「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

大将屋敷跡(大将洞館)

2008-12-17 19:19:06 | 歴史・民俗
 腰の違和感は若干あるものの、比高の低い城館跡ならなんとか探訪できそうということ、さらに積雪の季節到来も間もなくといった予感もあって、できるだけ探訪数を稼ごうという気持ちもあって、平山城といいますか屋敷跡といわれる土淵町飯豊の大将屋敷跡を探訪いたしました。

 大将屋敷跡は今回で3度目となりますが、大将稲荷やその周辺を少しみただけで舘跡特有の遺構等は未だに確認はしておりませんでした。


入口・・大将稲荷



館跡周囲


 なだらかな斜面となっておりますが、ほとんどは牧草地、畑となっている。
 画像中央奥の斜面には大将稲荷が鎮座している。


ボケ画像ですが・・・大将稲荷社



飯豊集落方面



さらに一段高い場所から



☆大将屋敷跡

 地元で大将洞と呼ばれる場所にあったといわれる屋敷跡と伝えられている。
 資料には花館側の山野斜面に4段の段丘が認められ、特に3段目は長さ130メートルに及ぶと記載されている。
 その時代や館主については一切伝えられていないが、飯豊地区は3つの沢からなる地域で、西から宮沢、大将洞、君洞であるが、青笹町沢田寄りの山野は花館跡に続く山野であり、この大型城館花館との関連性が見え隠れしていると感じるのは私だけでしょうか?

 舘跡を探訪調査されたお二人の先人史家も花館との関連性を視野に入れていた雰囲気は大いに感じられるも、実際に地域に大将屋敷との関連性を伝える内容が語られない現実もあり、まさに謎、不明ということになります。


館跡らしい形状が若干みられる山野


 段差らしい形状はみられますが、130メートルにも及ぶ帯廓的な段丘は確認できず・・・。

 ただ、もう少し奥の山野斜面にははっきりとわかる段丘が認められ、この方面にその遺構があるかもしれない。
 しかし、下部は明らかに人的に、しかも近年に農地として削岸された形跡にもみえ、さらなる詳しい探訪は必要と考えております。

 私的妄想では南北朝時代の南朝方陣営、そして菊池一族の匂いがする飯豊なんですがね・・・笑

 
 斜面登り等の苦しい場面はなかったが、それでも途中から腰の辺りが苦しくなりだし、大事をとって撤退といたしました。
 
 仕事にならない腰痛は小生にとっては死活問題でもありますから・・・・汗


周辺の風景



 大将稲荷大鳥居からお稲荷さんまでの道のりには、画像の風車が取り付けられております。
 ペットボトルを利用したものなようです。



「えなっこ」と「あねっこ」






 おまけ

 ネネ興奮中

 某ブログの猫画像を見ていたら急にPCが置いてある机に飛び上り、マウスを攻撃・・・・怒









 少し強く叱って机から降ろしたが・・・・



 ちょっと面白くなさそう・・・・。
コメント (8)
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