社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

4月2日(火)

2013年04月03日 01時41分29秒 | 2013年

  7時起床。朝から雨が降っており、結局一日中降り続いた。ただ、気温はそれほど低くなく、風もそれほど強くなかったので、風情を楽しむことの出来る雨だったように思う。

  幸運なことに出張の予定がなく、今日は一日オフィスで過ごした。担当している任意団体の決算処理も何とか無事に一段落し、あとは監査資料を整えて、その後の監査理事会と総会を終えれば、無事に昨年度が終了する。

  昼食は、韓国料理屋のカルビクッパ。スープの中にご飯を全部入れて、お茶漬けのようにして食べると美味しい。

  19時過ぎに帰宅。夕食をとったら強烈な睡魔が襲ってきて、そのままコタツで居眠り。起きたら23時を回ったところだった。コタツで眠るのって、どうしてこんなに気持ちが良いのだろう。特に、私はコタツが大好きで、秋が深まった頃にコタツが設置されると嬉しく、冬の間は家で過ごす大半の時間を共に過ごし、春先に撤去されると辛く悲しかった。そして、1人暮らしを始めてからは念願の万年床ならぬ万年コタツを実現させ、夏でもコタツを使っているくらい(もちろん電源は入れないが)。通常の家庭ではそろそろ撤去される時期なのだろうが、我が家では関係ない。


4月1日(月)

2013年04月03日 01時17分12秒 | 2013年

  7時起床。今日から新年度。心なしか、通勤の電車が混んでいたように感じる。

  朝一で辞令交付と専務訓示。予定通り昇格してお給料が上がった。これで、日々の生活がほんの少しだけ楽になる。また、訓示の中では、今回行われた組織再編についての上層部の意図が説明された。私たちの組織ではこれまで、各部の下にチームが置かれており、基本的にチーム単位で業務が割り振られていた。しかし、今回の再編でチームが廃止され、部長の下に直接部員全員が配置されるようになった。チームという枠にとらわれず、部全体で臨機応変に各種業務に取り組むようにして欲しいそうである。確かに、チームという枠がなくなることで、各人の仕事の幅は広がるだろう。一方で、全体で取り組むと言えば聞こえはいいが、取り組む人数が増えることで各々の当事者意識や責任感が弱まるのではないかという懸念もある。この再編によって組織の機能がどのように変化し、業績にどのような効果を与えるのか。少し他人事のような言い方になってしまうが、結果が楽しみである。ちなみに、観察者としての私の仮説は、業績が落ちるか、同じもしくはより良い業績を上げたとしても余計なコストが掛かる(費用対効果が落ちる)か、どちらにしても悪い結果が出るだろうというものである。もちろん、当事者としての私は、その仮説が当たらないよう努力しようと思う。

  その後、午前中から午後の早い時間に掛けて、オフィス内のお引越し作業。私は向かいの席に移動するだけなので楽だろうと思っていたのだが、そもそもの机の配置場所をずらさなければならなかったり、ネットワーク系統の配線を一度全て外す必要があったりして、かなりの時間と体力を使った。そして結局、今日は一日そういった周辺環境の整理で終わってしまった。

  昼食は、寿司屋「わさび亭」のマグロユッケ丼。これはこれで美味しい。しかし、このお店にはもっと魅力的な御膳メニューがある。お刺身や天婦羅、煮魚など様々な料理を楽しめる御膳で、値段も安い。しかし、12時を過ぎてから行くとほとんど売り切れになっていて、これまで結局1度も食べたことがない。集客用のメニューで儲からないからという理由は理解出来るが、さすがに数が少なすぎるような気がする。

  19時半前に帰宅。最近、友人たちから恋愛話(それもなかなか複雑なもの)を聞いていて、それがひとつの区切りを迎えた。当事者全員を知っている第三者が私だけということもあり、今回は珍しくかなり突っ込んでお節介を焼いてしまった。以前私が似た状況に陥っていた際に、第三者がいたらやって欲しかったことをやったのだが、それが良かったのかどうかはわからない。彼らが私と同じことを望んでいたかどうかはわからないし、さらに言えば、過去が常に現在から再構築されるのだとすれば、今の私が「当時望んでいた」と思っていることを、本当に当時の私が望んでいたのかはわからない。もちろん、相談されたことに応じて自分から出てくるアドバイスや行動が、自分の過去の経験にしばられてしまうのはある程度仕方ない、ということもわかっている。しかし、今回はただ話を聞くだけでなく行動にまで出てしまったことで、それが本当に彼らのニーズに沿ったものだったのか、それとも過去の自分の失敗を打ち消せるような気がして(自分自身のために)やったことだったのか、今になってそんなことを考えている。そして、彼らの行く末よりもこんなことを考えている自分もまた、自分勝手なのではないかと考えている。