「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

大野源左衛門

2007-04-16 14:26:49 | 歴史・民俗
鉛色の空、ポツリポツリと小雨も時折降り出す生憎の天気、先週中盤からなかなか青空が広がらない、今朝は高い山々の半分上は降雪があったようで、薄っすらと雪化粧をしておりました。


2007年4月16日 朝の天ヶ森


 さて、先週から附馬牛町の館跡探訪を少しずつ実施しておりますが、雨模様でなかなか山野に分け入ることは叶わず、しかし、大萩の大館と小館、そして古桑原館(別名旧大野館)だけはなんとしても早期に探訪したいと考えておりました。

 まずは桑原館、ここを見ておきたい、しかしながら場所の特定が不完全でして、附馬牛地区センターへ出向いてご教授をいただき、当初私が考えていた山野付近ながらも少しずれていることを確認、早速本日の午前中勝負として訪ねて参りました。

 教えられた御宅の裏山に突入、しかし、資料には比高90メートル、真っ向に石上山がはっきり見えるとある。
 
 確かに石上山は見えるも、比高は、せいぜい30m位か、雰囲気からして舘山とは思えないし、それらしい痕跡も皆無、北側に高い山野があるが南東側にもさらに高い山野がある。

 感覚からすれば、旧大野館というくらいだから、北側の山野が怪しいも、何故か足は南東側へ向かっていた。

 奥まった山頂を目指すも空振り、峰沿いに南東側へ、少し下る峰であるが、このまま行って空振りだったら、今度は戻るには登りとなり難儀するだろうな・・・なんて考えながら、折角来たのだから、見つけるまでは徘徊するぞの意気込みでそのまま歩みを進める。

 おっ・・・・あれは・・・ということで、土塁らしきこんもりした形状が・・・さらに堀切らしき形状もみえる・・・まさしく、ここが・・・・峰ふたつを越えてやってきたが遂に発見、まさしく館跡特有の地形が目の前に飛び込んできた。


 山頂北部分の空掘跡

 背面の峰を断ち切る堀は一本のみ、そこから下る空掘は土砂の堆積等で消えかけてはいるものの、まずまず確認できる範囲、さらに石上山もはっきり見える、高さも山頂からはまさに比高90メートルといわれればそのとおりで、結構高い。


 帯郭

 山頂を取り巻く帯郭、南西側へ伸びる複数の階段状の形状も確認、雰囲気は土淵の本宿館そっくりでもある。


 主郭(山頂)下の帯郭


 う~ん・・・使われていた時代は?・・・戦国期には間違いなさそうでもあり、また眼下に広がる桑原地区や宿、大萩地区が手に取るようにみえる・・・。

 東禅寺方面からの街道、早池峰妙泉寺があった大出方面への道すがらの要衝といった雰囲気、これまた考察するには厄介な館跡でもありそうです。


 

 さてさて・・・・この桑原館の館主は、郷土資料によると桑原左近という武将と大野源左衛門の名が記されている。

 大野氏が居たとされる館は、実は小出方面への道すがらの大野地区に新館があったとされ、こちらは平城、屋敷とでもいいましょうか、ですから今回探訪した館跡は、古桑原館とか旧大野館と名が付けられている。

 桑原左近とは・・・まさに不詳といったところですが、今回のお題「大野源左衛門」も、その館主のひとりといわれている。

 大野源左衛門は、文禄、慶長の人ということになろうが、附馬牛領主、阿曾沼支族で重臣である火渡館主の火渡中務広家(玄浄)の家臣と伝えられている。

 慶長5年(1600)遠野の政変で、遠野主家で横田城主、遠野孫三郎(阿曾沼広長)は、鱒沢、上野、平清水氏等の謀反で遠野を失った。
 首謀者の鱒沢左馬助広勝は、遠野内の館主及び重臣等を横田城に集め、旧主阿曾沼広長の追放を宣言、さらに自分達の配下へ加わるよう説得をしたとされる。

 その多くはこの謀反に同意するも、附馬牛の火渡館主の火渡玄浄のみは、その非道を責め、罵り、席を立つと己の館である火渡館に軍勢を集めて立て篭もったとされる。

 火渡玄浄は再三の説得にも応じなかったため、遂に鱒沢、上野両氏は、火渡館攻めを下知、遠野勢の大軍が火渡館を攻撃、この時、玄浄の家臣、大野源左衛門は自慢の強弓をつがえて遠野勢多数を射殺、遠野勢の将兵が串刺しになる恐るべき強弓だったと伝えられる・・・・(ホントだったら凄まじい強さである)

 しかし多勢に無勢、城方の矢玉も尽き、火渡館の落城も時間の問題となるや、海岸方面の大族、大槌氏を頼って玄浄を落ち延びさせようと大野は、玄浄は切腹したということにして、その遺体は東禅寺に葬るとして玄浄を白布に包んで脱出を試みるも、敵兵に玄浄は白布ごと刺されて討ち死にと伝えられる。

 その後の大野源左衛門は、玄浄と討死にした家臣達の菩提を弔うため高野山へ行ったとも、東禅寺に玄浄の遺体を葬った後、修験者となったとも伝えられるもその後の事績は不明・・・・。

 そういえば、室町時代の宝徳合戦、葛西勢を率いて綾織谷地館の宇夫方氏を攻めた金成右京太夫政実を一矢の強弓で射斃した宇夫方郎党、大野十郎なる者、時代は違えど、どちらの大野も強弓の士、何かしら関連がありそうな感じもいたします。



 桑原館跡(旧大野館)


 お知らせ

 4月21日(土) ミニミニぶれんど開催

 予ねてからご提案しております遠野ブログ関連写真展に向けての打ち合わせ及び、遠野通い人さん達が連休に遠野にお越しになる際の歓迎ぶれんど会等の日時やら催物を事前に協議する集まりをいたします。
 無論、懇親会付きです。

 時刻、場所は前日までにお知らせいたします。
 または「遠野くさぐさブログ」でご確認願います。

 
 
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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
動き出しました (藤九郎)
2007-04-16 18:12:35
ブログ関連の写真展にむけていよいよ本格始動ですね。

火渡玄浄家臣の館ですか。
忠義の臣・火渡玄浄もさることながらその家臣もまた立派。

遠野入りも間近。
こちらもエンジン暖機運転を開始というところです。
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Unknown (about)
2007-04-16 19:25:59
お晩です。

>将兵が串刺し…
弓道部の同級生が「ここ(弓道場)がら校舎まで普通にとどぐぞ」って言っていたのを思い出しました。串刺しはあながち嘘ではないのかもしれませんね。
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まずは・・・ (とらねこ)
2007-04-16 20:19:05
藤九郎さん
まずはその催物も初期段階としての内容でもあり、皆さんのご意見やら取り組み等をザックバランにご披露というものかと思います。
ですが・・・自分としては是非にやってみたい、やっていただきたいと思うんですがね・・・。

さて大野館、今季で一番疲労感と大変な思いをした館跡でもあります。
なんたって入山した場所の一番高い山頂まで行って、ここまでたどり着くにも峰をふたつほど、さらに今度は下り、ここを下って館跡でなければ、たいへんな目に遭うところでした。

館そのものはご一緒した本宿館とそっくりでしたよ。
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あり得ますかね (とらねこ)
2007-04-16 20:23:19
aboutさん
串刺し・・・弓道部の方が仰せですので反論はできませんが、そういえばフライパンを二枚を貫通させた実験をみたことがございますから、強弓の士はいたかもしれませんね。
5人張りとか6人張りといって弦を張る強さによってその威力も増すようですしね。

ただ、昔の弓の有効射程距離は館等の場合ですと20メートルが限度とか、串刺しにするということはかなりの至近距離から強弓を放ったかもしれません・・・いずれ凄いですなあ~・・。
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フレーフレー (一如)
2007-04-16 22:00:03
 毎日の雨で、虎猫さんはなんじょにしてらべ と思っておりました。小雨決行とはさすがです。石が流れ、石が続きます。体力と根性の無い私は尊敬してやまないのであります。せめて、エールを 「フレーフレー と ら ね こ~~~~」
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なんとしても (とらねこ)
2007-04-16 22:13:30
一如さん
小雨もなんのその・・・・笑・・・。

どうしても早期に見ておきたい館だったもので、しかもへび~やプーさんが本格的に活動する前にと、思ってのことでもあります。
後は平山城系の比較的低い山城メインとなりますので、へび~はともかくプーさんは家々も近くということで、少しだけ安全かなと考えております。

さて、土曜日、色々と秘密話をお伺いしたいです。ご参加をお願いします。
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無念! (笛吹童子)
2007-04-17 18:01:46
 ミニブぶれんどの件、残念ながら、同じ日にPTA主催で新しい先生方の歓迎会があり、出席できません。役員としての最後のご奉公なので、お許し下さい。涙!(でも、親不幸通りで会えるかもね・・・)
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ひ み つ (一如)
2007-04-17 21:13:15
 It’s a シークレット(つづりをパーペキに忘れもした) と書いたコメは数は知れているが忘却を得意技にしているため、そちらから振ってくださりませ。
 あっ、土曜日の予定はまだ、わからず・・・でも、何も入ってはいましぇん
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親不孝で (とらねこ)
2007-04-18 15:01:45
笛吹童子さん
ご一緒できるかと思いましたが残念ですね、でも途中から親不孝辺りで合流も有りかなと期待しておりますので、時折携帯電話に注視していてください。

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是非に (とらねこ)
2007-04-18 15:05:36
一如さん
土曜日は是非に明けておいてください。
一応、当方がご予約といいますか、先客となり得ることでもありますから、よろしくお願いします。

駅側親不孝最初の左手のお店「D」、午後7時頃からの予定なようです。
夕方、一度お電話いたしますからね。
返信する

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