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人生そのものがフィールドワーク。

4月26日(火)

2011年04月26日 23時24分38秒 | 2011年

  6時起床。出勤後、1時間ほどで上司と出張に出掛ける。目的地は、相模湖。中央線で高尾のもう1つ先の駅である。位置的には東京都もしくは山梨県のような場所だが、実はここも神奈川県である。ただし、横浜からだと横浜線と中央線を乗り継いで約1時間半掛かる。高尾からは鉄道の車両も田舎風(115系)になり、軽い旅行という感じだ。


高尾駅からはこの電車に乗り換える。

  相模湖駅前で他の支援機関のアドバイザーさんと診断士の先生と待ち合わせ、まずは「レストランマツキ」で昼食。以前(昨年8月23日)にプライベートで来た時に見つけたお店である。前回はわかさぎを食べたが、今回は普通に白身魚のフライ定食を食べた。ごく普通のフライだった。


晴れた日の相模湖の景色はなかなか素晴らしい。

  仕事を終え、17時過ぎにオフィスに戻る。内容は公開できないが、この案件は非常に興味深い。今後も何度か相模湖まで足を運ぶことになるだろう。今から楽しみだ。

  20時過ぎに帰宅し、テレビでプロ野球、日本ハムvs.ソフトバンクの試合を観る(結果は3-2で日本ハムの勝利)。今日はダルビッシュ投手が先発で、素晴らしいピッチングを披露した。特に、8回無死満塁からのピッチングには鬼気迫るものがあり、背筋がゾクゾクした。パ・リーグには素晴らしい投手が数多くいるが、その中でもやはり彼はずば抜けている。日本ハムファンの贔屓目かもしれないが、彼は日本球界史上最高の投手ではないだろうか。

  最近は読んだ本の感想を全く書いていなかったので、たまには「俺も少しは本ぐらい読むんですよ」アピールをしておこう。題材は、山根純佳『なぜ女性はケア労働をするのか』。性別分業が再生産される理由を説明する理論には、これまで主に「物質構造決定論」「主体選択論」「ジェンダー秩序論」などがあったが、著者曰くどの理論も有効とはいえない。そこで彼女が注目するのが、「エージェンシー」という概念である(ちなみに、本書におけるエージェンシーの定義は、「構造に対する解釈にもとづいた能動的実践」となっている)。

経済資源やケア資源の配分構造、ジェンダーをめぐる評価構造のもとでの男女の能動的実践によって性別分業は再生産されている。一方で、「ケア=女性の責任」という言説に対する「批判的解釈実践」や、経済資源を用いた女性の「交渉実践」は性別分業の変動の契機となる。さらに交渉実践は男女の利益対立を乗りこえて、男性の意識、価値そのものを変えていく可能性を持っている。(P208-209)

つまり、エージェンシーは性別分業を再生産することもあるし、変動(再編)させることもある。それは私的領域のみならず、公的領域においてもいえる。ここまではすこぶる納得。しかし、ここからクライマックスに入ると、少しわからなくなってくる。最終的に著者は、性別分業の再生産を超えるために必要なこととして、「あらゆる職種における女性のキャリア形成と社会的評価獲得の場の拡大」や、「所得税の配偶差控除・社会保険の第三号被保険者制度の廃止」、「ケアサービスの社会的整備」などを挙げている。しかし、これらの提言は本書以前から散々言われてきていることだ。別にその提言が間違っているとは思わないのだが、「それだけ?」というのが私の感想である。それなら別に、エージェンシーという概念を持ってこなくてもいいんじゃないの?と思ってしまう私は、本書に対する理解が不足しているのだろうか。もちろん、本書のテーマは「なんで女ばっかりがケア労働してんの?」であって、その議論はわかりやすく提示されているのだから別に構わないのだが、そこから次に出てくる”処方箋”がどうにも弱い。そこまでが非常に面白かっただけに、最後の最後でちょっと肩透かしを喰らったような感覚である。

  こんなことを言いつつも、実は私はこの著者には尊敬の念を抱いている。学生時代にちょくちょく見に行っていたゼミやシンポジウムで発言する彼女の姿が、単純にカッコイイものだったのだ。理路整然とした語り口で、何度も「なるほど~」と思わされた。そんな著者が上野先生の下で博士論文を書き、それがこうして本になったというのは勝手ながら私にとっても感慨深いもので、思わず手に取った次第である。元々あまり活字と仲良くない(だからこそ「本を読んでます」アピールをしたくなる)私なので理解できないことも多々あるのだが、それでもやっぱりこういう本を読むのはとても楽しい。