あ、いや、別に、嫁はんに逃げられた、とかいうネタではない(爆)
「ベイビー・カム・バック」
いわずと知れた、プレイヤーの1978年の大ヒットである。この1978年という年は、なんと言っても“フィーバー”の年であり(笑)、ビージーズがヒットチャートを席捲していた。その間隙を縫って全米No.1になったのが、この「ベイビー・カム・バック」である。僕はビージーズのファンだったので、ビージーズ一色のヒットチャートには、それなりに満足していたが(笑)、この曲も非常に気に入っていた。
やっぱ、カッコいい曲である。いわゆるAORってヤツだが、それまでハードロックをメインに聴いていた中学生には、実に新鮮だった。思えば、僕にとっては、中学卒業→高校入学、という節目の時期に流行っていたような記憶もあり、環境及び心境の変化が、音楽の趣味にも影響したのだろうか?(笑) ただ、中三の終わり頃から、徐々にハードロックを聴かなくなり始めていたのは間違いない。
と、そんな事はどうでもよく(笑)、「ベイビー・カム・バック」名曲である。後に、この曲が収録された1stも聴いたが、曲の出来に差があるものの^^;、軽快で爽やかな印象のアルバムだった。アコースティック・ギターとボンゴをさりげなく多用するアレンジと心地良いコーラスワークが、とてもオシャレで都会的に思えた。TOTOが登場する約半年前、プレイヤーは既に同様の路線で成功していた訳だ。言い換えれば、TOTOの成功の下地はプレイヤーが作った、という事か(ちょっと違うような^^;)
「ベイビー・カム・バック」とほぼ同時期、スティーリー・ダンの「麗しのペグ」にもハマっていた僕は、その後、パブロ・クルーズ、ジノ・バネリ、リトル・リバー・バンド、アンブロージア、といった所に興味を持ち、AORへの階段を上がっていく。すぐ降りたけど(笑) なんでだろう?(笑)
プレイヤーはその後、「プリズナー・オブ・ユア・ラブ」という曲を出すが、世良公則&ツイストの「鉄爪」にイントロがそっくりで、結構笑ってしまった。この曲も、この曲が入った2ndも、決して出来は悪くなかったが、あまりヒットしなかった為、プレイヤーは失速してしまう。残念だ。
そういや、プレイヤーのピーター・ベケット(だっけ?)は、後にリトル・リバー・バンドのメンバーになった。彼が在籍してた時期のリトル・リバー・バンドのライプ盤に、「ベイビー・カム・バック」も収録されている。聴いた事はないけど。
そんな訳で、「ベイビー・カム・バック」である。実は、この曲、今度セッションでやる事になったのだ。お馴染み、Crawdaddy Clubでの「産業ロック・セッション」である。プレイヤーは産業ロックとは違うような気がするが(笑)、まぁいいでしょう(爆) で、このところ、よく「ベイビー・カム・バック」を聴いてるという訳。うん、やっぱ名曲だ。