今はほとんどみられなくなった行商、私の少年時代は、沿岸方面から背負った篭に満載の海産物を売りにくるバアサン達がバスから降りてくる、そしてそれぞれお得意の集落、御宅へと向かい、午後早くには遠野の町行きのバスに乗って遠野駅に向かう、そんな光景がありました。
無論、我家にも馴染みのオバサンがやって来ては、縁側に主な魚介類を並べる、家ではほぼ毎日、買っておりましたし、隣近所からも買いにやって来る、私が中学生、高校生になると行商のオバサン達の数はめっきり減りましたが、代わって移動販売車がやって来る、それでもかつて行商をされていたオバサンの家族ということで、車のスピーカーから演歌が流れると皆、買物カゴ持参で買いに出ていた光景も思い出されます。
宮守町にて・・・
ホウキの行商
宮守町粡町で見かけたご年配の男性・・・・
訪問販売といえば聞こえが悪いという印象が私はしますが、行商となれば、どこか懐かしいといいますか、ほのぼのした感じがいたします。
宮守勤務時代、国道に隣接する職場でしたので、お花屋さん、パン屋さん、印象に残っているのは江刺からやって来たという南蛮売りのジイさん、一味、七味の唐辛子を扱い、これが辛いのなんの、またいい味を出していたことを思い出します。
今はなかなかお目にかかることは稀ですが、ほうき売りのジイさんを見かけて懐かしく思いました。
おまけ・・・
花巻の某ホームセンターペットコーナーにて
家のネネの小さい頃ではありません。
お値段は十数万円の高級猫さん、ガラスに顔を押し当てた姿で熟睡しておりました。
ペットセンターの犬、猫さんはいつも寝ています・・・というか私が見たときはいつもそうでした。
おまけ2
先月末、今月と探訪した程洞館をアップいたしました。
こちら
無論、我家にも馴染みのオバサンがやって来ては、縁側に主な魚介類を並べる、家ではほぼ毎日、買っておりましたし、隣近所からも買いにやって来る、私が中学生、高校生になると行商のオバサン達の数はめっきり減りましたが、代わって移動販売車がやって来る、それでもかつて行商をされていたオバサンの家族ということで、車のスピーカーから演歌が流れると皆、買物カゴ持参で買いに出ていた光景も思い出されます。
宮守町にて・・・
ホウキの行商
宮守町粡町で見かけたご年配の男性・・・・
訪問販売といえば聞こえが悪いという印象が私はしますが、行商となれば、どこか懐かしいといいますか、ほのぼのした感じがいたします。
宮守勤務時代、国道に隣接する職場でしたので、お花屋さん、パン屋さん、印象に残っているのは江刺からやって来たという南蛮売りのジイさん、一味、七味の唐辛子を扱い、これが辛いのなんの、またいい味を出していたことを思い出します。
今はなかなかお目にかかることは稀ですが、ほうき売りのジイさんを見かけて懐かしく思いました。
おまけ・・・
花巻の某ホームセンターペットコーナーにて
家のネネの小さい頃ではありません。
お値段は十数万円の高級猫さん、ガラスに顔を押し当てた姿で熟睡しておりました。
ペットセンターの犬、猫さんはいつも寝ています・・・というか私が見たときはいつもそうでした。
おまけ2
先月末、今月と探訪した程洞館をアップいたしました。
こちら
私は会った事ありませんが、恐らく仙台とかで商売しているのでしょうね。
たまーに箒などを売りに来るおじいさんがいます。
行商ではないけど、自分ちで採れた野菜を売りに来るおじいさんもいますね。
若干安めで品質もまずまずらしいです。
信頼に基づいた商売の仕方が、悪徳訪問販売と全く違うといったところです(笑)。
・・・・・ところで、遠野に「蓑売り」の話は残っていませんか(意味深)。
・・・・「カルカン」のモデルがここにも(笑)。
これ、「出してくれー」と訴えているうちに眠ってしまったようにもみられます・・・・(まさか)
起きたら、寝違えてないといいですね。
よく見たら・・・ですね。(童顔でした)
行商のオバチャンを何度駅まで送ったことか・・・。
仕事柄よく一緒になったりした物です。
話込んでしまい、汽車の時間がなくなったりして、数度遠野駅や、青笹駅に送りました。
行商の干物やらをお駄賃代わりに頂く事もありました。
ストーブで炙って食べた「するめ」の乾物の味が思う出されます。
蓑売りの話・・・はて、思い出せないというか存じませんというか、後で聞いてみます。
この猫達は大きくなっても飼主が現れないとどうなるのだろう・・・。
行商のオバチャンともお知り合いだったとは・・・
いろんな人生や苦労話も聞いたことと思いますが、何よりもこうして話してもらえる雰囲気、これが一番かもしれません。
私だったら、三言で会話はなくなると思います・・・。もっと人間性を磨いて養う努力をしたいと思います・・・汗
懐かしいですね~。
ワタクシの実家、東京下町でも昭和50年くらいまでは普通にいましたよ。
主に千葉方面から来ていたので、千葉のおばあちゃんと呼んでいました。
60キロにはなろうかという野菜、もちなどを担いでの行商でしたね。
近所を走る●成電車には行商のおばちゃん専用車両があったりしました。
特に年末は正月用のもちを持ってくるのを首を長くして待っていた記憶があります。
市販のものにくらべて、味、香り、弾力が段違いでした。
「箕作り・箕売り」・・・・これでピンと来た方は歴史というよりは、民俗学に詳しい人かも知れません。
キーワードとして、マージナル、もののけ姫のサン・烏帽子御前、義経と常磐御前・静御前などがあるようです。
もしかしたら、yamanekoさんはご存じかも知れません。
盛岡南部士族の宮氏・・・結構おられるようですが、盛岡在住で桑田会の会員でもある盛岡在住の宮さんのお一人と知り合いでもあり、どうやら遠野の宮氏とは無関係なようですよ・・・というか詳しくはわかりません。
盛岡南部家の宮氏は九戸の乱前後は三戸や二戸に一時的なルーツを見出すのではないかと考えてます。
いずれ遠野の宮氏・・・御末裔の方が長年にわたる調査の結果を尊重したいと思いますし、信憑性も極めて高いと思っております。
平野原氏は遠野上郷関連の武家で本姓を菊池氏、こちらは早期に関連館である平野原館の調べをしたいと思います・・・来春ですかね・・。
都会でも行商ですか、昔はあったと思ってましたが30年前辺りまで見られた風景だったのですね。
私は少年時代にスーパーというものを知らない世代、食材のほとんどは、この行商のオバサン達に頼っていたものと思います。
今の時代が良いのか、古き名残りを見せる時代が良いのか・・・難しいですね。