一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3033  数え日や闘い切って夫逝けり  森下 心

2024年01月27日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

(かぞえびや たたかいきって つまゆけり)

 金婚式迄あと五年、六九歳の貴方は六七歳の私を置いて逝ってしまいました。大分県佐伯市生まれの貴方は、漁師の祖父の影響からか趣味は一にも二にも海釣りで、挙句の果てに漁船まで造り稲取港の漁師の仲間入り迄して、休日は釣り三昧でした。

 覚えてますか、貴方が私に猛アタックしてお付き合いが始まった事を。身体が弱くて、そそっかしくて怪我が絶えない私を心配して、いつも「俺は百歳まで生きるから、心配要らないよ。みっちゃん」て言ってくれてたことを。「老後は二人であちこち行こうなって」って言ってた事を。

 そんな貴方が思いもよらない病に!そこからの三年八ヶ月、二人して必死でしたね。「女房が泣き虫だから本当の事は言わないで」とお願いされてましたと、ドクターから聞かされました。

 あれからやがて十年が経ちます。思えば二人の結婚生活は、最後の最後までハラハラ、波乱万丈でしたが、貴方のことがずっとずっと大好きでした。貴方が迎えに来てくれる日まで一日一日丁寧に生きていきます。

早くしないと知らないおばあちゃんになっちゃいますよ 。

(合同句集「天岩戸」より 森下心記)

 

 

 

 

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3032  春愁のまなざしかへす伎芸天  古田 凛

2024年01月27日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

 (しゅんしゅうの まなざしかえす ぎげいてん)

 学生時代というと、今からもう半世紀も前のことになります。春、夏、秋、冬 奈良に行っては日吉館にお世話になっていました。奈良公園に面した小さな宿で、当時、国文学、建築、美術を専攻する学生、卒業生の常宿でした。いまでいう民宿のようなところです。

 昭和十一年に、高浜虚子を関西に迎えて俳句会を開催した平畑静塔、西東三鬼、秋元不死男たちが、発奮して奈良俳句会をこの日吉館で始めることにしたのでした。橋本多佳子も参加して米2合を持ち寄り、夜を徹して句作するという、多佳子の自伝に出てくる凄まじい[日吉館俳句会」が昭和二十一年から二十七年まで続いたということです。その十年後の昭和三十七年、私ははじめてこの日吉館にお世話になりました。

 旅籠(はたご)のような飾り気の無い宿でしたが、和辻哲郎、会津八一、亀井勝一郎などの直筆の色紙や掛け軸が無造作に置いてあり、ここが「古寺巡礼」の起点なのだと感じるものがありました。

 まなうらの大和路の寺京の寺  凛

(合同句集「天岩戸」より 古田凜記)

サザンカ(山茶花)

 

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