「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野南部流鏑馬08

2008-09-18 20:09:33 | 遠野
 遠野郷八幡宮例大祭では、市内各地の郷土芸能や神輿等の奉納、さらにこれら団体が行う馬場廻りと共にもうひとつ、それは流鏑馬であろう・・・・。
 何を隠そう、その流鏑馬を観ること、そしてカメラ撮影することも、小生の楽しみのひとつでもありました。

 小生は第3の的付近と最終地点の間辺りの前列に陣取ることができましたが、周りは各メーカーの高機種カメラが三脚に固定され高価な望遠レンズ装着、凄いの一言に尽きる場面で、ある意味お見事としか言い様のない雰囲気でもありました。


 続々と馬場の北側にはカメラマンやら見物客が増え出すと、いよいよ流鏑馬神事「遠野南部流鏑馬」のはじまりである。


 清めの儀


 この開会に係る神事から総奉行による馬場、的の点検、そして開会宣言たる「遠野南部流鏑馬はじめませ~」までの間がなんともいえず好きといいますか、ワクワクする時間でもあります。

 ということで、遠野南部流鏑馬に係る由来やら歴史的逸話等は昨年9月20日付けの当ブログ、下欄に記載しておりますので、是非にご参照ください。
こちら


 
 さて、今年も昨年同様の射手奉行3名の方々が務められました。

 一の射手奉行
 小生と同級生、松崎町光興寺在、NK氏



 二の射手奉行
 最速の貴公子、松崎町駒木出身 YH君



 三の射手奉行
 安定した流鏑馬、松崎町駒木在 TI君


 昨年と同様の顔ぶれ、全て松崎町に関わる御仁ということ、しかも私と同郷の松崎町駒木の方が二人、そして同級生も・・・やはり小生としては鼻高々であーる・・・。



 ということなのですが、意気込んで陣取ったは良いですが、撮った内容が不本意な画像があまりにも多かったこと、腕の悪さもそのとおりながらカメラの知識不足もこれまたそのとおり、しかし使用したカメラは自慢ではないですが、割と高機種に位置付けられる代物であることを考えれば、あのカメラでこの程度か、ということもあって、とてもお見せできるものではない・・・汗
 よって、今年は三の射手奉行のみの画像となります・・・汗










 命中・・・
 昨年は、流鏑馬保存会が出来て以来最高の出来だったとかで27射中24射命中、今年は、でだしこそ振るわなかったが、慣れてくるにしたがって的を射抜くようになっておりました。
 いずれお見事でした。


 「よう射たりや~」・・・介添奉行

 
 今回もこちらの画像が少ないですが、来年からはこちらの介添奉行3名も随所に登場できるようしたいと思ってます。



 ○北奥羽最古の流鏑馬「遠野南部流鏑馬」

 リンクしました昨年の流鏑馬記事をご覧いただきましたでしょうか?北東北の神事としての流鏑馬に関しては、ここ遠野郷八幡宮、八戸市の櫛引八幡宮、そして盛岡八幡宮で行われております。
 歴史的、言い伝えでは櫛引八幡での流鏑馬が一応最古という内容ですが、これを受け継いでいるのが遠野南部流鏑馬ということになり、しかも江戸時代は遠野から八戸へ出張して旧8月15日に行われておりました。
 
 ちなみに今年は9月14日が旧8月15日で遠野郷八幡宮での流鏑馬の前日に八戸櫛引八幡で奉納してきたことになり、さぞ流鏑馬関係者はお疲れだったことでしょう・・・ご苦労さまでした。

 話はまた戻して、明治時代になって戦後の昭和28年まで流鏑馬は廃れておりましたが、有志によって復活、故事にならい八戸にも出張して現在に至っております。

 記録には遠野南部氏は遠野郷八幡宮に流鏑馬の他、騎馬打球、乗馬野試合も共に奉納したようですが、流鏑馬以外は断絶している。
 これらの復興もいつか期待したいところではあります。


 遠野南部流鏑馬は、由来によると建武3年8月15日、南部師行(遠野南部家先祖第4代)が櫛引八幡に奉納したことを創始としているが、このことが史実とか違うとは別として、いずれ脈々と受け継がれ、寛永4年に八戸根城から遠野へ移ってきた八戸氏(遠野南部氏)によって、はじめ松崎宮代の八幡宮で奉納されたであろうと推測されますし、宮代から現在の地へ八幡宮が移されたのが寛文元年(1662)、少なくてもこの頃が遠野での創始であろうと思われます。

 南部本家である盛岡南部家は、延宝9年(1681)盛岡八幡宮の造営に併せての創始と伝えられ、このことからも遠野での流鏑馬が最古であるということになります。

 別にどちらが古いとか、凄いとかそういうことを言うものではありませんが、遠野の流鏑馬は古い歴史を伝えるすばらしい行事であること、遠野市民は自慢と誇りに少しくらい感じても良いものと私は思いますし、身近な流鏑馬、これからも楽しみたいと思っております。





 さてさて、自己責任という範疇かもしれませんが、もし事故があればやはり主催者の責任は何かしら発生することだと思います。
 向い側に陣取るということは、それなりに良い写真は撮れるだろうという予想はつきますが、マナー違反であること、気持ちは大いにわかりますが、少し今後の対策は必要ではないのか?当方が言うことでもないし、他人のことは言えませんが、警備の方々や関係されたスタッフの注意もなかったこと、半分向い側に陣取られることうらやましくも思いましたが、やはり少しだけ残念です。

 市広報の腕章の担当者が強くこちらには入らないように促しておりましたが、聞く耳は持ち合わせていなかったようです。



 まっ堅い話はこれくらいにして・・・・

 今年は遠野流鏑馬界の貴公子、Y君の勇志はお見せできませんでした・・・涙
 後姿だけでも・・・・汗


コメント (4)
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