散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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二十四節気 雨水

2024-02-19 22:56:23 | 日記
2024年2月19日(月)


  立春から15日目、ぬるんだ雨水が草木の芽生えを助け、日に日に春の息吹が感じられる時候です。
 「冬の間に降った雪や氷が溶けて水となり、雪にかわって雨が降る頃」が、雨水の意味するところです。
 この日は古くから農作業の準備を始める目安として知られていたとか。
(『和の暦手帖』P.32‐33)

 本日の最高気温18℃、明日は20℃超えの予報。万事、温暖の方向へ振れているのが今から気になる。

七十二候
 雨水初候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)新暦2月19日~23日
 雨水次候 霞始靆 (かすみはじめてたなびく)  新暦2月24日~28日
 雨水末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)   新暦3月1日~5日

 漢字にいろいろあるものだ。「脉」は「脈」と同義かと思うが、「つちのしょう」と読ませるのか。冬の硬い凍土が、雪解け水や雨水によって緩み潤ってくるということらしい。
 二十四節気や七十二候に特化したサイトやブログがいくつもあり、それぞれ素敵に整えられている。たとえば「季節のコラム」さん。

> 暦便覧では「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」とあります。凍て土の表情が変わり、雪解け水も増してきますが、寒の戻りで霜もみられるころ。日が上がると、その霜も解け、凍土は日毎に湿り気を帯び、生気を取り戻していきます。
> 山の養分をたっぷり含んだ雪解け水は蘇りの水ともいわれ、種子の発芽を促し、鶏の産卵率を高めるなど、あらゆる動植物を活性化することが実証されています。

 「靆」は読みの示す通り「雲のたなびくさま」を指す。「靉靆 (あいたい)」など。旁の「逮」は「およぶ、とらえる」の意味だから、雲が孤立せず相連なり、風に押されて追いつ追われつ流れる眺めを考えれば良いか。

 草木が萌えいずるとなれば次は鳥獣の番、自ずと啓蟄へ移ろっていく。

Ω

なぜもっと日本語を教えないのか

2024-02-19 08:53:14 | 日記
2024年2月19日(月)

> 奇道、詭道、機動に長けた悪党楠木ならば、これも有り得ると過(よ)ぎるに違いない。
今村翔吾『人よ、花よ』536

> 英語、英語って言うけど、なぜもっと母国の日本語を教えないのかって思います。美しい日本語がどんどん失われていっているし、スマホでメッセージを送っているだけでは、長い文章が書けなくなります。
 字幕翻訳の仕事でも、求められるのは80%が日本語です。自分は英語がしゃべれるから字幕もできるんじゃないかと思う人もいますが、それはとんでもない誤解です。字幕は短く、的確に、みんなにわかる言葉で、見ている人の感情に訴えなければなりません。そのためには日本語の力が必要なんです。
戸田奈津子『映画と英語と歩んだ87年』2024年2月8日(木)朝日新聞朝刊

> 皆、英語ができないので院の入試が心配だというけれど、大きな勘違いですよ、皆さんができないのは英語ではなくて日本語です。
 「辞書持ち込み可」なら何とかなるというものではない、それどころか辞書を持ち込むことによって、皆さんの弱点が決定的に明らかになるんです。分からない単語を辞書で引き、出てきた訳語をつぎはぎして出来上がったしろものが、日本語として意味が通っていようがいまいがおかまいなし。そうした珍妙な答案が示すのは英語力の不足ではなく、母語に対するリスペクトの絶望的な欠落です。
某大学の入試説明会における某教授の発言から

Ω


2月19日 漱石が芥川龍之介を手紙で激賞(1916)

2024-02-19 03:27:29 | 日記
2024年2月19日(月)

>  1916 年(大正5年)2月19日、芥川龍之介の『鼻』を激賞する手紙が、師の夏目漱石によって書かれた。『鼻』は、東京帝国大学英文科に在籍中の芥川が、菊池寛、久米正雄らと刊行した同人誌『新思潮』の第四次創刊号に掲載された。芥川は漱石門下に入ったばかりだったが、『鼻』が漱石に認められたことで、作家となる覚悟ができたのである。
 大学卒業後、芥川は英語教員をするかたわら創作に励み、1917年に初の短編集『羅生門』を発表し、作家としてのスタートを切っている。
 『鼻』を読んだ夏目漱石の手紙の中には、次のような激賞の言葉があった。「敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で 類のない作家になれます。しかし『鼻』だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんなことに頓着しないでずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かないほうが身体の薬です。」
 『羅生門』を刊行した後の芥川は、17年に『戯作三昧』、18年に『地獄変』『奉教人の死』『枯野抄』と、漱石の言葉通り、堰を切ったように力作を発表するのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.55

    

 夏目漱石 1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日 
 芥川龍之介 1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日

 ということは、この手紙が書かれたのは漱石が亡くなる10か月ほど前、同じ年の二月ということになる。前年に五回目の胃潰瘍で倒れ、糖尿病も始まっており、体調はいよいよ芳しくなかったであろう。そんな中での芥川への激励は、文豪の価値ある置き土産となった。

Ω