7時半起床。
朝食はソイプロテイン。
9時半過ぎに家を出る。今日は、実家の母と弟一家と川口市立グリーンセンターへ遊びに行く。
新幹線と東北本線を乗り継いで赤羽まで出て、歩いて赤羽岩淵へ移動する。
そういえば、今は新横浜から1本でも来ることが出来る。新横浜を起点とすると、東急新横浜線、目黒線、東京メトロ南北線を乗り通す形になる。
時間はかなり掛かるだろうと思ったが…
反対方面への次の電車は新横浜行きだ。調べてみると、新横浜到着は11時08分。思っていたよりも早い。まあ、乗り通す人はいないだろうが。
私たちは埼玉方面へ向かう埼玉高速鉄道直通列車に乗る。
新井宿駅で下車。近くはないが、一応ここがグリーンセンターの最寄り駅である。そうか、行こうと思えばここへも1本で来れるのか。
10分ほど歩き、グリーンセンターに到着。母と弟一家と合流する。子どもたちはもちろん、私もワクワクしてくる。子ども時代を川口市民として過ごした大人はみんなそうだろう。
遊具コーナーを駆け回る子どもたちを追いかけ、巨大滑り台に挑戦するのを見守り、恐竜の乗り物に課金する。
ミニ鉄道にも乗る。本格的な車両で園内を1周することができ、私が子どもの頃からの大人気アトラクションである。曜日によっては本物の石炭で走る蒸気機関車型車両に乗ることも出来る。結局今日は全部で4回も乗った。
昼食のタイミングで、一旦私は離脱する。
先ほどの新井宿駅を通り越し、20分ほど歩いて旧鳩ケ谷市(2011年に川口市と合併)の地域へ。
バス通りから脇道へ入り、かつて私が通っていた幼稚園(跡地)を見に行く。左手に見える建物は様変わりしているのだろうが、送迎車から眺めていたこの道の景色はしっかり覚えている。
目印となる教会の裏に保育園(川口市立桜保育所)を見つける。私が通っていたのはキリスト教(プロテスタント)系の幼稚園で、教会の裏に園舎や園庭があったというのは間違いない。幼稚園がその後保育園になったのだろうか。しかし、どう考えてもこの景色とかつての記憶が一致しない。
教会へ行ってみると、ちょうど日曜礼拝が終わったタイミングだったようで、受付に気品溢れるマダムがいらっしゃった。「つかぬ事をお伺いしますが、以前ここに幼稚園がありませんでしたか?」とお声がけする。私が卒園生だと話すと、とても喜んでくださった。私より少し上のお子さんがいらっしゃり、お子さんもここの幼稚園に通っていらっしゃったそうで、当時から現在のことまでよくご存じで、とても丁寧に教えてくだった。
この鳩ケ谷福音自由教会は、かつては道を挟んで向かい(今は駐車場になっている場所)に建っており、その裏(今はアパートが建ち並んでいる場所)に私が30数年前に通っていた「愛育幼稚園」があった。
当時の園や先生方のお話から、「ご年齢からすると、Tさんはご存じ?」と同級生の名前が出て来て驚く。しかも、今日の礼拝にTさんのご両親も参加されていたそうだ。Tさんと私は卒園後は全く別々だったのだが、たまたま入った高校が同じで再会した。卒業後は完全に疎遠になってしまっていたので、近況が聞けてとても懐かしい気持ちになった。
私の近況も少しお話し、お礼を言って教会を後にする。完全な思い付きだったのだが、来てみて良かった。お忙しいところ急にお時間を頂き、ありがとうございました。
グリーンセンターに戻る。入れ替わりで、美容室に行くため妻が先に帰宅する。
展望台、遊具、(4回目の)ミニ鉄道を満喫してから、芝生広場へ移動して鬼ごっこ。氷鬼という派生版で、子どもたちにルールを教えてもらってから、鬼として芝生を走り回る。氷鬼のルール自体が鬼にとって過酷であることに加えて、なぜか更に不利になるルールが(子どもたちの合議によって)課せられており、ヘトヘトになった上に完敗した。
弟の車に乗せてもらって実家へ移動し、夕食を食べさせてもらう。焼肉とお刺身という豪華メニューで、お腹いっぱい食べる。
卓球やレゴなどで遊ぶ子どもたちを眺めながら、少しうたた寝。
このまま泊まらせてもらおうかとも思ったのだが、着替えや娘のお泊りセットを持ってきていないので、気合いを入れてコタツから出る。
20時過ぎにお暇する。丸一日元気に遊んでいたし、この時間だし、娘は爆睡だろうと思っていたのだが、結局電車の中では一睡もしなかった。更に、駅から自宅までも元気に歩き切った。まだハイテンションの余韻が残っていたようである。
21時半前に帰宅。妻がお風呂の準備をしておいてくれたので、すぐに娘を入浴させる。
その後、私がお風呂から出ると、娘は既に眠っていた。歯磨きをしている間に寝落ちしたそうだ。
今日は娘は本当に大喜びだった。母と弟一家の皆さんに感謝である。
日付が変わる頃に就寝。