相互リンクいただいております、yamanekoさんが大出の森林軌道跡について触れられておりますが、そのことに触発されたわけではございませんが、いつか機会があったら、かつて稼動していた森林軌道について、調べてみようと思っていた経緯もあり、今回、詳しくはございませんが、その軌道跡を訪ねましたのでご紹介いたします。
なお、森林軌道は私の生まれる以前のものですが、その痕跡を見聞きした記憶と幼少の頃、何度となく乗った経験を持つ伯母から聴取した内容も含まれております。
森林軌道の始発点・・・旧営林署貯木場(上組町)
「森林軌道」
「昭和10年(1935)早池峰山麓薬師岳国有林の広葉樹(ブナ等)の伐採事業が開始されると伐木を遠野へ運搬するための森林軌道が敷設される。
遠野~附馬牛大出間29.3km、レール幅76cm、遠野~附馬牛上柳間約1時間、上柳~大出1時間、大出~薬師岳山麓40分を要したようである。」
軌道跡・・・上早瀬付近
白岩地内・・・某コンビ二付近から
白岩地内・・・乗馬スクール付近から来た道を撮影
上画像の逆・・・鉄路は大出方面へ
おっ・・・線路が・・・笑
農協関連施設の西側・・・遠野方向を撮影
地域は土淵町か?谷地集落の手前・・・製材工場が数施設あった場所の西側
軌道跡は上早瀬から白岩地区(八幡)までは色濃く残されておりますが、土淵町谷地から小烏瀬川を越えて海上までのルートが不鮮明でもあります。
伯母の話によりますと、谷地からは水田地帯を通って小烏瀬川の福泉寺橋と大柳橋の間付近を越えて海上下へ至っていたとか・・・・。
今はその痕跡を探し出すことはできない。
「森林軌道
乗務員は4名(運転手1名・制動係3名)他に保線担当5名、車両10両編成」
いよいよ駒木地区へ・・・・
海上下から中野の丘陵下を通っていた・・。
駒木海上地内
上の・・つづき
下駒木地内
下駒木地内・・・旧駒木小学校西側
海上地区においては、その軌道跡があった位置、雰囲気は十分に感じ取れますが、下駒木~上駒木は農地の基盤整備事業により、その痕跡は皆無に等しい現状です。
画像に関しては、軌道跡の位置のみですが、基盤整備以前は私もその痕跡を記憶しております。
「森林軌道は、早池峰登山客や沿線の住民達にも利用されたといいます。
伯母も祖母に連れられ大出の早池峰神社にお参りに行ったり、附馬牛方面への用向きに利用したそうです。
早朝、荷台が空でやって来る列車に手を振って止めていただいて乗車、帰りは満載した木材にしがみつくような姿勢で帰ってきたそうです。
スピードが自転車を少し早くしたような速度だったため、遠野~大出間は一日一往復だったそうです。
駒木地内、上柳~大出間は猿ヶ石川沿いに軌道が敷設されていたため、昭和22年、23年の台風、特に23年のアイオン台風では軌道が流される被害が甚大で、その復旧に係る費用は膨大ということで、森林軌道は上柳~大出・山元間のみとなり、上柳~遠野間は廃止され自動車等による運搬に切り替えられ、その後上柳~山元間も廃止された。
」
なお、森林軌道は私の生まれる以前のものですが、その痕跡を見聞きした記憶と幼少の頃、何度となく乗った経験を持つ伯母から聴取した内容も含まれております。
森林軌道の始発点・・・旧営林署貯木場(上組町)
「森林軌道」
「昭和10年(1935)早池峰山麓薬師岳国有林の広葉樹(ブナ等)の伐採事業が開始されると伐木を遠野へ運搬するための森林軌道が敷設される。
遠野~附馬牛大出間29.3km、レール幅76cm、遠野~附馬牛上柳間約1時間、上柳~大出1時間、大出~薬師岳山麓40分を要したようである。」
軌道跡・・・上早瀬付近
白岩地内・・・某コンビ二付近から
白岩地内・・・乗馬スクール付近から来た道を撮影
上画像の逆・・・鉄路は大出方面へ
おっ・・・線路が・・・笑
農協関連施設の西側・・・遠野方向を撮影
地域は土淵町か?谷地集落の手前・・・製材工場が数施設あった場所の西側
軌道跡は上早瀬から白岩地区(八幡)までは色濃く残されておりますが、土淵町谷地から小烏瀬川を越えて海上までのルートが不鮮明でもあります。
伯母の話によりますと、谷地からは水田地帯を通って小烏瀬川の福泉寺橋と大柳橋の間付近を越えて海上下へ至っていたとか・・・・。
今はその痕跡を探し出すことはできない。
「森林軌道
乗務員は4名(運転手1名・制動係3名)他に保線担当5名、車両10両編成」
いよいよ駒木地区へ・・・・
海上下から中野の丘陵下を通っていた・・。
駒木海上地内
上の・・つづき
下駒木地内
下駒木地内・・・旧駒木小学校西側
海上地区においては、その軌道跡があった位置、雰囲気は十分に感じ取れますが、下駒木~上駒木は農地の基盤整備事業により、その痕跡は皆無に等しい現状です。
画像に関しては、軌道跡の位置のみですが、基盤整備以前は私もその痕跡を記憶しております。
「森林軌道は、早池峰登山客や沿線の住民達にも利用されたといいます。
伯母も祖母に連れられ大出の早池峰神社にお参りに行ったり、附馬牛方面への用向きに利用したそうです。
早朝、荷台が空でやって来る列車に手を振って止めていただいて乗車、帰りは満載した木材にしがみつくような姿勢で帰ってきたそうです。
スピードが自転車を少し早くしたような速度だったため、遠野~大出間は一日一往復だったそうです。
駒木地内、上柳~大出間は猿ヶ石川沿いに軌道が敷設されていたため、昭和22年、23年の台風、特に23年のアイオン台風では軌道が流される被害が甚大で、その復旧に係る費用は膨大ということで、森林軌道は上柳~大出・山元間のみとなり、上柳~遠野間は廃止され自動車等による運搬に切り替えられ、その後上柳~山元間も廃止された。
」