「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

デジカメ

2005-10-11 13:38:13 | その他
 趣味、色々と考えてみたが、やはり最近は歴史探訪と健康ランドめぐりしか思い当たらない。以前はスキー・・・こちらは随分とはまった時期があったが、何故かゲレンデから遠のき、ここ5年は全く滑っていない。さらに釣り、こちらもかなりはまった。職場で釣り同好会を結成、主に海釣りに興じ、遠くは牡鹿半島付近や石巻、秋田男鹿にも毎年出かけていた。念願の黒鯛(小さいの)を釣ったのを最後にこちらも4年は全く釣行していない。同好会も自然消滅・・・。

 さて、最近、カメラを多少いじってみたい、そんな衝動にかられている。カメラといってもデジカメであるが、ホームページ、ブログをやっていく上では必要不可欠でもあり、より綺麗な画像と共に納得いくワンショットを残したい、そう考え始めてのことでもあります。
 今使っているカメラはフジFinePix4900Z、もう5年も使用している。当時は凄く高くて、確か10万は支払ったと思う、430万画素、一眼レフにあこがれていたが、使い勝ってのよさ、機能も満載ということで無理をして購入したものでもあります。しかし、カメラも含む高機能な品は使いこなせないタイプでもあり、未だにその機能の半分も使いきっていないのが現状でもあります。
 最近は一眼レフのデジカメもけっこう出回り、私のカメラとの差は歴然としているところでもありますが、動く写体にはほとんど歯が立たないと思われます、来年の春前には、もう一台購入を画策している、できれば一眼レフ。嫁さんの許可待ちということであるが、なかなか首を立てに振らない、もし買うことができたならメインとして使うつもりではありますがキャノンかニコンか、それとも新型フジファインピクス9000か・・?資金難ながら贅沢な悩みかもしれない。

画像は愛用のフジファインピクス4900・・同型
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前野

2005-10-09 16:06:04 | 遠野
 遠野も稲刈りはコンバインが主流ではありますが、我家で田んぼをお貸ししております同地域のI氏宅は、はせ掛けを主に頑張っておられる農家さんでもあります。
 遠野でも所々にて、はせ掛けの光景がみられますが、コンバインで刈り取って乾燥をかけるよりも、昔ながらの天日にて乾かす、この行程で収穫した米の味は、また格別という方もおり、おそらく美味しいに違いない。
 Iさん宅の息子さんは、地元でも有名人で、テレビ、新聞でもけっこう取り上げられ、また農業にかける情熱も人一倍、その考え方も私など中途半端でいい加減な人間とでは月とすっぽん状態かと思います。よって生半可な農業の担い手気取りであった私、その水田は、Iさん宅のようなしっかりとした方々にお願いする、この方が我家の水田も喜んでいるのでは・・・そんな思いでもあります。
 ちなみにIさん宅では「馬米(うまい)」というブランドの米を販売しておりますが、馬の堆肥等を使用した有機農法ということでもあり、その米の味は、さらに美味い・・馬米(うまい)ということで評判です。

 画像は、お貸ししている我家の水田・・・駒木字前野という旧名のところです。
前野、一段上がって中野、さらに一段上がって上野という地名がございますが、昔は桔梗ヶ原といわれたそうで、中野あたりは馬の放牧地でもあったそうです。駒木という地の馬との関わり、この原点もいつしか調べてみたいですね。

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ここ数日の話題

2005-10-08 10:16:15 | その他
 遠野郷も黄金色に染まり、稲刈りも急ピッチという感じ、我家は田んぼを知人にお貸ししているので、今は稲作農家ではなくなってしまいました。
 
 10月4日は、急に飲会のお誘い、近所のお宅にてカラオケ大会、テレビショッピングやらで話題のマイクにカラオケが内蔵されているタイプ、自宅のテレビにつなげばOKという優れもの、時代もますます進化といった具合ですね。
 さて、はじめのうちは、恥ずかしさもあってなかなかマイクに手がいかない、しかし酔いも回ってきますと、各自の18番も登場、気持ちよく歌っても70点台、そう点数がでるタイプ、しかし、内心はもう少し点数はでるはずの思いがあるのか、持ち歌すべてを出し切るほど盛り上がりよう・・・私も含み全員か?
 そんな中、なな・・・ななんと私は二曲つづけて96点をマーク・・これには拍手喝采と混じって、なんでそれほど上手いわけでもないのに高得点なのか・・と疑問の顔・顔・顔・・私にもよくはわかりません・・私は音痴ではないっ、これだけは言っておきます。
 宴もたけなわの頃、同集落の方の訃報が飛び込んでくる、同じ班のお宅でもあり、このまま宴会をつづけるわけにはいかない、早速解散となり顔出しに順次皆さんと出かける。
 翌日は勤務で、我家の女性たちがお手伝いに行く、翌日は非番、すぐに帰宅すると礼服に着替えて、出棺、火葬、さらに夕方からは念仏。
 そしてその翌日、葬儀である・・・同じ班といっても僅か6戸しかない、山稼ぎといって昔でいう墓穴堀りであるが、昔から伝えられる慣わしに習って事を進めるわけです、亡くなられた方は、この山稼ぎでの師匠的な方でなかなか博学でもあって、うまく班内では伝えられておりましたので、なんとかなりました。
 既にここ2年で班内では3名の方が亡くなられ、私も山稼ぎの奥義までには至りませんが、経験がものを言う・・そんなことでもありなんとか見よう見まねながらやれるところまでは来たと思っております。それにしても班を構成する家の数が少なく、たいへんでもあります。
 冠婚葬祭に関する地域に伝えられるもの、今現在にふさわしいとは思えないこともありますが、それでもこういった風習とか、儀式も伝え守らなければならないものかもしれません。
 男達もたいへんですが、下まわりと称する女性達の仕事もさらにたいへんでもあるようです。
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遠野旧事記

2005-10-04 17:40:36 | 歴史・民俗
 いつもながらであるが仕事で前担当分野であるが、最後の最後においても「ポカ」をしてしまった。
 こんなはずではないと思うも、よく考えれば少し焦りすぎ、大した吟味もせずにやってしまったと思い起こされる。とにかく失敗してしまった、後任の担当者にはたいへんなご迷惑をかけてしまうし、関係各位からも叱責というより失笑をいただいているに違いない、とにかく反省しきりの自分ではあります。

 さて、タイトルの遠野旧事記 遠野在住の小原六郎先生が3年の年月をかけて、阿曽沼氏遺臣、宇夫方氏の末裔、遠野南部家臣、宇夫方広隆がまとめた「遠野旧事記」を現代語訳をして刊行したものです。
 江戸時代の遠野の様子、遠野南部家のこと、武士の暮らし等・・たいへん読みやすく訳されております。
 こうした先生方や先人の努力によって郷土史という分野が益々身近に感じられ、さらに後の研究者の資料として活用される・・・私はすばらしいことと思いますが、是非に私も将来、何かしら成してみたい・・そんな思いでもありますが、まずは古文書等を読み下す力を養わなければならない・・またもっと駒木に虎猫あり・・なんていうこともアピールし、色々な方々からのご助言なりご教授もうけなければ、こちらも成り立たないことでもあります。・・まんつ、このごどは、かばなす・・ということで・・・。

 ちなみに小原先生とは面識はございませんが、実は遠野中学校時代、私は一年生のときに先生に社会科を教えられました。いわば教え子のひとりということでもありますが、目立たない私は記憶にも印象にも残っていないものと思います。
 先生は授業の中で「海上の八幡座は源義家が陣を敷いて座して休んだから八幡座と言うのだ・・」と「そこから矢を放った先が矢崎となった」と私に教えてくれました。早速、その夜、親父に訪ねますと全くそのとおり・・と言っていたのが思い出されます。
 私の郷土史好きの原点は、ここら辺にもあるかもしれません・・。
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カクテル

2005-10-03 14:40:53 | その他
 わが職場も10月3日、開庁式を行い、あらためて辞令もいただき身も心も新遠野市として心機一転発進いたしました。

 カクテル・・・
 若い頃は馬鹿のひとつ覚えか、単なる「じぇんごたれっ」か、バイオレットフィズ
しか知らなかった。
その後、誰もが知っているソルティードッグ、ピーチフィズ、さらにブルーハワイ、マティーニ・・・まさにじぇんごたれっ・・である。
最近は、缶や瓶ですぐ飲める状態のものが市販されていたり、居酒屋でも簡単に飲むことができる・・・(無論本格的ではない)・・とにかく飲みやすく、量があって安いにこしたことはないのだが、最近、飲会が重なり、よく行くようになったお店「P」・・以前からママさんは存じ上げていたが、若ママさんが本格的に作られるカクテルが評判のお店に変貌していた。綺麗なお嬢さんが作られるカクテル、どれを飲んでも美味しい・・また馬鹿のひとつ覚え、「シンガポールスリング」と「カシスミルク」が今はお気に入りである。
この前も後輩と出かけて、その日予定のミルク全部を使わせてしまった。
今後、カクテルの研究もしたいなあ~・・なんて考えたりもする。(作るのではなくあくまでも客として・・)

画像は・・・
カシスミルク
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遠野旅情

2005-10-01 18:26:14 | 遠野
 2005年10月1日、ついに新遠野市が誕生した。
 10月1日は、早朝から新市誕生にかかるセレモニー、さらに産業祭り等も相次いだが、既に新市として稼動もはじまり、期待と不安が入り混じるも、とにかく前進あるのみ・・そんな思いでもあります。
 古きものは終わりを告げ、新しきものが始まる・・こんな感じだろうが、その実は古きものも継続、継承しつつ、新しきも始める、とにかく、新遠野市丸の船出である。

 さて、タイトルの「遠野旅情」・・・宮守ご出身の水越さんが作詞された唄であるが、新市誕生のタイミングにて、全国に向けて発売でもあります。
 水越さんご夫妻が9月30日に遠野市役所を訪ねられた模様が遠野テレビにて放映もされておりましたし、その他の地元メディアも取材、今後のご夫妻のご活躍とCDが好評を博することにご期待いたします。

 ということで、水越さんは、上宮守のご出身ということで、現在は山梨県在住、今年四月に、拙サイト「遠野南部氏物語」での遠野南部家臣団を取り上げてアップした際に、以前から拙サイトを閲覧されており、追加更新を楽しみにしておりますというお電話をいただいた経緯がございます。その後、メール等で遠野南部家臣、水越氏についての情報交換、ご意見等もいただいたこともあり、遠野市長さん表敬訪問前にこんな私を訪ねられ、お土産に遠野旅情のCDをいただいた次第です。
 また水越さんにご同行された地元の方も、インターネットを始め最初にご覧いただいたのが拙サイトということで、PCを開いた際は、欠かさず拙サイトにアクセスされていると聞き、さらに更新追加も楽しみにしているとの声をいただき、サイト運営に関して良い励みとなりました。
 遠野旅情は水越さんの奥様の作詞、ジャンルは演歌ですが、遠く故郷を離れ全国各地に暮らす方々の心をつかみそうな歌詞でもありますし、これは私個人の印象ですが、やはり演歌ということで、夜のネオン街が思い浮かびました。どこか知らない街のネオン街、酒場にひとり佇みますと、その店のママさんが歌う遠野旅情、どこか懐かしく、故郷遠野を想う・・そんなイメージでもあります。もちろんそれぞれにとらえ方、イメージも違うものとは思いますが、なかなかよい曲でもあります。
 遠野が入る歌謡曲分野では、飛行船(あんべ光俊さん)の「遠野物語」が地元では有名ですが、長山洋子さんが歌った「遠野物語」は紅白歌合戦で歌われたこともあり、これらに続く遠野の歌となるのか、ご期待とご健闘をお祈りいたします。
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