内容は2008年12月9日のものです。
小友高館跡探訪前に家の所用があって、綾織町日影の叔父宅を訪ねた。
叔父は留守であったが従妹と叔母さんが対応くださり用向きは滞りなく終了、帰り際に叔母さんが西風館八幡様が昨年よりもさらに立派になったので見て行ったらと言うので、カメラ片手にお参り方々、見学して参りました。
西風館跡は遠野遺産認定第一回目で選定されましたが、遠野遺産認定前に地域によって社殿が建て替えがされておりました。
此処八幡社が鎮座する下部部分も舘跡の一角であり、その関係で遠野遺産に関わる助成金等で神社周りを整備したようです。
真新しい木製の階段が取り付けられ砂利も入れられ、まさしく西風館八幡社が名実共に復活といった雰囲気でもあります。
それでも、社澱の背後数メートルは釜石道ルートの用地に入っており、数年後には高規格道路の法面下という環境で風景もかなり変わりそうです。
神社の由来や歴史は良くはわからないので説明できませんが、小生の母親が子供の頃は元朝参りも結構盛んで、太平洋戦争では出征する若者も多くお参りしたということです。
その後は、徐々に衰退し社殿も荒れるに任せていた雰囲気ですが、ようやく復興ということかもしれません。
奉納された鉄剣等には昭和初めの奉納が多く、確認したものでは明治中頃のものが一番古いといったところでした。
2年前に訪ねた際は社殿下の山林の中にありましたが、移動したような・・・?
ところで「三方金神」とは・・・?・・・前も訪ねたような?・・・。
ということで、腰の具合もあまり芳しくなく、明番で帰宅してからは何処へも行かず家で静かにしておりました。
本日の画像がありませんので、いつものことですが、今日のネネということで・・・・。
さて、忘年会の季節でありますが、小生、お付き合いの幅が狭く知人も友人も少ないもので、予定される忘年会は多くて2~3度程となりそうです。
まずは12日、某団体での忘年会が盛岡市でありますので、一泊で出かけて参ります。
日中早くに盛岡入りして、盛岡冷麺の食べ比べを目論んでおります。
昼に1軒、宴会が始まる前に1軒、そして宴会後の締めに1軒、翌日の昼近くにもう1軒・・・4杯の計画ですが、なんとか3杯はいきたいものです・・・汗
今回は盛岡街中の名店で食べたいと考えております。
小友高館跡探訪前に家の所用があって、綾織町日影の叔父宅を訪ねた。
叔父は留守であったが従妹と叔母さんが対応くださり用向きは滞りなく終了、帰り際に叔母さんが西風館八幡様が昨年よりもさらに立派になったので見て行ったらと言うので、カメラ片手にお参り方々、見学して参りました。
西風館跡は遠野遺産認定第一回目で選定されましたが、遠野遺産認定前に地域によって社殿が建て替えがされておりました。
此処八幡社が鎮座する下部部分も舘跡の一角であり、その関係で遠野遺産に関わる助成金等で神社周りを整備したようです。
真新しい木製の階段が取り付けられ砂利も入れられ、まさしく西風館八幡社が名実共に復活といった雰囲気でもあります。
それでも、社澱の背後数メートルは釜石道ルートの用地に入っており、数年後には高規格道路の法面下という環境で風景もかなり変わりそうです。
神社の由来や歴史は良くはわからないので説明できませんが、小生の母親が子供の頃は元朝参りも結構盛んで、太平洋戦争では出征する若者も多くお参りしたということです。
その後は、徐々に衰退し社殿も荒れるに任せていた雰囲気ですが、ようやく復興ということかもしれません。
奉納された鉄剣等には昭和初めの奉納が多く、確認したものでは明治中頃のものが一番古いといったところでした。
2年前に訪ねた際は社殿下の山林の中にありましたが、移動したような・・・?
ところで「三方金神」とは・・・?・・・前も訪ねたような?・・・。
ということで、腰の具合もあまり芳しくなく、明番で帰宅してからは何処へも行かず家で静かにしておりました。
本日の画像がありませんので、いつものことですが、今日のネネということで・・・・。
さて、忘年会の季節でありますが、小生、お付き合いの幅が狭く知人も友人も少ないもので、予定される忘年会は多くて2~3度程となりそうです。
まずは12日、某団体での忘年会が盛岡市でありますので、一泊で出かけて参ります。
日中早くに盛岡入りして、盛岡冷麺の食べ比べを目論んでおります。
昼に1軒、宴会が始まる前に1軒、そして宴会後の締めに1軒、翌日の昼近くにもう1軒・・・4杯の計画ですが、なんとか3杯はいきたいものです・・・汗
今回は盛岡街中の名店で食べたいと考えております。