日々の覚書

MFCオーナーのブログ

悲しい知らせ

2009年07月05日 22時27分26秒 | あれこれレポート

実にショッキングで残念な知らせである。かつて、しょっちゅう入り浸っていた京都・北山のライブバーBBAが、今月いっぱいで閉店するそうだ。正に残念としか言いようがない。

思えば、僕が初めてBBAに行ったのは、2004年8月のことであった。もう、5年前か。多分、間違いはないはず。夏の甲子園で駒大苫小牧が初優勝した時だ。あの時は、JunGreen氏に連れられていったはず。その年のA Night At RAGの打ち合わせやリハがBBAで行なわれた為、夏から秋にかけて何回か通った。そして、翌年2月、おそらく我々の仲間内では初めてのセッションがBBAで行なわれ、その頃には既に、常連面して出入りしていたような気がする(笑)

その後の事は、何度もブログネタにしてるので、ご存知の方も多いだろう。2006年からは、「プロデューサー・ナイト」の名の元に、ほぼ月一回ペースでセッションが開催され、こっちも毎月のように、場合によっては毎週のようにBBAに通っていた。正直申し上げると、東大阪に住んでいた僕からすると、北山は遠かった。帰りはJRで大阪市内までたどり着いたら、その先はタクシー。交通費が結構かかったけど、それでも通っていた。何故なら、BBAが良い店だったからだ。

実際、通うのは大変だけど、そんな事はどうでもよくなるくらい、BBAのセッションは楽しかった。お題も様々だったし、フツーなら経験出来ないような曲も演奏できた。たくさんの仲間と知り合い、セッション以外の場所でも楽しく過ごす事ができた。たくさんの刺激と音楽的充足感、BBAは僕だけでなく、そこに集まる皆に貴重な時間と空間を提供してくれる場所だった。

毎月のように行なわれていたセッションだけど、去年あたりから少なくなってきた。セッションに集まる人たちでバンドを結成したりして、徐々に皆さん忙しくなってきて、企画する人も集まる人も少なくなってきたからだ。実際、僕の記憶でも、去年はBBAでのセッションは、4回くらいしか行なわれていない。前の年までの盛り上がりが嘘みたいだった。

僕にとって、最後のBBAとなったのは、今年3月の大太犬ライブである。転勤する事になったので、大慌てで入れたライブだったけど、マスターは快くOKしてくれて、当日も名残りを惜しんでくれた。僕は関西から離れるけど、年に1~2回は舞い戻ってきて、BBAセッションに顔を出したい、なんて思っていたので、今回閉店の知らせを聞いた時は、愕然とした。BBAがなくなるなんて。悪い冗談であってくれれば、と実は今でも思っている。

そんな訳で、BBAと共にあった5年間、本当に思い出深い5年間、その5年間に参加したセッションの中で、特に思い出深いものをリストアップしてみた。

1.アビー・ロード・セッション(2006.6.24)
ビートルズの『アビー・ロード』全曲をやってしまおう、という無謀といえば無謀な企画(笑)。まさか出来るとは思わなかったけど、出来た(笑)。しかも、事前リハの成果もあるだろうけど、予想よりも良い出来になった。その時の模様を収めたDVDがあるのだが、贔屓目でなく、ほとんどぶっつけ本番のセッションでここまでやれるなんて凄いっ!、と自画自賛してしまうくらい、素晴らしい内容である。みんな、凄いなぁ。ビートルズの素晴らしさを再認識できたセッションでもあった。とにかく、BBAというと真っ先に思い出してしまうのが、アビー・ロード・セッションである。

2.ザ・フー&ストーンズ・セッション(2007.3.10)
英国老舗バンドをネタにしたセッションで、意外なことにBBAでストーンズがネタになるのは初めてだった。ま、それ以上に、僕にとってこのセッションが思い出深いのは、固定メンバーでザ・フーの「Young Man's Blues」「Substitute」「Summertime Blues」「My Generation」の4曲を、『ライブ・アット・リーズ』のバージョンで演奏したからである。フーは正直言ってよく知らん、というか苦手な部類に入るバンドであり、それまでろくに聴いた事もなかった。が、成り行きでやる事になり、渡された音源を聴いてみると、キース・ムーンのプレイが凄まじくて、コピーなんぞ不可能である。ま、それでも、キース・ムーンらしく見せかけよう、とあれこれ策を講じ、まぁなんとか本番を終える事が出来た。しかも、手前味噌ではないと思うが、意外と好評だったもんで、またやろうね、なんて調子こいてしまったのも確か(笑)。結局、またやろうね、は実現しないまま今に至るのだが、そんなこんなもあって、思い出深いのである。

3.クイーン・セッション(2005.2.11)
BBAでも何回かクイーン・セッションは行なわれたし、それぞれに印象深いものがあるのだが、その中でも一番というと、2005年2月の、多分最初のクイーン・セッションではないか。札幌からjazzさんがやって来る、というので企画されたセッションだったのだが、今のように事前に全曲きちんと決まっていた訳ではなく、その場その場のノリで予定外の曲も演奏されたりして、結構テキトーだったのが、また楽しかったのである(笑)。あの頃は、22時以降は音出し厳禁、なんて決まりはなかったし、0時過ぎまで皆で楽しく騒いでいた。この時、初めてセッションというものを体験し、気がつけばそのまま常連になってしまった、という主婦も多いかと(笑)。ある意味、原点となるセッションだった。

4.産業ロック・セッション(2006.1.15)
この時が、「プロデューサー・ナイト」と冠されたセッションの第一回だったように思う。ジャーニー、TOTO、そしてフォリナーをメインに、産業系で固めたセッション、今にして思うと、よくこんな事やらせてくれたな、って感じ(笑)。なにせ、セッションのトリがフォリナーという、あり得ない展開だった訳だし(笑)。BBAだからこそ実現したセッションの典型ではなかろうか。改めて、BBAマスターにはお礼申し上げますm(_ _)m 

5.ウィングス・セッション(2006.11/3)
同率5位(笑)のひとつめは、ウィングス・セッション。なんと、あの3枚組ライブ『Wings Over America』を再現しよう、というのが目玉のセッションだったのだ。なんというか、ありそうでなかったというか、これまた無謀というか(笑)。いやしかし、実に充実したセッションだったと思う。僕も、たくさん叩かせて貰えて、念願だった「ロック・ショー」までやれたのであるから、満足でない訳がない(笑)。忘れられがちな、サー・ジェームス・ポール・マッカートニーの偉業を改めて称えましょう、というコンセプトもばっちりであった(笑)

5.Brenda☆ナイト(2006.9.30)
同率5位のふたつめ(笑)。Brenda☆ナイトとは何か?というと、盟友Brendaさんの誕生日を祝って、彼女が企画し、各方面に動員をかけて開催されたセッションなので、Brenda☆ナイトなのである。エアロスミス、キッス、ベイ・シティ・ローラーズ、といった特定の世代は避けて通れないバンドたちの曲をメインにしたセッションの他、ストーンズのコピバンBrian Lunchのミニ・ライブ、セッションの数日前に亡くなったボズ・バレルを偲んでの「Can't Get Enough」など、盛り沢山。参加者の大半がキッスメイクを施し、そのままBCRの曲を演奏したりする、というとんでもない展開になったのであった。楽しかったな(笑)

もちろん、これ以外にも印象深いセッションはあったんだけど、あれもこれもと言ってると全部になってしまうので(笑)、5つ(6つ)に絞らせて頂いた。しかし、楽しかったセッションの事を書き綴っていると、目頭が熱くなってくる。BBAがなくなるなんて...涙で文字が滲んでいたなら、分かってください。

まぁ、セッションだけでなく、色々な事があったBBAだった。FOREFINGERも、ミニライブを含めると、5~6回BBAでライブしてるはず。いわば、BBAに育てて貰ったようなものだ。本当に思い出は尽きない。

あれこれ我々の我が儘を聞いて下さったBBAマスターにも、心よりお礼を申し上げます。BBAがなければ、今の自分があったかどうか。本当に実り多い5年間でした。この先、こんな店に巡りあえることはないような気がしています。ありがとうございました。

BBAは永遠である。少なくとも、僕にとっては。

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする