前夜は滞在した菊池市において交流会に参加、一次会はカメラ撮影なんかもあり、飲み方を少しセーブ気味でしたが二次会からは本格的に飲んでしまい、菊池市で「遠野物語(飛行船)」をご披露・・・(-_-;)
11年前もシルクロードというホテル内にあったスナックで歌ったことがありましたが、当時は九州の地に遠野物語のカラオケがあったことに感動したことを覚えております。
他にもう一曲、北国らしい歌もご披露して調子こいてましたが、遠野から参加の皆様のほとんどが既に宿に帰ってしまったようで孤軍奮闘というところでした・・・笑
けっこう効きましたが、美味しい朝食もいただいて、徒歩で菊池神社に参拝
菊池神社
菊池市歴代公をお祀りする神社
桜・・・?・・・梅・・・?
桜とのこと・・・!
冬桜らしい・・・!
15分程度で移動して・・・
菊池市のご案内の方々と合流して市内の名跡、史跡探訪
菊池武光公
菊池氏といえば一番に名が出るのが菊池武光公
菊池第15代
時は南北朝争乱の頃、13代兄武重、14代武士の後を受けて15代を継承。
菊池武士が奪われた菊池本城を奪還すると南朝後醍醐天皇の皇子、懐良親王(かねながしんのう)を菊池に迎え、北朝側と激しい戦いを繰り広げ、ついに大保原の戦い、筑後川の戦いで勝利し、大宰府を占領して懐良親王が征西府を置く。
菊池氏の武威は九州全土に鳴り響き、九州南朝方そして菊池氏の最盛期を築いた武将でもある。
武光公の騎馬像の後は・・・
菊池武光公の墓
亀の台座に墓石が・・・
亀趺(キフ)・・・という。
亀趺(キフ)とは台石の一種で、石碑を載せる台石を大亀の形にしたものである。
亀趺は、もともと中国の貴族階級の風習だったのが、江戸時代に日本でも取り入れられた。
亀趺は功績や功徳などを刻んだ石碑を載せるものが多いが、大名クラスの武家当主等の墓石を載せるものもある。
亀趺の亀は贔屓(ひいき)といい、龍の九子のうち龍になれなかった一子で、巨大な亀の形に似た想像上の霊獣だとされる。
「贔屓(ひいき)」は「贔屓にする」などと用いられる「贔屓」である。
贔屓は「一生懸命努力して力を出すさま」を意味するとされるが、それが「特別に便宜を図ったり、力添えをする」意味に使われるようになったそうです・・・。
正観寺
菊池の語源というか菊池のはじまりとされる「菊の池」を観た後は・・・
菊池初代 藤原則隆公(菊池則隆)の墓
幕末維新の立役者、薩摩の西郷隆盛先祖の発祥の地
西郷地区
西郷隆盛の祖は菊池一族とありますが、西郷姓の発祥はこの地なのかもしれない・・・?
明治維新戊辰戦争で薩摩等の西軍と戦った会津藩、その会津藩家老の西郷頼母もまた祖を同じとする菊池一族とも語られますが真相はいかに・・・?
再び市街地、隈府(わいふ)に戻り・・・
将軍木
樹齢650年以上と伝えられる懐良親王が植えたとされる将軍木
懐良親王
後醍醐天皇の皇子、7歳で宮方の象徴として征西将軍の任を受けて海路九州に向かい、実に5年の歳月を経て薩摩に入る。
北朝方の攻撃を避けながら北上し、遂に菊池武光と合流を果たし菊池入り、菊池一族等と共に大宰府を落し征西府を置き、ほぼ九州全土を南朝支配に成功する。
後に東征に失敗したことにより支配力が弱まり大宰府を失い、1374年に甥の良成親王に将軍職を譲り八女に移り隠居、後に逝去と伝えられる。
一部ですが隈府の街並み
こじんまりとしているが、どこか落ち着いた小京都という雰囲気抜群であると感じました。
つづく・・・