一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

921  晩春や夢で終はらす夢を見て   佐恵

2013年05月08日 | 

人は、色んな夢を見るだろう。プロ野球、サッカーなどスポーツ選手、俳優やタレントなど芸能人。末は博士か大臣かの博士は良いとして、最近は大臣なんかはほとんどいないらしい。会社社長や大金持、宝くじなど努力しない一攫千金の夢もある。大恋愛の末の玉の輿・・・・

 私が思い付く夢はこの程度で想像力が貧しいが、他にも世の中には無数の夢があるだろう。さて、作者のこの句の夢はどんな夢だろうか。それは「終わらす」に隠されている。

 つまり、やりようによっては実現するけれども、あえて自分の意思で実現させない夢。それは夢の中で実現してしまった夢、「邯鄲一炊の夢」←クリックして下さい。

キケマン(黄華鬘)  ケマンソウ科 キケマン属の越年草

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920  カレーでも作るか妻の春愁に  やすのり

2013年05月07日 | 

 掲句は、今朝の朝日俳壇の句。伝統俳句の稲畑汀子氏と現代俳句の金子兜太両氏に選ばれた。大笑いである。

  偶然であろうが、俳句界の対極にあるお二人が共に選んでいるが、この句は、どちらかと言えば現代俳句の兜太氏の分野の句だから採って当然であろう。そして、汀子氏が採った理由は、やはり女心。夫の優しさにほろっときたのであろう。お二人は、テレビで時々拝見するが、ボケとツッコミの漫才のような丁々発止の会話が面白い。

  いづれにしても、伝統俳句と現代俳句が別れているなんておかしな話で、これは元々俳句という同根から生まれていることを証明した、実に楽しい事件であった。

ムラサキケマン(紫華鬘)  ケマンソウ科キケマン属の越年草

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919  2013年4月 岩戸句会

2013年05月05日 | 

哀しみの砂場に沁みるぶうらんこ    正太

ふらここやこむらがえりの昼下がり

 

ふらここや昔天迄届きをり           稱子  

キャベツ大根そして金魚も買いにけり

盗人と言われればそう筍掘る

 

藤房の光芒の下死のはなし      薪

洗濯バサミつまんでいたり春の雲

 

用意した嘘を忘れて四月馬鹿    遊石

木蓮のつぼみに誰も眼もくれん

 

ふらここやきりりと天空晴れてをり   章子

春昼や耳にけだるき京言葉

 

黄木香石工が石を仏にす        歩智

囀りの真只中にてなお静か 

 

ぶらんこや四時方向に何時も母    炎火

水田に田螺の跡や古希迎ふ

 

朝まだき小手毬揺れて貨車が行く   鼓夢

ぶらんこに座る妻の背押してやる

 

ふらここや笑顔の母の塩むすび    豊春

宅配のベルに起こされ目借時

 

死に近きアバンギャルドに華のあり   侠心

朝採りし蕗青々とほろ苦き

 

タンポポが子供残しに空を飛ぶ     空白

初孫の学ラン姿頼もしき

   

薫風やピンクのシャツの伊達男     洋子

柏餅よりも色濃き茶を入れる

   

ふらここやいつもどこ吹く風に乗り    雲水

遠スカイツリーへなへな陽炎える

 

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918  八丈の闇の闇よりアオバズク  さくら

2013年05月02日 | 

 アオバズクは、フクロウ目 フクロウ科アオバズク属の夏鳥で、準絶滅危惧種だそうである。営巣できる洞のある森の大木の減少が原因のようである。

八丈島は、伊豆大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島と共に伊豆七島の一つ。残念ながら、私は八丈島に行ったこともないし、アオバズクの鳴き声をこの耳で直に聞いたこともない。

しかし、伊豆半島にもアオバズクは繁殖しているらしいので、鳴き声はインターネットで時々聞いてはいるが、深夜の山を探索する習慣を身につける必要がありそうだ。

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917  ひげ面の窯場の親爺新緑光   多留男

2013年05月01日 | 

 私の俳句の師匠,多留男先生は御年94歳である。今日の句会に、弟子がお迎えに行ったのだが、「句が出来ない」と嘆いておられたとか。それでも私の仕事場に到着して、なんとか3句作って投句なされた。その内の一句が掲句である。

 「ひげ面の親爺」とは勿論私のことで、こんな言われ方は初めてなので情けない気もするが、実際私はそういう年なんだ、と素直に聞き入れてしまった。師匠に言われたからこその強い説得力であった。

トキワマンサク(常磐万作)  マンサク科

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