青笹町中沢の六神石神社例祭に行って参りました。
本エントリーは神社の祭りやその雰囲気を伝える内容ではなく、郷土芸能遠野郷しし踊での青笹しし踊が観たいがためだけに行って来たが本音で、遠野祭り等でしばらく青笹しし踊を観ていなかったこと、遠野郷しし踊での雄といいますか、遠野を代表するしし踊というイメージの青笹しし踊と小生の地元駒木しし踊との相違点なんかを確かめてみたかった、そんな思いが強かった理由でもあります。
午前11時、現地到着・・・
六神石神社(ろっこうし)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/a2/a64e7ef91906568cb1e895fb241cfa29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/72/2bb187bca1183ad0ad1b2067335f2775.jpg)
○六神石神社
遠野三山のひとつ、六角牛山の麓に鎮座し、例祭日は、旧8月15日であったが現在は9月23日。
大同年間に草創といわれ1千2百年と伝えられる。
後に住吉三神を祀り、御祭神は表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帯姫命 大己貴命。
住吉の社との俗称。
明治維新後、神社名を六神石とし、山の名を六角牛の字を充てている(ろっこうし)
その由来等詳細は検索サイトで「六神石神社」でヒットしますので、そちらをご参照願います。
境内到着後、上郷板沢しし踊がスタンバイ中、間もなく本殿への奉納、続いて青笹しし踊が奉納となった。
青笹しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ac/efd56c164cd79be17ef8ce2462c48f32.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a7/062d122f30a3e3a45eee2e307582bca2.jpg)
さて、ここからが長い・・・汗・・・境内の一角ではお祭りでの仮ステージが設けられ、地元の方々の手踊り、平倉神楽、板沢しし踊、よさこいソーラン(霞会)、佐比内しし踊・・・途中、お楽しみ抽選会があったりと、なかなか青笹しし踊の出番が来ない、聞くところによると一番最後とか、地元でもありこれも致し方なしと諦めて最後まで付き合うことに・・・結局、小雨も降り出し、青笹しし踊が踊っている途中に社を後にしましたが、それでも午後3時半まではおりました。
上郷町板沢しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ef/e8529b6d5cf4c94d70b2c12cc0b01a48.jpg)
上郷町佐比内しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/7e/677b889e1ce3935c512189b46498d06f.jpg)
上郷町のしし踊とくれば、もうひとつ細越しし踊がありますが、今回はお休みということなそうです。
境内には約1千人の人出とか?・・・抽選券が1000番まで配布、フランクフルトが早々に1千本売れて売り切れということから・・・・でも抽選会では600番台は呼ばれたが、それ以後の番号が呼ばれた記憶がない?・・・笑
抽選会の後は餅まき・・・
おそらく本日のお祭りでの最大人数ではないのか?・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ce/5c2fabb13ac728a135ad2d430041129b.jpg)
さてここからが本題・・・・
遠野郷しし踊は、駒木しし踊を代表とする駒木系と長野しし踊を代表とする小友系に大別されるという。
青笹、上郷のしし踊りは、その踊方等をよく見れば同系統というイメージが強いものとなっている。
上郷の板沢しし踊は由来の一説によると明治初年頃に駒木しし踊を習い覚え、地域に伝えたものといわれている。
別説でも駒木との関りが語られ、駒木系のしし踊ということになりますが、上郷町内のしし踊は板沢しし踊が本家という位置付けなようです。
ところがその踊り等はテンポも含めて激しく躍動的で、駒木しし踊とは対照的である。
これは伝わった後に、その地域で伝承されていく過程で大きくアレンジしたものだろうと推測されますが、調査不足でもありますから、これ以上は多くは語れません。
一方青笹しし踊も躍動的で力強い印象ではあるがどこか優雅な雰囲気が感じられる。
これは私の個人のイメージということでもありますが、さらに何処か落ち着いた風格があって安心して観てられる、そんな雰囲気でもあります。
○遠野郷青笹しし踊
慶長年間、遠野阿曽沼時代に山城国(京都府)から伝来した鹿子踊に当地方の豊年踊りや御神楽での山の神舞を融合させて鹿子踊りを構成したものと伝えられている。
以後、糠前、中下・中沢の三系統があったが、青笹しし踊りとして昭和39年統合してひとつとなった。
亡き親父は長年、駒木しし踊りでの大夫(太鼓)をしていた。
駒木しし踊りは遠野での元祖で、何処の踊りにも負けるものではない。
しかし、青笹のように皆うち揃って立派に踊る様は見事で、なかなか適うものではない。
駒木も青笹をみて何くそという思いで踊らなければ、みんなから駒木の踊りも落ちたな・・・なんて言われてしまう・・・としし踊りを引退する間際話していたことを思い出す。
青笹しし踊り、少し本日はお疲れ気味といった印象はありましたが、それでも流石といった思いでみておりました。
ご苦労さまでした。
青笹しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/3a/6092d8c1cd09f5cdc34ffb60c6533ee1.jpg)
青笹しし、第一のしし(六角牛山)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e6/37f24b8a8a5ac903cbaf46b05618360d.jpg)
職場後輩が被るしし頭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b7/89817677e2dd668b93c47e978c4a8657.jpg)
ということで、プロガーウォッチング
ブログ四季彩空間遠野の ksuzさん(画像中央)
今回はしっかりと一眼デジにて撮影されておりました・・・笑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c0/d1379b1dbafb67e4735c5186dcb4fcbe.jpg)
そしてこちらは・・・・
お子さんと・・・・笑・・・・一如さん(ブログ 開く・築く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fb/38e1be05b47ff91813d8f3f0372c26aa.jpg)
ドロン如さんご夫妻、お子様も・・・しっかりと高台より見ておりましたよ・・・笑
お疲れ様でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/79/2145b1bd76d06612f403897238ef2879.jpg)
本エントリーは神社の祭りやその雰囲気を伝える内容ではなく、郷土芸能遠野郷しし踊での青笹しし踊が観たいがためだけに行って来たが本音で、遠野祭り等でしばらく青笹しし踊を観ていなかったこと、遠野郷しし踊での雄といいますか、遠野を代表するしし踊というイメージの青笹しし踊と小生の地元駒木しし踊との相違点なんかを確かめてみたかった、そんな思いが強かった理由でもあります。
午前11時、現地到着・・・
六神石神社(ろっこうし)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/a2/a64e7ef91906568cb1e895fb241cfa29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/72/2bb187bca1183ad0ad1b2067335f2775.jpg)
○六神石神社
遠野三山のひとつ、六角牛山の麓に鎮座し、例祭日は、旧8月15日であったが現在は9月23日。
大同年間に草創といわれ1千2百年と伝えられる。
後に住吉三神を祀り、御祭神は表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帯姫命 大己貴命。
住吉の社との俗称。
明治維新後、神社名を六神石とし、山の名を六角牛の字を充てている(ろっこうし)
その由来等詳細は検索サイトで「六神石神社」でヒットしますので、そちらをご参照願います。
境内到着後、上郷板沢しし踊がスタンバイ中、間もなく本殿への奉納、続いて青笹しし踊が奉納となった。
青笹しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ac/efd56c164cd79be17ef8ce2462c48f32.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a7/062d122f30a3e3a45eee2e307582bca2.jpg)
さて、ここからが長い・・・汗・・・境内の一角ではお祭りでの仮ステージが設けられ、地元の方々の手踊り、平倉神楽、板沢しし踊、よさこいソーラン(霞会)、佐比内しし踊・・・途中、お楽しみ抽選会があったりと、なかなか青笹しし踊の出番が来ない、聞くところによると一番最後とか、地元でもありこれも致し方なしと諦めて最後まで付き合うことに・・・結局、小雨も降り出し、青笹しし踊が踊っている途中に社を後にしましたが、それでも午後3時半まではおりました。
上郷町板沢しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ef/e8529b6d5cf4c94d70b2c12cc0b01a48.jpg)
上郷町佐比内しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/7e/677b889e1ce3935c512189b46498d06f.jpg)
上郷町のしし踊とくれば、もうひとつ細越しし踊がありますが、今回はお休みということなそうです。
境内には約1千人の人出とか?・・・抽選券が1000番まで配布、フランクフルトが早々に1千本売れて売り切れということから・・・・でも抽選会では600番台は呼ばれたが、それ以後の番号が呼ばれた記憶がない?・・・笑
抽選会の後は餅まき・・・
おそらく本日のお祭りでの最大人数ではないのか?・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ce/5c2fabb13ac728a135ad2d430041129b.jpg)
さてここからが本題・・・・
遠野郷しし踊は、駒木しし踊を代表とする駒木系と長野しし踊を代表とする小友系に大別されるという。
青笹、上郷のしし踊りは、その踊方等をよく見れば同系統というイメージが強いものとなっている。
上郷の板沢しし踊は由来の一説によると明治初年頃に駒木しし踊を習い覚え、地域に伝えたものといわれている。
別説でも駒木との関りが語られ、駒木系のしし踊ということになりますが、上郷町内のしし踊は板沢しし踊が本家という位置付けなようです。
ところがその踊り等はテンポも含めて激しく躍動的で、駒木しし踊とは対照的である。
これは伝わった後に、その地域で伝承されていく過程で大きくアレンジしたものだろうと推測されますが、調査不足でもありますから、これ以上は多くは語れません。
一方青笹しし踊も躍動的で力強い印象ではあるがどこか優雅な雰囲気が感じられる。
これは私の個人のイメージということでもありますが、さらに何処か落ち着いた風格があって安心して観てられる、そんな雰囲気でもあります。
○遠野郷青笹しし踊
慶長年間、遠野阿曽沼時代に山城国(京都府)から伝来した鹿子踊に当地方の豊年踊りや御神楽での山の神舞を融合させて鹿子踊りを構成したものと伝えられている。
以後、糠前、中下・中沢の三系統があったが、青笹しし踊りとして昭和39年統合してひとつとなった。
亡き親父は長年、駒木しし踊りでの大夫(太鼓)をしていた。
駒木しし踊りは遠野での元祖で、何処の踊りにも負けるものではない。
しかし、青笹のように皆うち揃って立派に踊る様は見事で、なかなか適うものではない。
駒木も青笹をみて何くそという思いで踊らなければ、みんなから駒木の踊りも落ちたな・・・なんて言われてしまう・・・としし踊りを引退する間際話していたことを思い出す。
青笹しし踊り、少し本日はお疲れ気味といった印象はありましたが、それでも流石といった思いでみておりました。
ご苦労さまでした。
青笹しし踊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/3a/6092d8c1cd09f5cdc34ffb60c6533ee1.jpg)
青笹しし、第一のしし(六角牛山)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e6/37f24b8a8a5ac903cbaf46b05618360d.jpg)
職場後輩が被るしし頭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b7/89817677e2dd668b93c47e978c4a8657.jpg)
ということで、プロガーウォッチング
ブログ四季彩空間遠野の ksuzさん(画像中央)
今回はしっかりと一眼デジにて撮影されておりました・・・笑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c0/d1379b1dbafb67e4735c5186dcb4fcbe.jpg)
そしてこちらは・・・・
お子さんと・・・・笑・・・・一如さん(ブログ 開く・築く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fb/38e1be05b47ff91813d8f3f0372c26aa.jpg)
ドロン如さんご夫妻、お子様も・・・しっかりと高台より見ておりましたよ・・・笑
お疲れ様でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/79/2145b1bd76d06612f403897238ef2879.jpg)