「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

その後の西風舘八幡界隈

2011-12-15 18:55:18 | 遠野

 母方の叔父が管理する西風舘八幡(ならいだてはちまん・・遠野市綾織町新里)の社が建て替えられた際の神事に招かれ、ついでに取材をしたのが5年程前・・・。

過去の記事・・・こちら

 当時は母親の実家の仏事も同日に行われ、神仏共に・・・という日であったようです。

 その数年後、叔父宅の農地含みの裏山を横断する形で秋田~釜石間の高速道用地となり、その際に叔父宅の敷地も含む中世城館跡(山城跡)の西風舘跡の一部が破壊ということで地元で西風舘の歴史やら史跡調べが行われた後、遠野遺産認定制度へ申請して遠野遺産として認定された経緯があって、その際に私も興味があったのでその調べに少し関わった経緯がありましたが、あれから数年、叔父宅へ行く用向きがありましたので、久しぶりに八幡様も参拝してきました。

 

 

西風舘八幡

 

 建て替え当時はありませんでしたが、2年程前に亡くなった大叔父(母の叔父)が建立に関わった新しい鳥居・・・。

 

 

 独特というか、手づくり感が伝わる灯篭、社も個人的なセンス?叔父のセンスというか近親者は人目みれば叔父の遊び心?仕業?・・・笑・・・と感じる面がけっこう出ております・・・

 

 

 社(やしろ)は新しいですが、謂れも含み結構古い創建とも語られており、この一帯は中世期、綾織地区を治めていた宇夫方氏の主城、西風舘の一部で、宇夫方一族によって八幡様が祀られたとも云われますが仔細は不明です。

 

 八幡様の背後、東側山野は・・・

高速道工事もだいぶ進んでおります。

 道路の盛土の向こう、杉林の斜面には林道が一本、その上部の斜面は西風舘の主郭、数段にわたる帯郭、空堀跡等の遺構が残されております。

 道路工事による分断とはなりますが破壊は免れたようでもあります。

 

叔父宅敷地の南西側の林には・・・

手作りの案内板ですが・・・汗

 

油性マジックか何かで書いたものなので、文字が消えかかってますが・

「西風舘」

「人兵ェ揃」(じんべえぞろい)

 地域での伝承によると、中世期の桝形の一種で、兵員をその桝に入れてある程度の数の一隊を作る場所・・・と語られている。

 同場所には、「源左衛門」という武士が戦いで討死し、埋葬されたとされる「げんざぺす」といわれる場所が残されている。

この林の中にふたつの言い伝えの場所があるとされるが道路工事で一部破壊されているかもしれない・・・?

 

 西風舘は弘治3年(1557)宇夫方氏の嫡流、西風舘氏の本舘としていたが、突如として葛西勢とも云われるが、武装集団の夜襲を受け、当主、その長男、二男、さらに郎党の多くも討死と伝えられ落城したとされる。

 舘跡内には「八人沢」(はちざ)・・・8人の武士が討ちとられた処、「千ヶ堀」・・・人足千人で掘った空掘・・・等の地域で語られる曰く付きの場所がある。

 春にでもなりましたら、西風舘跡の探訪を今一度してみたい気持ちになりましたので、道路工事中の上方の山野の様子も含めて見てみたいと思います。

 

 

さて・・・

 

叔父宅では地元でも評判の漬物を作っておりますが・・・

 

赤かぶ

赤カブのおごご(漬物)用ですね。

 

遠野風の丘にて「赤カブおごご」をお求めください・・・笑

 

ほすもづ(干し餅)

こちらは昨年というか今年正月以降の残りですね。

 

年が明けてから干し餅作りも本格的になると思います・・・。

 

 

叔父の遊び心というかセンス?・・・

 

大根城と名付けられている・・・

 

さらに茄子も追加して・・・

茄子御殿とも・・・?・・・

 

 

大根の鯱鉾の位置はそのままですが・・・

茄子の方は場所が変わっております・・・汗

 

 

コメント (2)
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