「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

時を経て・・・100年

2006-06-21 13:11:46 | 福泉寺・伝承等
 まずは、本編サイトであるHP「遠野・松崎じぇんご弐」が開設満5周年となりました。
 開設当初は、画像が大きすぎて表示されないとか、文字の大きさを大にすると重なって読みにくいとか、逆に文字が小さくて読めないとか、画面の左端に頁が寄りすぎるとか・・・色々と問題点をご指摘いただいたり、郷土史関連の記事に対し、その出典は何か、史実と違うのでは、掲示板が荒らされたり・・・紆余曲折がございました。

 逆に郷土史や福泉寺関連にて、縁ある方々から情報やご連絡、ご教授いただいたり、また直接ご訪問を受けたり、私の方が出向いたりといった交流が持てたこと、数々の相互リンクをいただき、視野が広まったこと等、お訪ねくださる皆様のおかげでなんとか5年間続けてこれましたこと、この場にて感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

 遠野市松崎町にこだわりながらも、遠野の歴史、民俗を主にローカル、マイナーな部分を今後もご紹介できたらと考えておりますので、今後共よろしくお願いします。



松崎町駒木字中野・・・通称宮洞の地

 さて、本題・・・・

 本編サイトでの今後の展開として、我家の菩提寺である福泉寺の開山に係る逸話等を物語風にアレンジした、その名も「福泉寺開山物語」をアップしようと準備中です。

 福泉寺開山には我先祖も何かと関わり、また開山以前の伝承にも度々先祖の名が登場し、福泉寺には最も縁深き家として今に伝えられております。
 
 福泉寺開山以前に、早池峰山にて3年間の修行の後、我家に滞在すること7年、我家の先祖家族にとっては大恩ある真言僧、島根県出身といわれる前川慶喜師が花巻市(石鳥谷)の五大堂光勝寺にて没して100年になろうとしております。

 また、福泉寺開祖である佐々木宥尊師の師匠として、当時の光勝寺住職、赤塚宥天師と共に宥尊師を見出したこと、これによって現在の福泉寺があること、我家があることに他ならない。


初夏の福泉寺境内

 本編サイトでは、菊池姓探訪、我家の伝説の謎解き、遠野阿曽沼氏の研究・・等、懸案事項が山積しておりますが、一番の懸案事項、念願は前川慶喜師の墓前に手を合わせること、このことが最大の望みでもあります。

 島根県出身、前川姓・・のみで情報は皆無、どのようにして辿っていったらよいのか皆目見当もつきませんが、唯一は石鳥谷の光勝寺のみ・・・光勝寺と福泉寺はいわば同派の兄弟寺のような関係、福泉寺を通じて近い将来訪ねてみたいと考えております。

 また、百年の時を経て、見ず知らずの私が訪ねて行って快くご遺族は迎えて下さるのか、また前川慶喜師が俗世にどっぷりと浸かりいい加減な人生を送る私を受け入れてくださるのか・・・心配事も多いのも事実です。
 
 まずは情報がほしいこと、島根県の何処へ行けばよいのか・・・没年は明治42年(1909)後3年で百年、亡き親父も生きてるうちに一度はと言ってましたが、なんとか親父の思い、私の思いを叶えたい、そう思っております。



コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする