散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

臨床雑記 014 それぞれの震災

2014-01-24 06:56:00 | 日記
2014年1月某日

 「この1~2年起きた出来事は、他人(ひと)と比べてもかなり酷いものだったと思いますよ。」
 そう言ってもらえてほっとした。
 でも、次に続いた言葉がもっと意外だった。

 「震災に襲われた人たちは、それはつらいでしょう。ただ、同時に被災した人々が大勢いたことで、自分にしか分からない痛みや悲しみを、他の人も一緒に負っているのだと考えることができます。被災者のために弁じてくれる人もあります。けれども、個人的な災難に出会った人には、そうした連帯を見出すことが難しく、声を合わせる仲間がいないのです。」
 「震災に比べれば私の苦難など小さいものだ、私は弱くて甘えているのだ、そんな風に自分を責めることはないと思いますよ。震災に比べれば、社会的には小さな災いかもしれないけれど、あなたという個人にとっては震災に匹敵する災厄だったでしょう。そしてあなたは、連帯する仲間のないまま一人で頑張ってきたんです。」

 被災された方々に比べて、私は何と弱いのかと思っていた私に、救われる言葉だった。
 もっと書いていたいけれど、やはり疲れてしまった。少しまた頭をカラにしてみよう。

(Xさんの手記から)

箴言の金言 ~ 怒りを遅くし、おのれの心を治めよ

2014-01-23 10:44:04 | 日記
2014年1月23日(木)

 怒りをおそくする者は勇士にまさり
 自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる
 (箴言 16:32 口語訳聖書)

あるいは

 怒を遅くする者は勇士(ますらを)に愈(まさ)り
 おのれの心を治むる者は城を攻め取る者に愈る
 (同、文語訳)

金言だ。僕の生涯の課題だ、できないもんな。
昨日もできなかった、いささかヘコんでしまう。

ところで・・・

 忍耐は力の強さにまさる
 自制の力は町を占領するにまさる
 (同、新共同訳)

何ですか、これは。
ダメだ、ぶちこわしだ。この方が正しいの?
正しくたってダメだ。

だから本当はヘブル語で読めないといけない。間に合いそうもない・・・

言葉の紳士(淑女?)録 005: へべれけ、ロハ、破瓜病

2014-01-23 07:31:44 | 日記
2014年1月21日(火)

 「へべれけ」という言葉の響き、不思議で面白い。あらわす実態は、僕らの現場では面白いでは済まないけれど。

 「あたし、ほんとにヘベレケになるまで飲んでましたよね」

とQさん。

 ヘベレケなんてもんじゃないでしょ、ずいぶん心配しましたよ。
 朝、起きてみたら大腿部にひどいケガをしていたとか、ヒーター抱えて飲みながら寝ちゃって、脛にでっかい低温やけどを作ったとか、つねられたとしか思えない黒あざが全身に無数にあるのに、どこで仕入れてきたか覚えてないとか・・・子供二人を遺して、あなたが事故死するんじゃないかと本当に心配しました。
 そのあなたが、半年ほど前からピタリとお酒を止めましたね。
 「先生が心配するから・・・」
 と照れくさそう。ウソでも嬉しいですよ、一対一の言葉のアプローチで乱用レベルの過量飲酒が止まったなんて、少なくとも僕はこれまで経験がなかった。何があったにせよ、依存症の一歩手前で引き返せたのだ。命を拾ったね。

 次なる課題は、シラフの人生に生きる意味を見出すことですよ。簡単じゃないけど、きっとできる。酒が止められたんだから。

***

 で、ヘベレケの語源なんですが、例によって本当のところは分からない。
 ただ、うがって面白いと思うのが下記の説で、Yahoo 知恵袋に寄せられた回答(2005年3月10日)がよくまとまっているようだ。

★ 語源は、なんとギリシア語で、しかもかの(ギリシア神話)が元になっていると言う説が現在の所、有力だとされている。(Hebeerryke:ヘーベーエリュエケ・ヘーベーリュエケ)と発音し、意味は『ヘーベーのお酌』。「ヘーベー」と言うのは、ゼウス神とヘーラー神との間に生まれた青春を司る女神の名前。<雑学庫[知泉]>より抜粋、『希臘羅馬神話』(木村鷹太郎)の説による。
 『方言俗語語源辞典』(山中襄太、校倉書房1970)によれば、「納得のいく語源説を出しえない現在、いちおうこの説を参考とせざるをえないであろう」とのこと。
http://gogen-allguide.com/he/hebereke.html

 結句の態度が慎重で良いね。URLは「語源由来辞典」のものだが、そこに下記の付記がある。
★ ・・・へーべーのお酌が「へべれけ」に転義した由来は未詳、へーべーにお酌してもらった神々は、喜んで何倍も飲み干し泥酔してしまったと考え、へべれけになったといわれる。★ この説は正確な語源とされておらず、へべれけに近い擬態語には「へろへろ」「べろべろ」「べろんべろん」など数多くあるため、それらと同系と考えるのが妥当であろう。

 同感だが、それにしても「へべれけ、って、何でそういうの?」と訊かれて「それはギリシア神話の・・・」と答えた、博学なホラ吹きがいたことは間違いない。いるんだよ、ホラ吹きは、たとえばね・・・

***

 「ただ(無料)」のことを「ロハ」と言う、と聞かされても、若者はそれ自体を知らないだろう。僕はこれを『罪と罰』の江川卓訳で知った。ラスコーリニコフ一家が、ドゥーニャの婚約者ルージンと決裂する場面で、母娘がペテルブルグへやって来る時の荷物を、親切な御者が「ロハで馬車に乗せてくれた」と母プリへーリヤがいうくだりである。
 こういうことは記憶の底にこびりついて、40年後も古びない。(申命記 8:4)

 で、ロハは何でロハというか?
 「ただ」を「只」と書き、これを分解すればロハ、これが正解だ。

 ところがここに知恵の回るホラ吹きがいて、同級生に「何でタダをロハと言うの?」と訊かれ、即座に答えた。
 「先立つイがないからだろ」
 これも若い人向け解説が要るかな、「先立つもの(=金)がない」のと「イロハのイがない」というのを引っかけたのだ。

 よく考えると思いませんか?しかも訊かれた瞬間に!
 このホラ吹きは、高校三年間をほぼ完全に共に過ごしたRという友人だが、社交ということを全くしない御仁なので、至近に住んでいるのにもう何年も会っていない。ともかく上記の逸話は、R自身と言われた女子と双方からウラをとったから確実である。こんなことが即座にペラペラと口から出る頭の構造は、いったいどうなってるんだろうね。しかも、彼らが中学2年か3年の時なんだよ、ませガキめ!
 「ヘベレケ」ギリシャ語説を唱えた犯人も、おおかたRみたいな頭の良いホラ吹きだったのだろう。

***

 ヘーベー('Ηβη)については、もうひとつ知るところがある。
 ドイツ精神医学の中で古くは Hebephrenie と呼ばれ、今は統合失調症の hebephrenic type として名を残している疾患がある。これは紛れもなく Hebe(ヘーベー)に由来する命名で、統合失調症の中でも思春期に発症し、陰性症状を主体とする型を指している。
 主として発症時期に着目した命名と思われるが、びっくりするのはその日本語訳だ。漢文素養の豊かな明治・大正の学者 ~ たぶん呉秀三あたりだろう ~ が、ギリシア古典の向こうを張ってひねりを加え・・・

 破瓜病

 と訳したのだ。読めますか?
 破瓜(はか)、である。読めた上に意味も知ってるというのは、豊かな教養人か相当の物好きだね。
 破瓜すなわちウリを破る(ツメと読むな!)は、物の本によれば思春期(特に女性の)を表す言葉だそうだ。ナゼそうなるか、ここにまたひとつの判じ物があるんだが、これは少々隠微な(淫靡な?)話にわたるから、当ブログの品位を保つため敢えて伏せる。面接授業では、この解説に1分かけることで受講生の覚醒度がぐっとあがるんだな。

 それにしても偉大な呉先生、これは罪作りな訳だった。破瓜型は女性に多いというわけでもないんだからね。
 僕としてはインビな解説を披露したうえで、「名称として固定しちゃってるから仕方ありませんが、頭の中では『破瓜型=思春期型』と読み替えておいてください」と伝えるようにしている。


「酒壺を持つヘーベー」(Wikipedia より)

読書メモ 023 『体内時計のふしぎ』

2014-01-21 12:44:46 | 日記
明石真(あかしまこと)『体内時計のふしぎ』光文社新書673



 時間生物学というのかな、この手の話は誰にとっても興味深いところだが、その道の最前線で活躍しているらしい筆者による、分かりやすい解説書だった。暮れにサンタにもらって一読。睡眠障害はもとより体内時計と密接な関係があり、気分障害がそのまたイトコ筋だから、仕事上も興味深いところ。
 ただ、この著者は国語はあんまりできない人らしく、それをちゃんとカバーしない編集者の責を大いに問いたい。ただ原稿を受けとって印刷に回すだけなら、編集者なんて必要ない。

***

 最大のポイントは、こういうことだ。
 生命発祥以来、約40億年の進化のプロセスの中で、生物は太陽を中心とする自然のリズムに同調することで適応を果たしてきた。そのための基本メカニズムが体内時計であって、これは個体レベルだけでなく細胞レベルでも認められる生存の基本ツールである。
 ところがエジソン以来の夜間照明の進歩 ~ 白熱電球の発明者はエジソンではなく、イギリス人ジョゼフ・スワンだそうだが ~ は、人の生活環境を劇的に変えてしまった。以来まだ100年余りである。
 40億年かけてしっかり固定された体内時計と、ここ100年激変した照明環境が、当然ながら深刻なミスマッチを起こす、その結果が各種の健康問題だというのである。
 その健康問題の中に前述の睡眠障害・気分障害が含まれるのは当然として、糖尿病やガンなども上がってくるには驚いた。

 少し前に、「加齢と共に起床時間が固定してきた、要するに適応の柔軟性を欠いてきたのだろうが、年を取るのも悪いことではない」と書いたが、そのことを確認する思い。無理が利かなくなったなら、無理を止めるに限る。
 横井さんや小野田さんは、この括りでは超健康な生活を送ったわけである。

 以下は例によって抜き書き。

P.36 
 睡眠学者の研究によると、現代日本人の2割は不眠を患っており、約7割は睡眠になんらかの問題を抱えているといわれています。

P.80 
 現代という時代は「光」に関してまさに過渡期にあると言えます。パソコンやスマートフォンの画面にも使われているLEDが台頭してきた今こそ、まさに私たち自身が生み出した文明の利器を正しい知識で正しく使えることができるかどうかが問われています。(ママ)
 白色のLED電球は従来の蛍光灯よりも青色の波長を多く含んでいます。つまり、体内時計に作用する力がさらに強いと言えます。今までの蛍光灯と同じように使っていれば、体内時計の夜型化がさらに進み、深刻な事態が生じるでしょう。

P.114
 今や、WHO(世界保健機関)の関連組織によって、夜勤はガンのリスクとして、とても程度の高いカテゴリーに分類されるようになりました。どれくらい高いリスクと考えられているかというと、喫煙やアスベストが含まれるグループ(発ガン性があると結論づけられているグループ)の次にランクされているほどです。

P.123
 日本における気分障害の総患者数は2000年頃から一気に増えてきました。この時期は日本の経済状態が悪化している時期にあたり、気分障害が経済苦と関係が深いことはよくいわれていることです。一方、この頃は、メールやインターネットがちょうど普及してきた時期でもあります。つまり、夜型生活、あるいは夜間の光にさらされる環境が進行することで、体内時計の夜型化の進行が加速してきた時期とも重なっていると考えられます。

P.136
 また、これとは別に、一日中、明るい環境で飼育した妊娠中のサルを使った実験があります。恐ろしいことに、生まれてきた子ザルの体温リズムが顕著に乱れていただけでなく、さらにこの子ザルは低体温症であることがシメされています。(中略)
 最近、低体温症の子供が少しずつ増えてきていると言われています。(後略)

P.141
 このように、活性酸素を無毒化する機能において約24時間のリズムつくり出せる細胞体が生存に有利であったと考えられます。このリズムを備えている細胞の場合、太陽が昇ってくる頃には、活性酸素の無毒化機能を十分に高めておくことが可能なので、DNAの損傷を和らげることができるのです。
 繰り返しますが、このリズムはほぼすべての生き物に共通に存在することが見出されており、実は体内時計の原型として機能したと考えられています。

P.144
 私たちの体のリズムというのは、私たちが自然のリズムで生活することを前提としてプログラムされています。逆に言えば、当たり前のことですが、現代のような24時間社会に適応できるように私たちの体はプログラムされていません。そうした機能を備える必要もなかったはずです。

P.165
 夜型にずれないように体内時計を調節するには、「朝」が肝心になります。まず、屋外で朝日を30分以上しっかり浴びるのが効果的です(太陽光線を直接目に入れるととても有害なので、直視はいけません)。朝日を数分間だけ浴びれば良いというものではなく、やはりこれくらいの時間が必要になると思われます。室内にいても十分な照度の光を浴びることは難しいので、やはり外に出る習慣が必要になってくるでしょう。また、カーテンを開けて眠ることで、差し込む朝日が体内時計の朝方への修正を助けてくれることが期待できます。さらに、先に述べたように、朝食が朝日の作用を助けてくれるので、バランスよく栄養をとるのが無難でしょう。
(石丸註:この文脈では食事内容の栄養バランスよりも、内容にかかわらず朝食をとること自体による、体内時計の朝型化効果の方が重要であるように思われる。)

最後に、P.40~42の要約:生活習慣病の4つの原因
① 食習慣(動物性脂肪摂取量の急増)
② 運動不足
③ 心理的ストレス ~ 現代型の
④ 体内時計と夜行(光)性社会環境のズレ

以上

横井伍長と小野田少尉

2014-01-21 10:37:38 | 日記
2014年1月21日(火)

 忘れないうちに。
 先週の木曜日、1月16日に小野田寛郎さんが亡くなった。
 これなど、それこそH君と語らってみたいところがある。彼は僕以上に古いことの記憶が鮮明で、歴史的な事件に対する関心と理解が恐ろしく深いので。

 さしあたり書き留めておきたいのは、横井庄一さんと一対の存在として思い出されることだ。詳しいリサーチは後のこととして、アウトライン情報だけをネットからかき集めておく。

○ 横井庄一氏:1915(大正4)年、愛知県生。
 1935年から4年間軍務に服した後、洋服の仕立屋として働いていたが、1941年に再招集。満州を経て歩兵第38連隊伍長として太平洋に転戦、1944年8月にグアム島で戦死したものと見なされていた。実際にはジャングルで生き延び、1972年1月24日村人に発見され、同2月2日に満57歳で帰国する。
 羽田空港での第一声が、やや修飾されて「恥ずかしながら帰って参りました」と報じられ、その年の流行語となった。むろん「生きて虜囚の辱めを受けず」(いわゆる『戦陣訓』)が念頭に響いていたに違いない。
 日本の生活へのその後の適応は予想にもきわめて順調で、各地で講演など行い、年末には結婚した。74年参議院選挙に立候補したのは、どんな経緯からか。落選後はようやく生活も落ち着いたようである。1997年、82歳で病没。

○ 小野田寛郎氏:1922(大正11)年、和歌山県生。
 1942年、上海の商事会社で働いていたが、満20歳に達して徴兵検査を受け、歩兵第61連隊入営。1944年1月、陸軍予備士官学校(久留米)入校。卒業後、中国語や英語の堪能を見込まれ、同年9月に陸軍中野学校入校、主に遊撃戦の教育を受けた。
 1944年12月、第8師団参謀部付少尉としてフィリピンに派遣。師団長横山静雄中将より「玉砕は厳禁、必ず迎えに行くから3年でも5年でも頑張れ、重ねて玉砕を禁ず」との訓示を受け、これが後の伏線となった。
 敗戦後、任務解除の命令が届かなかったため、3名の戦友とともにルバング島の密林にこもって戦闘を継続したが、赤津一等兵(1950年6月投降)、島田伍長(1954年戦死)、小塚上等兵(1972年戦死)と部下を次々に失っていった。1974年、接触に成功した日本人を介して、元上官による任務解除・帰国命令を受けとり、3月10日投降。同12日に52歳で帰国した。
 横井とは対照的に親族や日本社会への適応は困難を極め、帰国半年後に次兄の住むブラジルへ移住して牧場経営にあたり、成功を収めている。その後、再度帰国。「祖国のため健全な日本人を育成したい」としてサバイバル塾を主宰し講演を行うなど、最後まで旺盛な活動意欲を示している。2014年、満91歳で死去。

***

 粗雑なこれらの記載そのものが、大きな共通項と鮮やかな対照とを自ずから語っている。既に対比検討した人があるのではないか。
 かなり大きな問題が隠れているように思う。たとえばの話、同じくジャングルに長年潜伏したといっても、その動機には大きな隔たりがあった。隔たりを作り出したものは何か。
 「生きて虜囚の辱めを受けず」と「玉砕は許さん」と、正反対の訓示・命令が同じ帝国陸軍のあちらとこちらで発せられていた。それぞれ誰が誰に発信したのか、なぜこういう乖離が発生し維持されたか、それが現在の僕らにどういう意味をもつか。
 等々、宿題を後に残して今はここまでにする。

 最後に、彼らの発見・帰還当時、中3~高3であった僕自身の記憶から。

 横井氏帰還当時、僕は名古屋にいたから騒ぎはひときわ大きかった。一報を受けてグアム島へ幼なじみが急行し、ホテルで「庄(一)どん!」と声をかけ、横井氏が涙で反応した場面が新聞に載ったように記憶する。
 彼が参議院選挙に出馬したのは、下世話には誰かが「担ぎ出した」としか見えず、いささか滑稽であり気の毒でもあった。
 小野田氏との接触にあたった日本人青年・鈴木紀夫氏は、「常に殺気を感じた」と語った。それはそうだろう。相手は戦闘継続中の現役軍人であり、長年の密林生活で感覚は研ぎ澄まされている。30年間の戦闘行為で30人以上を殺傷したとも伝えられる。スパイと判断すれば躊躇なく斬って捨てたはずだ。
 小野田氏は任務解除命令を受けてフィリピン軍に投降し、軍司令官に軍刀を渡す。司令官はいったん受けとって、そのまま小野田氏に返している。その後、フィリピン・米国・中国などの「敵側」において、小野田氏に対する賞賛が思いのほか大きかったことに後で気づいた。

 共通項も対比も、安全なこの地点から振り返り遠望してのこと、1970年代には日本の津々浦々で、幾百万の男女が密かに祈ったはずである。
 戦死したと告げられた父が、兄が、息子が、もしかしたら横井氏や小野田氏のように密林で生き延びているのではないか、そうであってほしい、生きて帰ってほしい、と。