台風くずれでの暴風警報が発令され、夕方近くに切り替わった某日、明るいうちにということで先月からコースに入れた妻の神7千歩コースをウォーキング。
こちらは翌日の散策コースにて
25度近く、仕舞いかけた半袖を着ましたが、それでも汗が・・・
爽やかな秋晴れながら、けっこうきつかったなあ・・・。
さて・・・妻の神7千歩コースの巻
自宅を出て県道を北進、附馬牛方面に向かう。
上駒木 妻の神の石碑群
駒木バス停傍にありますが、小生の少年時代、道の反対側にも石碑群があり、近年、写真の位置、一ヶ所にまとめられたものですね。
中央の「大峰山」
明治24年、地域の方々が伊勢参り(三重県)の折、奈良県の金峯山(大峰山)へも参拝した記念として建立したもの。
他には・・・
庚申碑、猿田彦碑、湯殿山、秋葉山、狼塔、山の神、早池峰山
地元では、この場所を「くよ」と言っていましたが高校生くらいになるまで「くよ」の意味も知らずに使ってました。
「くよ」とは「供養石」があることから「くよう」・・・くよ・・・ということが後から解って納得というところでした・・・(;^ω^)
江戸時代の文政元年(1818)建立と刻まれた「念佛供養塔」が最古の石碑とのことである。
自宅からここまで約500メートル、300メートルほど直進して馬の里方面へ向かい、道なり山際へ歩みを進める。
馬の里の向かいにある蒼前神社
創始は不明とされるが昭和54年に地域で畜産関係を営む方々によって神殿の屋根の葺き替え、拝殿の改築を行ったとのこと。
山際の道沿いを妻の神方向へさらに進む。
振り返ると遠野方面、物見山がみえる。
子供頃、栗拾いや木の実を集めて遊んだ野山は牧草地がさらに拡大されてますが、それでも当時と同じ雰囲気はそのまま・・・
栗は既に終わってますがドングリ等の木の実は至る所にみられます。
上駒木集落からの道と合流地点から妻の神方面
道というか舗装した林道を進めば耳切山牧野、さらに荒川高原に通じる道すがら。
上駒木集落の最奥のお宅が1軒、写真の中ほどにはもう1軒南部曲り屋のお宅がありましたが、小生が中学生の頃かな?空き家となりました。
その後、馬の里というか、その前身施設で青山学院馬術部が夏季合宿を数年継続しまして空き家を宿泊施設として利用しておりました。
合宿も後半部分、小生は社会人となってましたが、毎年、地域の「わげしたず」(若者たち)と交流会をしていたようですが、一度も「かでられだ」ことは無し。
地域の先輩達、後輩達共に女子学生といい仲になりお嫁さんにもらったという話は聞いたことは無い・・・。
ちょっと残念
ざまーみろ・・・笑
その空き家もいつしか廃墟となり、今は何も残っていない。
大沢川
子供の頃は岩魚釣りを興じました。
猿ヶ石川に注ぐ大沢川、下流域も上流域も岩魚の宝庫でしたね。
当時に比べ水量も減り、河川も工事なんかも入って釣りができるポイントは限られてますが、所々に川に至るルートが足跡というか踏み固められている雰囲気があり、少ないですが釣り人が訪れていたかも?そんな形跡があります。
岩魚が未だに居るとしたら嬉しいですね。
蒼前神社への参道跡
以前はこの鳥居をくぐって参拝していた名残。
無論、今でも行けますよ。
大沢川と太郎沢の落合
向かって右が太郎沢、左が大沢川
やはりどちらも岩魚が釣れましたが、太郎沢(たらじゃ)は川幅も狭く途中までしか釣りをしたことがないです。
さらに「たらじゃ」とくれば当時から名うての熊の出没地帯で有名、当時も今も行きたいとは思わないですね。(;^ω^)
旧上駒木会館(集会所)
大沢川と太郎沢の合流点脇に佇む旧公民館
小学生になる頃に建てられた記憶が・・・脇の小道は林道となっていて、少し上から冬になるとソリのコース、遊びとなっていました。
今の上駒木集会所は駒木バス停横にあります。
駒木バス停、妻の神石碑から松崎方向へ進むと
小生の住む集落、下駒木となります。
駒木小学校東側にあったO先生の屋敷跡。
又五郎梨と同類の梨の木があって小学生の頃は今時季、友人達と拾って食べてましたね。
その梨の大木も近年、台風の暴風で倒木し今はその痕跡もありません。
いずれ今は蔵と作業小屋が残されているのみです。
小学校があった頃は警察官駐在所、教員住宅が並んでありましたが、今はかつての教員住宅が空き家状態となって残されている。
下駒木というか駒木地区のかつてのメインストリート
駐在所に商店が上と下(かみとしも)にそれぞれ1軒、上の店は酒屋も営んでおり、他に釣り道具なんかも扱ってましたね。
2年前まで下駒木のバス停がありましたが、バス路線が廃止され、さらに寂しい景色となってます。
バス停があった頃の名残か?
笠置場?・・・まさか?・・・笑
下駒木から農道を通って福泉寺駐車場下の県道に至り、左折して歩道を歩いて我が家へ・・・正味1時間、約7千歩のウォーキングコース。
かつて見知っていた集落、空き家があったり新しい家が建ったり、それでも昔みた光景と大きな変化もなく、当時の記憶が蘇ってくる散策でもありました。
頻繁に歩いても懐かしさも薄れてきますので、別コースと織り交ぜながらウォーキングしたいと思います。
その福泉寺
今年も平日開催なので任に就くことはできない。
ブログを始めた頃は紅葉も序盤という雰囲気でしたが、ここ数年はポスターのとおり、盛りとはいいませんが、良い感じに色づいております。
今年はどうなんだろう・・・?
例年どおりであれば後2週間で最盛期か??
10/21の週が見頃かと思います。
10/8 現在
それらしくなってきておりますが、まだまだ・・・。
暴風で木の葉がだいぶ落ちたということで・・・
受付の任をしつつ落ち葉集めも・・・
(母親です)(;^ω^)
ネネ、先月で満14歳
寝ている時間が若干増えた感じですが、それでもテリトリーの巡回も欠かさずということで、元気です。
7千歩に25度近く・・・今日、自分が歩いて途中妥協したばかりなのでなんともはや(^^;
記憶の中の景色と現在の景色の違い、こうして見て歩くというのは楽しいけど、どこか寂しさを感じるけど、やっぱりいいですよね(何が言いたいんだかわからなくなりました)。
とらねこさんに遠野を案内していただいた時のことが懐かしく浮かんでます。
子供の頃あった、軍需工場跡は、マンションに代わり、当時の物は何も残っておりません。学校だけですね、残っていて変わらないものは、、
待場とは違い在郷というか農村地帯でのこと、自然とか景色はさほど変化はないですが、それでも建物が建て替えられたり田んぼの場所も変わったりしております。
でも記憶の風景から、だいぶ逸れるということはなく懐かしく思い出しております。
バス停も無くなり、ますます寂しくなてますが、定期に今の風景を切り取って残していきたいと思います。
田舎とはいえ遠野の街場とは趣も違う在郷のこと、さほど大きな変化はありません。
でも建物とか木々、河川の変化よりも世代の違う地域の方々、お嫁さんに来られたご婦人方、住む人々の移ろいもまた寂しく感じるのは歳のせいだけでしょうかね・・・(;^ω^)