一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3037  仏掌に木洩れ日しづく夏正午  佐藤 吠冲

2024年01月29日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

(ほとけてに こもれびしづく なつしょうご)

至福から法悦へ

二行読むのにも、一週間。それでもまったく理解不能という超難解なマラルメという詩人がいる。そんな詩的な俳句も、おもしろいかなと挑戦!

初夏のある日、欝蒼とした庭でハンモックを楽しむ。木々の薫り・鳥のさえずり。室内からB・エヴァンスの「流れの下で」が流れてくる。ハンモックに身をゆだね、独特の浮遊感を味わう。さまざまな思念が、浮かびまた消えていく。至福の時である。正午を回ると、風がでて葉々が揺れ、薄暗き世界に木洩れ日が、雫となって降り始める。光の雨の中で、自分という存在が希薄になる。ハンモックも抱擁感だけになり、なにやら御仏の掌の中で、生かされ生きるという法悦を味わう。この法喜の世界を、「しづく」という多義語を用い、詩的な俳句で表現した。「しづく」は、若い時に出遭った語で、名詞として、雫の意味を持つ。また動詞として「①水底に沈む②水面に映っている」の意味を持つ。御仏の光の海に溶け沈んでいるのだが、ただ沈んでいるのではなく、水面にも映し出される我ともいえぬ法悦の我。独りよがりの極みの句だが、まあそれもよし。

(合同句集「天岩戸」より 佐藤吠冲記)

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3036  初詣明るい方へ歩きだす   佐々木コトリ

2024年01月29日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

(はつもうで あかるいほうへ あるきだす) 

 夢溢れる若い頃、私にも叶えたい夢がありました。けれどもその夢は、突然道半ばで途絶え、叶えられませんでした。それからの年月、心ここに在らずで、ただ淡々と日々を過ごしていました。

 そんな中、3・11東日本大震災…。ハッとしました。人はいつ死ぬか判らない。私はもう一度やりたい事(陶芸と料理)を中心にちゃんと生きようと決心し、動き始めました。

 そして出会ったのが、岩戸窯、釣舟先生でした。先生は私の話を聞いて下さり、『四十過ぎじゃ遅いかもね。でも、やってみれば』と岩戸窯に通う事を了承して下さいました。有り難い事に、それから八年私は、陶芸中心の生活を送る事が出来ています。

 そして、岩戸窯に通わせて頂いている当初から、俳句の事も聞いていたのですが、7年目で漸く、参加させて頂く事になりました。

 この句は、悲しい事や愁う事の多い世の中、一個人は小さい存在ですが、一人ひとりが、日々幸せに暮らす事で、世の中全体も明るい方へ歩き出せたらな、と思い作りました。

(合同句集「天岩戸」より 佐々木コトリ記)

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