3時、娘に起こされる。とはいっても泣いているわけではなく、ご機嫌で部屋を這い回っている。体調が悪化していないようで安心すると同時に、これは簡単には寝てくれそうだなと悟る。妻も起きているので、まずはお任せして私は眠る。
4時半前になって妻が自力で寝かし付けることを断念し、私を起こす。1時間半も頑張ってくれたようだ。どうしても母乳の匂いがしてしまうので、夜間断乳をしながら母が赤ちゃんを寝かし付けるのはかなり難しいのだ。特に今日は難易度が高く、私が抱っこをしてからもなかなか(布団に置いても大丈夫なような)熟睡には至らなかった。結局私も30分以上時間を掛け、無事に娘を布団に寝かせたのは5時過ぎだった。
8時起床。朝食はトーストとウインナー。妻がトーストを焼いてくれていたのだが、焼いているのを忘れてパンが丸焦げになっていた。
午前中、妻が娘を連れて菊名にある内科(下痢の診察)と皮膚科(下痢に伴うおむつかぶれの診察)へ出掛ける。とはいっても、今朝になって娘はかなり元気になっているので、一応という感じだ。私はというと、洗濯が終わっていなかったので20分ほど後から追い掛けた。
菊名までは、ひたすら住宅街を歩く。この辺は土地の値段もかなり高いので、住んでいるのはお金持ちばかりだ。だから、停まっている車も高級車が多い。
病院に到着すると、ちょうど診察は終わったところだった。私たちは下痢の原因について、先日私が鍵を忘れたせいで娘を30分以上寒空の下にいさせてしまったことだと考えていたのだが、先生曰くお腹を冷やしたくらいの下痢が2,3日続くことはなく、何かしらのウイルス的なものによる胃腸炎だろうとのことだった(ノロウイルスの可能性もあるらしい)。ただ、いずれにしても対策としては悪いものを出し切ってしまうことに尽きる、とのこと。薬は整腸剤を出して頂いた。また、これは全くの勉強不足だったのだが、下痢をしている間は母乳やミルクよりもお粥などを食べたほうが良いらしい。「大人が下痢した時に、お粥より牛乳を飲む人はいないでしょう?」だそうだ。なるほど、確かにその通りだ。これまで私は、お粥を含め離乳食は胃に負担が掛かるから、こういう時は母乳やミルクの割合を増やしたほうがいいと思っていた。危ない危ない。勉強になりました。皮膚科のほうではいつもの乳液を頂くと共に、たまに目元にできる赤い腫れを写真に撮っておいたものを見てもらったところ、じんましんだと教えて頂いた。ただ、それほどひどいものではないので、現状のままなら様子見で大丈夫らしい。
薬局で薬を頂き、3人で家に帰る。
私はまたすぐに家を出て、買い物がてらウォーキングに出掛ける。
11時を過ぎてお腹も空いてきたので、「広島屋」で早めの昼食をとることにする。注文は、メンチカツ定食。料理を持ってきた女将さんが、「良かったらウインナーも食べてね」と微笑んでくれる。厨房から顔を出した大将も「良かったら食べて」と声を掛けてくれる。この圧倒的なホーム感は何だろう。メイン料理はメンチカツだったはずなのだが、ウインナーの美味しさが強く心に刻まれた。お会計の時に大将にお礼を言うと、「明日休みだからさ、早朝サービスだよ」と笑っていた。こんなに温かい気持ちになる食堂に出会えるとは。お店を出る時には、既に次は何を食べようかと考えていた。
新横浜駅方面へ引き返す。途中、ドラッグストアで買い物をしてから、12時過ぎに帰宅。歩行距離は6.8キロだった。思っていたより歩いていた。
午後、ここ数日の疲れが一気にやってくる。娘がお昼寝をしている間に少し仮眠をとることができたが、それでもやはり身体が重い。
娘のお風呂を早めに済ませ、17時過ぎに家を出て職場の旧プロジェクトチームの飲み会(忘年会)へ出掛ける。このチームは部署や役職を超えて結成されていたもので、今は事務方のトップになった上司もいらっしゃるのだが、みんな気心の知れた関係なので、チームが解散した以降もこうして飲み会を継続している。何を言ってもいいし、何を言われても大丈夫な関係性が構築できているメンバーなのだ。今日は、1軒目では魚料理、2軒目では鳥料理を食べながら、真面目な話からとんでもない下衆な話まで、良い話も、悪い話も、良くも悪くもある話も、とにかくたくさん話をした。私にとっては、これが今年最後の飲み会だった。休みに入って以降もたくさんの職場の飲み会に誘って頂いてきたが、最後の飲み会がこの皆さんとの飲み会だったことを嬉しく思う。来年から、どうぞよろしくお願い致します。
23時過ぎに帰宅。入浴を済ませ、妻とお喋りをして、さあそろそろ寝ようかと思った0時過ぎに、娘が起きて来る。ここからは明日の日記に続く。