2014年1月27日(月)
数週間前の木曜日だったと思うが、例によって神田三省堂の店内をぶらぶらしていたら、書道の手本が何種類か平積みになっているのに目が止まった。中で吉丸竹軒『三体千字文』の書体に引かれ、しばらく無心に見入った。
今年の自分自身への誕生日プレゼントにしようと、いったんそのまま帰ったが、先週ふたたび見たときは勝手に手が動いてレジに直行していた。何というのか、見ていると心が清々しくなる感じである。これをお手本に習字のお稽古というところまでは、とても行きそうにないが、眺めているだけでさしあたり十分だ。
「見ているだけで字が上手くなりそう」と母が言う、そんな感じでもある。名局の棋譜を並べることで、碁が上達するのと同じことだ。ただ、書字の上達云々はここでは二義的なことで、それが心に清風を吹き込む様を言いたいのである。
こんな風に「書」を感じたのは、たぶん生まれて初めてだ。
*****
『千字文』については、確かブログで書いたはずだと思って検索(これがPCの便利なところだね)、二つ出てくるには出てきたが・・・
① 2013年6月24日 『黄金の日々』の読書メモ、「弘法大師真蹟千字文」、そんなものがあるのかと驚いている。
② 2013年9月15日 名づけの今昔で、本朝への漢字伝来の起源として「王仁が『論語』10巻と『千字文』1巻を献上したという伝承」を引いたところだ。(因みに、この伝承は『千字文』の成立年代との間に矛盾があるらしい。)
してみると、『千字文』そのものについては書いてなかったのだ。
今さら僕が解説する必要もないだろうが、これは実に大変なもので、文化史上の一大金字塔と言ってよい。こういうのは Wikipedia が便利なので、末尾にコピペさせてもらっちゃう。
驚くべき点はいくつもあり、そもそも漢字というものの宇宙的な素晴らしさが根本にあるのだが、この素材を活用するにあたってざっと考えても、
○ 四字 ✕ 250 という整然たる配置
○ 中国古典から慣用句まで豊かな内容を含んでいること
○「天地玄黄」の創世記的な始まりから「焉哉乎也」の結句まで、自然な流れの中に語句を連ねていること
○ 主要な漢字を含めつつ一字の重複もないこと
○ 脚韻を踏んでいること(8字めごとに注目したい)
○ 企画そのものが子どもの書字・識字教育を目的としていること
等々に感嘆する。いわば極めて高等な言葉遊びとしての文化性の高さなのだ。
我に『万葉』あり、彼に『千字文』ありと言ってみたいところ。その『万葉』を記すのに、万葉仮名つまり漢字を拝借したところにも嬉しさがある。
(『小倉百人一首』は例の「ナゾ解き」を踏まえていうなら、言葉遊びの洗練度としては負けていないかもな。)
嬉しくなって、以前買ってあった岩波文庫の『千字文』を書架から引っ張り出した。こういう相互作用は確かに電子本では起きにくいかもしれない。
で、今日から『千字文』を二連・八字ずつブログ上で追いかけていこうと目論んでいる。続くようなら御喝采だ。
***** 以下、Wikipedia『千字文』より抜粋 *****
『千字文』(せんじもん)は、子供に漢字を教えるために用いられた漢文の長詩である。1000の異なった文字が使われている。
【概要】
南朝・梁 (502–549) の武帝が、文章家として有名な文官の周興嗣 (470–521) に文章を作らせたものである。周興嗣は,皇帝の命を受けて一夜で千字文を考え,皇帝に進上したときには白髪になっていたという伝説がある。文字は、能書家として有名な東晋の王羲之の字を、殷鉄石に命じて模写して集成し、書道の手本にしたと伝えられる。王羲之の字ではなく、魏の鍾繇の文字を使ったという異説もあるが、有力ではない。完成当初から非常に珍重され、以後各地に広まっていき、南朝から唐代にかけて流行し、宋代以後全土に普及した。
【内容】
千字文は「天地玄黄」から「焉哉乎也」まで、天文、地理、政治、経済、社会、歴史、倫理などの森羅万象について述べた、4字を1句とする250個の短句からなる韻文である。全体が脚韻により9段に分かれている。
【用字】
全て違った文字で、一字も重複していない。
ただし、数字では「一」「三」「六」「七」、方角では「北」、季節では「春」、地理では「山」が無いなど、初学者に必要な漢字が抜けている。233文字が日本の常用漢字外である。
【書写】
千字文はかつて、多くの国の漢字の初級読本となった。注釈本も多数出版されている。また、書道の手本用の文章に使われ、歴代の能書家が千字文を書いている。中国では智永(隋)、褚遂良(唐)、孫過庭(唐)、張旭(唐)、懐素(唐)、米元章(北宋)、高宗(南宋)、趙子昂(元)、文徴明(明)などの作品が有名で、敦煌出土文書にも千字文の手本や習字した断片があり、遅くとも7世紀には普及していた。日本でも巻菱湖(江戸)、市河米庵(江戸)、貫名菘翁(江戸)、日下部鳴鶴(明治)、小野鵞堂(明治)などの作品がある。書道の手本としては、智永が楷書と草書の2種の書体で書いた『真草千字文』が有名である。その後、草書千字文、楷書千字文など、様々な書体の千字文が作られた。また、篆書、隷書、楷書、草書で千字文を書いて並べた『四体千字文』などもある。
数週間前の木曜日だったと思うが、例によって神田三省堂の店内をぶらぶらしていたら、書道の手本が何種類か平積みになっているのに目が止まった。中で吉丸竹軒『三体千字文』の書体に引かれ、しばらく無心に見入った。
今年の自分自身への誕生日プレゼントにしようと、いったんそのまま帰ったが、先週ふたたび見たときは勝手に手が動いてレジに直行していた。何というのか、見ていると心が清々しくなる感じである。これをお手本に習字のお稽古というところまでは、とても行きそうにないが、眺めているだけでさしあたり十分だ。
「見ているだけで字が上手くなりそう」と母が言う、そんな感じでもある。名局の棋譜を並べることで、碁が上達するのと同じことだ。ただ、書字の上達云々はここでは二義的なことで、それが心に清風を吹き込む様を言いたいのである。
こんな風に「書」を感じたのは、たぶん生まれて初めてだ。
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『千字文』については、確かブログで書いたはずだと思って検索(これがPCの便利なところだね)、二つ出てくるには出てきたが・・・
① 2013年6月24日 『黄金の日々』の読書メモ、「弘法大師真蹟千字文」、そんなものがあるのかと驚いている。
② 2013年9月15日 名づけの今昔で、本朝への漢字伝来の起源として「王仁が『論語』10巻と『千字文』1巻を献上したという伝承」を引いたところだ。(因みに、この伝承は『千字文』の成立年代との間に矛盾があるらしい。)
してみると、『千字文』そのものについては書いてなかったのだ。
今さら僕が解説する必要もないだろうが、これは実に大変なもので、文化史上の一大金字塔と言ってよい。こういうのは Wikipedia が便利なので、末尾にコピペさせてもらっちゃう。
驚くべき点はいくつもあり、そもそも漢字というものの宇宙的な素晴らしさが根本にあるのだが、この素材を活用するにあたってざっと考えても、
○ 四字 ✕ 250 という整然たる配置
○ 中国古典から慣用句まで豊かな内容を含んでいること
○「天地玄黄」の創世記的な始まりから「焉哉乎也」の結句まで、自然な流れの中に語句を連ねていること
○ 主要な漢字を含めつつ一字の重複もないこと
○ 脚韻を踏んでいること(8字めごとに注目したい)
○ 企画そのものが子どもの書字・識字教育を目的としていること
等々に感嘆する。いわば極めて高等な言葉遊びとしての文化性の高さなのだ。
我に『万葉』あり、彼に『千字文』ありと言ってみたいところ。その『万葉』を記すのに、万葉仮名つまり漢字を拝借したところにも嬉しさがある。
(『小倉百人一首』は例の「ナゾ解き」を踏まえていうなら、言葉遊びの洗練度としては負けていないかもな。)
嬉しくなって、以前買ってあった岩波文庫の『千字文』を書架から引っ張り出した。こういう相互作用は確かに電子本では起きにくいかもしれない。
で、今日から『千字文』を二連・八字ずつブログ上で追いかけていこうと目論んでいる。続くようなら御喝采だ。
***** 以下、Wikipedia『千字文』より抜粋 *****
『千字文』(せんじもん)は、子供に漢字を教えるために用いられた漢文の長詩である。1000の異なった文字が使われている。
【概要】
南朝・梁 (502–549) の武帝が、文章家として有名な文官の周興嗣 (470–521) に文章を作らせたものである。周興嗣は,皇帝の命を受けて一夜で千字文を考え,皇帝に進上したときには白髪になっていたという伝説がある。文字は、能書家として有名な東晋の王羲之の字を、殷鉄石に命じて模写して集成し、書道の手本にしたと伝えられる。王羲之の字ではなく、魏の鍾繇の文字を使ったという異説もあるが、有力ではない。完成当初から非常に珍重され、以後各地に広まっていき、南朝から唐代にかけて流行し、宋代以後全土に普及した。
【内容】
千字文は「天地玄黄」から「焉哉乎也」まで、天文、地理、政治、経済、社会、歴史、倫理などの森羅万象について述べた、4字を1句とする250個の短句からなる韻文である。全体が脚韻により9段に分かれている。
【用字】
全て違った文字で、一字も重複していない。
ただし、数字では「一」「三」「六」「七」、方角では「北」、季節では「春」、地理では「山」が無いなど、初学者に必要な漢字が抜けている。233文字が日本の常用漢字外である。
【書写】
千字文はかつて、多くの国の漢字の初級読本となった。注釈本も多数出版されている。また、書道の手本用の文章に使われ、歴代の能書家が千字文を書いている。中国では智永(隋)、褚遂良(唐)、孫過庭(唐)、張旭(唐)、懐素(唐)、米元章(北宋)、高宗(南宋)、趙子昂(元)、文徴明(明)などの作品が有名で、敦煌出土文書にも千字文の手本や習字した断片があり、遅くとも7世紀には普及していた。日本でも巻菱湖(江戸)、市河米庵(江戸)、貫名菘翁(江戸)、日下部鳴鶴(明治)、小野鵞堂(明治)などの作品がある。書道の手本としては、智永が楷書と草書の2種の書体で書いた『真草千字文』が有名である。その後、草書千字文、楷書千字文など、様々な書体の千字文が作られた。また、篆書、隷書、楷書、草書で千字文を書いて並べた『四体千字文』などもある。