社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

1月1日(月) 5年振りの再会。

2024年01月03日 08時02分07秒 | 2024年

 8時起床。

 朝食はソイプロテイン。

 10時半過ぎに家を出て、新幹線で東京駅へ出る。

 そのまま新幹線ホームで待機し、大阪から来る(母方の)祖母を出迎える…

 はずだったのだが、乗っているはずの列車から降りてこない。

 新大阪で間違えて1本前ののぞみ号に乗ってしまい、車掌さんのご厚意でそのまま空席に乗せてもらってやって来たとのこと。「無事に乗れましたか?」「乗れましたよー」というLINEのやりとりの際になぜそれを伝えない?という文句は飲み込み、とりあえず無事に合流することが出来たので良しとしよう。

 祖母を連れて西川口の実家に帰省する。妻と娘は川越の義実家から既に到着済み。弟一家は一番下の姪っ子ちゃんがアデノに感染して数日前まで症状があったため、娘との接触を回避するために明日帰ってくることになっている。

 今年のおせち料理は、弟の会社で余ったという既製品がプレゼントされていた。

 失礼な言い方になってしまうが、思っていたよりはちゃんと美味しい。

 今回は無料だったそうだが、普通に買ったらいくらくらいするのだろう。

 そんな中、我が家恒例のクワイはきちんと母が用意してくれていた。美味しくはないが、「芽を出す」ためにしっかり食べる。

 母の手作りチャーシューは美味しい。娘も喜んで食べていた。

 いくらとチーズのクラッカー。チーズがデパートの高級品だそうで、コク深くて美味しい。

 メインはカニ鍋。本格的に蟹を食べたのはいつ以来だろう。「こんなに美味しかったんだっけ…」という純粋な驚きを感じながらたくさん食べる。

 雑炊も言わずもがなの美味しさだった。

 デザートは花びら餅。

 娘の大好きな苺も用意してくれていた。

 今回の帰省は特別なものだった。久しぶりに祖母とゆっくり話をすることが出来たし、遂に娘(祖母にとっては曾孫)の顔を見せることが出来た。前回祖母と会ったのは娘のお食い初めの時で、その後コロナが始まって長らく会えず、落ち着いてからも大阪まで行ってから娘が発熱してドタキャンになったりしていたので、今日は念願の再会だった。正直なところ、もしかするとこのまま会えず仕舞いになってしまうのでは…という不安もあったので、今日という日が来て本当に良かった。

 一方で、施設に入っている父方の祖母には会えなかったので、また近い内に帰って来たい。

 16時過ぎに地震があった。埼玉は小さな揺れが長く続いただけで済んだが、震源地の北陸地方は大変なことになっている。大津波警報が発令され、NHKのアナウンサーがかなり強い口調で避難を呼びかけている。東日本大震災の教訓がきちんと生かされている。公共放送のあるべき姿だと思う。

 17時過ぎにお暇し、川越の義実家へ移動する。駅では北陸、上越、東北、秋田新幹線が見合わせているという放送が繰り返されていた。どうしても3.11を思い出してしまうが、娘を不安にさせないよう普段通りに行動する。

 川越駅まで義父に迎えに来て頂き、18時半過ぎに義実家へ到着。

 夕食は年越し”た”蕎麦。豪華な鴨南蛮である。

 娘と一緒に入浴。娘は実家の母からプレゼントしてもらったジュラシックワールドのレゴを早く完成させたいようで、普段にはないくらいテキパキと身体を洗っていた。

 娘を寝かしつけてから居間へ戻り、しばし大人の時間を過ごす。私はジンジャエールだが。

 テレビは地震一色である。よりよって元日に起きなくてもと思ったが、一方でお正月だから若者が帰省で戻って来ていて助かっているという側面もあるようだ。残念ながら亡くなってしまった方もいらっしゃるとのことだが、少しでも被害が小さく留まるよう祈るばかりである。

 23時半過ぎに就寝。