2月になった。
2月のネタとは違うと思うが、ここ何年かで年賀状が絶滅の危機にある。僕は毎年友人知人の皆さんに年賀状を出しているが、2~3年前から「今回を以って年賀状は遠慮させて頂きます」と書かれた年賀状を受け取る事が多くなってきた。当初は割と高齢の人からの通知が多かったので、年齢と共に年賀状書くのが面倒になってきたのだろう、なんて思ってたけど、近頃は同年代の人からも「年賀状やめます」なんて通知が来るようになり、年齢とは関係なく「脱」或いは「卒」年賀状の動きが広がっているようだ。ちょっと淋しいものがある。
実際の所、「脱年賀状」の動きはコロナ禍の頃から徐々に広まっていたような気がする。プライベートもさることながら、取引先からも「脱年賀状」の連絡が来るようになり、2~3年前には、我が社も年賀状をやめてしまった。ま、個人はともかく、会社で出す年賀状というのが意外と面倒臭くて、10月頃には各部署ではがきが何枚必要か申請せねばならないので、まだそんな気分じゃないのに、どこの誰に年賀状送るか決めないといけないし、出すに当たっては、取引先の人の役職やら何やらちゃんと調べないといけないし(A印刷のB専務宛てに年賀状送ったら、Bは昨年の株主総会を以って退職しました、なんて言われた事も多数)、宛名印刷して投函するスケジュールの都合上、11月中には送付先リストを作らないといけないし、そのリストも担当者別に集めるのだが、遅い奴とか間違ってる奴とかいるし、結構手がかかって大変なもんで、会社の「脱年賀状」はそれなりに有難かったのだが、プライベートの場合、友人知人への新年の挨拶はもちろん、僕の場合は生存確認、つまり自分はまだ生きてますよ、と皆さんにお知らせする目的もあるもんで、おいそれとやめる訳にもいかない。ま、僕が生きてる死んでるか、なんて大半の人からすればどうでもいいことであろうが。
年賀状を送らなくなる、というのは、日本の古来からの風習がまたひとつ消えていく訳でもあり、時代がそうですからねぇ、では済まない気がするのだが、現在のような年賀状のシステムが出来たのは、19世紀の終わり頃らしい。年賀状はハガキで、12月○日までに投函すれば1月1日に配達しますよ、というお馴染みのアレだが、19世紀の終わりならちっとも古来じゃないじゃん、と言われてしまいそうだが、新年に知り合いを訪問して挨拶する、というのは平安時代には確立されており、遠方の人には文書を送る、というのもこの頃から行われているそうな。ま、古来からの風習には違いないし、この先も持続させたいもの。今のようなシステムでなくてもいいから。
しかし、思い起こしてみると、昔というか小学生から高校生の頃にかけては、毎年熱心に年賀状に取り組んでいたような気がする。それこそ、11月くらいには図案を考え始め、12月初旬には全て印刷(全て手書きの方が多かったけど)して宛名書きも完了させていた。毎回40~50通くらいは出してたと思う。今思えば、デザインを考えたりするのも楽しかったような。僕はあまり使わなかったけど、プリントゴッコなんてのも流行ったなぁ。社会人になってから、年賀状を印刷所に頼んだりしてた事もあった。あの頃は、ハガキの印刷とかやってくれる小さな印刷所が、商店街とかに結構あったのだ。パソコンが普及してハガキは家で印刷するのがフツーになって、町の印刷所は徐々に姿を消していった。年賀状はこういう所にも影響を及ぼしているのだ。
僕も、実は年賀状というか年賀ハガキを送っていなかった時期がある。ある年、自宅で年賀状を印刷しようとしたら、プリンターの故障かインク切れかよく分からないけど、とにかく印刷が出来ず、年末ギリギリだった事もあり、その時は年賀状発送を諦めたのだが、結局それがそのまま数年続いてしまったのだ。年賀状をメールで送る、という方法もあったしね。で、年賀ハガキは送らないけど年賀メールは送る、というパターンが何年か続いた後、結婚と同時くらいに年賀ハガキ再開して現在に至るという訳だ。
ネットで見てると、ハガキにせよメールにせよ、年賀状の前に住所録の整理をする人は多いようだが、大半の人たちは、整理する=減らす(削除する)という事になるらしい。しばらく会ってないから、しばらく交流がないから削除、ってとこかな。しばらく会ってないのしばらくとはどれくらい、と思うが、長くて一年みたいな感じ。ま、若い時は分かる。自分もそうだったけど、今と未来が大事で、しばらく会ってない古い友人、なんてのはさほど重要じゃなかった。新しい知り合いは、それなりに増えていくしね。ここ数年の自分は、久しく会ってない古い友人が気になるし、会わないにても連絡は取れるようにしておこう、という気になったもんで、住所録から削除、なんて考えもしないが、それはやはり年を取ったからなのだな、とつくづく思う。ま、年取ったからこそ、住所録から知り合いを削除していく人もいるようだが。
先ほど、年賀状はハガキでなくメールで、と書いたが、こういうのは今でもフツーにあるらしい。”あけおめメール”とか言うらしいが、僕も一時期元旦に”あけおめメール”を送っていた。これはこれで良いのでは、と思うけど、最近どうもそのメールの在り方が、昔と違ってきた気がする。ここ2~3年気になってるのだが、最近メールなんて見ない或いはしないって人多くない? 久々に知り合いにメールしたら、このアドレスは存在しません、とか言われるならまだしも、何も言ってこないので、このアドレスはまだ有効のようだな、と思ったはいいが、ちっとも相手から反応がない、というケースが何回かあって、しょうもないメールなんで無視してるんだろう、とは思うけど、実は見てないんじゃないか、メールチェックとかすらしてないんじゃないか、という気になったりもするのだ。でも、メールもSNSもやってなくて、どうやって外部と連絡とるんだろう? LINE? そういう人たちにこそ、手紙やFAXを有効活用してほしいものだが(笑)
たがだか年賀状と思うけど、「脱年賀状」となると、色々なところに影響が及ぶ。いや、年賀状だけの問題ではない。一般人が手紙を書かなくなって、郵便物が減っている、というのは以前から聴いてたけど、最近は、テレビCMでもお馴染み、請求書もネットで送る時代になってきて、CMでもはっきりと郵便料金をゼロにします、と謳ってたりなんかして、とにかく郵便物がなくなっているのだ。個人だけならともかく企業の郵便物がなくなると打撃デカいと思う。世界に誇る日本の郵政システムが消滅の危機なのである。でも確かに、色々考えると、郵便もある意味存続が難しい面はあるね。
前述したように、近年「脱年賀状」の傾向にあるが、その目的は、めんどくさいというのがほとんどであろうが、ゴミを減らすというのもあるのだろう。ま、親しい人からの肉筆の手紙ならいざしらず、DMだの何だのは、用が済めばゴミでしかない。コロナ禍をきっかけとして、年始の挨拶の概念も変わり、それに伴い年賀状の意味も変わってきた、というのもあると思うし。
それにしても、今までずっと当たり前と思ってた習慣や風習や概念が、時代の変化と共に消えたり変化したり、というのを年賀状だけでなく、色々な事でひしひしと感じている。予想すらしてなかった、というのも多い。こういうのに慣れていかないといけないのだろうが、僕が小さい頃にも、こういう変化を体験した年配者は多数いたと思うけど、皆さん、どう思っていたのだろう。仕方ないね、だったのか、世も末だ、だったのか。こういうのを通過していくのが、年を取る、という事なんだろう。で、ついていけないのが老害だと(笑)
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