉄業が盛んで、鉄鉱石や石炭の運搬に鉄道馬車を使用していた。これはレールの上を走る馬車で、重量物を運ぶために道路にレールを敷設したものだった。
 ペナダレン号の試験走行は成功したが、なお大きな問題があった。馬車鉄道用のレールを使用したのだが、鋳鉄製のレールはもろくて蒸気機関車の重量を支えきれず、すぐに破損してしまったのだ。結局ペナダレン号は三回ほど使用されただけで、貨物の運搬はもとの馬車鉄道に戻されてしまった。蒸気機関車の実用には、まだまだ改良が必要だったのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.57

Richard Trevithick
(1771年4月13日 - 1833年4月22日)

 蒸気機関車と聞けばスティブンソンと答える頭になっているが、発明者はトレヴィシック、スティブンソンは改良者ということらしい。蒸気機関におけるニューコメンとワットの関係に相当するか。
 トレヴィシックという名前を恥ずかしながら初めて知ったが、この人物の生涯はざっと追っただけでも波乱万丈、小説以上にスリリングである。上記文中に「1803年には…ある程度の走行実績を上げ」とあるが、その同じ年に彼の製作した蒸気ポンプが爆発して4人の死者が出た(グリニッジの悲劇)。蒸気機関だけでも厄介には事欠かないのに、よくよく一つところに収まらないつくりと見える。テムズ川を横断する河底トンネルの掘削に関わるかと思えば、海運にも手を出すという具合で、どこにも落ち着く気配がない。
 1816年から27年にかけては、南米を股にかけての大ヤマ狙い。これはもうインディ・ジョーンズを地で行く冒険の連続で、一度は現地人と喧嘩してワニをけしかけられ、あやうく食われそうになったとある。一度限りの人生に悔いのないことだったろう。
 詳細は下記、一点だけ抜き書きしておこう。

> 彼の孫二人、リチャード・フランシス・トレビシックとフランシス・ヘンリー・トレビシックは明治の日本にお雇い外国人として招かれ、鉄道技術の指導にあたった。リチャードは、初の日本国産蒸気機関車となった国鉄860形蒸気機関車の製作を指導している。

ペナダレン号のレプリカ(国立ウォーターフロント博物館、スウォンジ)

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