(ほうじょうを ふきぬくるかぜ かいわかば)
今から2500年前、儒学の祖、孔子(紀元前552~479年)は、多くの子弟に見守られながら世を去り、山東省曲阜の泗水のほとりに埋葬された。門人たちは3年間の喪に服した後、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植えたのが今も残る70万坪(200ha)の孔林。
孔子十哲の弟子の中で、最も師を尊敬してやまなかった子貢は、さらに3年、小さな庵にとどまって塚をつくり、楷の木を植えてその地を離れた。
この楷の木が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は「子貢手植えの楷」として今も孔子の墓所に、強く美しい姿をとどめている。その墓所の回りには、孔子を慕う弟子や魯の国の人々が集まりはじめ、やがて住み着いた者の家が百余りあったので「孔里」と名づけられた。
孔子は300年後の漢代中期以後、国家的崇拝の対象となり、次第に墓域も拡大され、孔里は現在、「孔林」という広大な国家的遺跡であり、世界文化遺産にも登録されている。
尚、掲句には、「足利学校」という前書きがある。