「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

冷え~冬本番の一日

2010-12-16 19:41:17 | 遠野

 

 今季一番の冷え込み、氷点下7度?もっと冷え込んだ感覚ですが、まだシーズン初めで今から寒いと言ってられませんね、遠野人は・・・汗

 

 庭の舗装路は「デロデロずがったすっ」・・・大汗

 

  末娘を学校に送っていく途中の高清水を眺めながら、天気も良いし、ひょっとしてまだまだ懲りないタワケ者がいるんじゃないかな?と思いながらも、積雪もあってしかもかなり寒い・・・高清水は「どんどはれっ」・・・笑・・・おそらく・・・。

 帰り道も気になって見ていると・・・

なんか急に低い雲も立ち込め・・・というか行きにみた時は雲ひとつなかった・・・。

あっという間に高清水の上半分を覆い尽くす・・・。

 

 まっ、ちょっと変った光景だったということで、ただコンデジで撮っただけですが、ここ一週間ほどデジイチを触ってなかったような?久しぶりということで帰宅するや上下に一枚重ね着して冷え込んだ菩提寺へ・・・。

 

 

 

   普通のスニーカーで行ったので、足は冷たくなるし斜面では滑って転びそうになるし、まだ身体ばかりではなく身支度も冬仕様になっていないような・・・汗

 

 ついでに某川辺に・・・

川下にも別グループ10羽程度がおりました。

 

寒いのにご苦労さんと言いたいですね・・・笑

 

午後からは雲ってきて午前中の快晴が嘘のようでした。

 

 

 ※遠野ぶれんど忘年会関係のお知らせは前日(12/15)の記事でご確認下さい。

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「遠野三昧」第2回遠野ブログ画像展、まもなく・・・

2010-12-15 13:47:47 | 遠野ぶれんど

 

  第2回目となる遠野ブログ画像展、その名も「遠野三昧」・・・遠野の「どごだり、かごだり・なんだりかんだり・・・」遠野の山河、郷土芸能、催し物、動物、自然現象・・・まさしく「遠野三昧」の写真が着々と届けられているようです。

 遠野ブログ画像展「遠野三昧」は・・・

平成22年12月25日(土)午後~

平成23年1月3日(月)午前まで

遠野市新穀町の「とぴあ」2階催事場で開催されます。

ブロガーの目を通した遠野の姿、是非にご覧いただければ幸いです。

 

さて・・・

 出展予定のブロガーの皆さん、間もなく出展の締め切りとなりますが(12/17)・・・大急ぎで出展作品の送付をよろしくお願いします。

 ただし、直接届けられる方は、凍結路面等で道路事情も良好ではないので、慌てずに気象状況等をみながらお越しいただければと思います。

 少なくても12/18には必着となるようよろしくお願いします。

 

 それとコルクボードコーナー用のスナップ写真(L版)、出展出来る方はジャンル関係なく(但し遠野で撮影したもの)1ブログ5枚前後もよろしくご協力ください。

 L版の場合はタイトルもハンドル名、ブログ名も入りませんので、よろしくお願いします。

 

 ちなみに「じぇんごたれ遠野徒然草」では・・・

以上の5枚のスナップ写真を提出しております。

 

本日の遠野

我家の庭から・・・

  冬将軍到来・・・午後遅くになって雪も止みましたが、気温が下がり路面は凍結路となっていますが、数日冬型とか・・・?

 体調管理には皆さん気をつけましょう・・・。

 

 

※画像展開催記念懇親会兼忘年会の開催について

とき・・・平成22年12月29日(水)18時 開宴

                      ところ・・・「いちい」 とぴあ斜め向かい

           

 遠野ぶれんどメンバー及び画像展出展者の皆さまのご参加をよろしくお願いします。

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忘年会でした

2010-12-13 19:15:25 | その他

 某団体の忘年会に行って参りました。

 私の中での忘年会では人数も多く、会費も別出費も最大規模の忘年会という位置付けで、「ワクワク、 o(-ω-o)(o-ω-)oo(-ω-o)(o-ω-)o ・・・トホホ、Σ( ̄ロ ̄lll) ・・・ニンマリ、( ̄ー ̄)」・・・の繰り返し・・・汗

 

 12月の某日曜日、葬儀、プチ会合をこなして、色んな思いやらが交差する心境ながらも某温泉宿へ向かってハンドルを握ってますと、一筋の光明みたいな?

 とにかく今日は忘年会、一瞬だけでも忘れ去られることがあるのなら忘れて大いに楽しもう・・・そんな思いで本日の会場に着くと・・・。

  日曜日なので、そんなに混んではいないだろうという目論見ながら、見事に大外れ、月曜日休みの各自動車ディーラー、山の神の日ということで林業関係の団体とか、とにかく大賑わいとなってました。

 ちなみに画像は、私が関係すると思われる某団体の忘年会団体です・・・汗

 「松崎・・・・・・」は私が住む地域、そして「高清水・・」は、当ブログでお馴染みの雲海や夜景撮りに通った、あの高清水のことです。

 さて、とらねこ管理人さんは、どちらの団体の人だったのでしょう?・・・笑

 

 

 温泉を堪能して、いよいよ忘年会のはじまり・・・

 

かんぱ~~い

隣の人と乾杯・・・汗

 

宴もたけなわ、楽しい時間はあっと言う間・・・

 

  二次会場で、少し羽目を外しがちとなる寸前・・・汗・・・家の隣の小母さんやら、全ての方がご近所の顔見知りの方々ばかりで一気に素面に・・・大汗・・・これには参った・・・汗

 

気を取り直して〆の冷麺

案外美味しかったです。

しかも結構盛りが多い・・・。

 

またもや温泉入って、早めに休ませていただきました。

どんどはれっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガ!ビ~ン・・・大汗

 

 

ひじゃかぶ発進・・・

 

 

オヤジはアホですねぇ・・・大汗

 

たいへん失礼いたしました・・・謝

 

 

盗撮ではありません・・・。

 

楽しかったです、なんとか年を越せそうです・・・。

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慌ただしいですが・・・

2010-12-12 12:48:20 | その他

 

遠野ブログ画像展、遠野三昧の準備も着々と進行中とのことです。

 参加ブロガー、展示作品も、ここに来て増えているということで一安心というところですが、色々と野暮用やら慌ただしくなり、なかなか展示画像を届けられない状態ですが、なんとか間に合うようにしたいと思ってます。

 

今回の自分なりのテーマは「紅葉」です。

 

 

どちらも菩提寺である「福泉寺」の紅葉ですが、今、身近では難題といいますか、心許ない現実が覆いかぶさってきており、今月になりその第2幕が・・・汗

 

 それにしても構図とか上手いとか下手ということはさて置き、自己満足ですが、すばらしい写りといいますか、光景だと自信を以て展示したいと思います。

 

 ということで、葬儀や菩提寺関係の用向きと慌ただしく過ごしておりますが、本日は某団体の忘年会ということで、一泊となりますが、出掛けて参ります。

 

 昨年同様、「足」に注目かと思います・・・大汗

 

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境内は薄雪化粧

2010-12-10 18:09:38 | 思いで

  今時期の降雪は別に珍しいわけでもないですが、まだ本格的な雪化粧もほとんどないに等しい気候で、少し面食らっているというか、何処かで安心しているというか、とにかく変な気候が続いていて、何をするにも色々と考えてから・・・そんな昨今となっている。

 

 そんな朝は勤務地で迎えましたが積雪が3センチ程、太陽も顔をのぞかせていたので、帰宅する頃は雪も融けだすか?と思いながら、家路を急いで帰宅するや菩提寺へ・・・・。

 

逆光を抑えつつ、陽に光る雪がついた木枝を狙うも、イマイチ・・・汗

 

屋根の雪が融ける前に・・・と思うもやはりダメでした。

 

陽が遅く当る場所では・・・

 

薄化粧といったところ・・・。

 

 本日は妻の叔父(厳密には妻の叔母の旦那さん)が荼毘に伏される日、午後からの案内を受けておりましたが、薄化粧した菩提寺境内を軽く散策しながら、己の汚れを落とすかのように・・・汗・・・・。

 小生の亡父は、地元鹿子踊りや神楽舞の大夫を長年しておりました。

 また妻の叔父も芸達者な御仁で地域の神楽舞の大夫(太鼓)の師匠でもありました。

 私の親父が亡くなった日は、今日のような雪で薄化粧した日でもあり、また妻の叔父が荼毘に伏される日もまた同じような日でもあって、何かの因果といいますか、共通する何かがあるのだと勝手に思ったりもしております。

 妻の叔父の遺影は半纏姿で神楽の太鼓を叩いている最後の雄姿とか?地元で喧嘩したままの二つの神社の権現様を仲直りさせた日に最後となる大夫の姿を見せた写真だったと聞くと、なおさら目頭が熱くなるのを覚えました。

 地域の宝がまたひとつ消えた瞬間でもありますが、残された方々で地域の郷土芸能を盛り上げて行かれることをご期待しております。

 

 

 

 

  故人の娘さんと嫁さんは従姉妹同士、その娘さんの旦那が小生と高校時代の同級生で4月に福島の高速SAで偶然に再会しておりますが、本日は空き時間に夏に開催された高校同窓会の模様やら同級生の知っている限りの近況などを教えたりして、懐かしく昔なんかも語ったりもした。(彼は同窓会は欠席)

 正月2日は帰省する予定とかで地元同級生達によるプチ同窓会にお誘いしましたので、同級生の皆さま、よろしくお願いします。

 中学は柔道部、高校はバレーボール部、早瀬町出身・・・北上市在

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日門城(気仙郡下有住)探訪

2010-12-08 18:30:44 | 歴史・民俗

  薄暗い曇り空、天気は午後から回復傾向ということでしたが、翌日には冬型が強まり降雪との予報を受けて、この時季恒例の城館跡探訪を実施、奥州市江刺区内の城館跡を予定してましたが、出掛ける寸前に野暮用を頼まれて出遅れてしまったので遠野から比較的近いということで、隣町の住田町の未踏の館跡に行って参りました。

 

日門城(ひかどじょう)

気仙郡住田町下有住火の土 横川

遠景

  この場所に立って写真を撮るのは、今回で2度目・・・汗

 なんか眺めただけで、実際に山野に足を踏み入れる勇気といいますか、その気にならないというのが本音・・・斜面はきついんだろうな?みたいな・・・汗

 しかし、今回は折角勇んで来たということで、上り口を車で流しながらゆっくりと探ると・・・・。

 道端に標柱が・・・この辺が城跡の真下というか、上り口がありそうな雰囲気・・・

 しかし・・・標柱の上は・・・・

  斜度45度くらい?下からみると断崖という感じで、どう見ても此処を登れとは思えない・・・汗

 標柱には頂上には堀切があって本丸跡は広い平場であるという記述がされており、建てた人、個人名が記されておりました・・・おそらく地元の郷土史家?とにかく記述もそうですが、その人の意気込みといいますか、地域の史跡であるという思いに励まされ、この斜面を木につかまりながら直上りいたしました・・・大汗

 資料によると・・・比高150メートル・・・大汗・・・まさに遠野弁でいう「間に合うな」・・・「けっこうな」という意味合いですかね、とにかくかなり身体に応え、さらに足を滑らせたら・・・汗・・・という恐怖も少し覚えたり・・・本来はジグザグに登れば楽なんですが、横歩きで足が滑ったらそのまま滑り落ちることも予想されたので、とにかくきつかったけど一気に登りました。

 宮守館や上郷の瓜ヶ森館に匹敵する辛さがありました・・・。

 

 頂上平場

説明板や標柱のとおり、かなり広い平場となっていた。

  南側の先端部分に土塁らしき形状や窪みはありましたが、階段状の平場は確認できなかった。

 

西側斜面の空堀跡

 

 比較的平坦な尾根が北側から続いており、その尾根を二重の堀切で立ち切っております。

 堀切の奥深く、尾根沿いにしばらく進むと尾根幅が狭くなり徐々に北西側に下りはじめ、この方面からの探訪の方が楽に山頂に辿りつけそうな雰囲気もしますが、距離があって難儀するかもしれません。

 北西側の尾根以外は全て急傾斜地となっているが南東側の杉林の斜面だけは比較的緩斜面(遠景の写真の右端付近)となっている。

 

 堀切

遠野であれば標準的な堀切

 

二重目

 

  階段状となった帯郭的な平場は確認できなかったが、かなり高位置にあるので、ある程度の防御工作の必要性はなかったかもしれません。

  苦労して辿りついただけのことはありました。

 

山頂から・・・

火の土地区

  眼下にみえる山間の集落奥の山々は遠野市との境ということになりますかね?・・・昔は伊達、南部の藩境という極めて重要な位置付けであり、遠野の歴史を語るうえでよく耳にする樺坂峠であろう・・・。

 

 

 城の関連人物として、千葉一族である千葉河内守貞信が一時城主だったと伝えられている(天正年間1573-1592)

 また、千葉右馬亟とも言われるが定かではないですが、この地域の姓はほとんど千葉姓とのことであり、浜田系の千葉氏とも語られているが仔細は不明です。

                                   参考図書  (住田町史)

 

 さて、気になる記述が説明板に記されている。

 「慶長6年、1601年、世田米城の阿曽沼広長が気仙勢3千人を引き連れ赤羽根峠で戦い、秋には遠野勢の侵入を受けて、火の土で迎え撃っている。この時、日門城が大いに役立った・・・」とある。

 

 阿曽沼広長とは、遠野横田城主で遠野盟主であったが慶長5年(1600)に南部勢の支援の下、一族重臣の鱒沢氏、上野氏、平清水氏によるクーデターにより気仙郡世田米に亡命、世田米城主である世田米修理(阿曽沼広久、広長の舅)の支援と太守である伊達政宗の後援を受けて3度の遠野奪還の兵を繰り出すも、全て失敗し、ついに遠野への帰還は果たせず、伊達氏の家臣となった。

 

 赤羽根合戦へ3千人の軍勢、かなりの誇張した数値ですが、同町の平田城の看板にも兵3千人と記されている。

 3千人は誇張しすぎですし、秋の遠野勢の侵入で火の土の戦いは遠野では語られていないが、気仙側の資料とか言い伝えがあるのだろうか?もし何かあるなら是非に知りたいですし、ご教授をいただきたいです。

 

 阿曽沼広長による遠野奪還戦3度目は、樺坂峠の戦いと伝えられており、その際に気仙勢は、ここ火の土を通って進軍したものと思われ、戦いは平清水駿河、小友喜左衛門に率いられた遠野勢に敗れ、散々な目にあって撤退したと伝えられ、その際に、広長の率いる気仙勢は、日門城にて敗残の兵を収容したり、再編成を行って、勝ちに乗じて追尾してきた遠野勢を日門城で食い止めたということではないでしょうか?

 以前からそんな考察をしておりましたが、いずれ遠野小友境ということで、なかなか興味ある地域であると共に城跡でもありました。

                                              以上

 

 住田町まで来たということ、辛い山登りの後は・・・・

 

 

さっぱりと・・・汗

 

そして昼食は少し我慢して・・・・

遠野へ戻ってきてから・・・

 

 

 

けっこう久しぶりのような気がしますが・・・

 

シンプルラーメンなら遠野東の横綱

 

やはり、かなり美味しかったです。

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存続の危機

2010-12-07 18:45:32 | その他

 某晴天の日・・・

 

 

 

ということで久しぶりに洗車・・・。

が、翌日には雨となって少しガッカリ・・・涙

これからの時期、洗車してもすぐ汚れてしまうのですが、それでもたまには愛車も綺麗にしないとね・・・汗

 

ということで本題・・・

 

駒木  耳切山

 耳切山・・・「みみきれやま」と呼ばれておりますが、昔の人は遠くからこの山を眺めたときに耳たぶのように見え、その耳たぶが切れたように見えたので、そう呼んだと云われております。

 

 さて、この耳切山山麓は昔から「妻の神」と呼ばれておりましたが、この妻の神の奥深くに「大沢の滝」と称される小さな滝があって、修験者の修業の場であったと昔から語り継がれている。

 この滝近くにお不動様を祀り、滝から流れ出る水の流れは我地域の水田を潤し、生活用水にもなり、その流れは「大沢川」と呼ばれ下流の二つの集落には無くてはならない大切な命の水でもあります。

 その始まりは不明と云われますが、遅くても江戸時代後期、幕末近くには既にお不動様が祀られ、地域の某家が別当となって地域で毎年祭礼日には御神酒あげを行いお祀りしております。

 明治9年、お不動様を祀るお堂、その付近は別当家の山林であったが、官私有林区別報告の際に、私有地のままだと莫大な税金を納めなくてはならないとのことで、そのままの状態で報告しなかったとかで、いつしか国有地、すなわち国有林となってしまったとのことであるが、お堂については別当家管理ということだったらしく、今までなんの障害もなく滞りなく祭礼等が取り行われておりました。

 

某集落集会所

 

  一応遠戚でもある別当さんから某日、大切な話及び決めていただきたいことがあるので、某集落集会所に来てほしいとの連絡がありました。

 大体の内容は察しがつきましたが、ふたつの集落から約30名程の人々が三々五々集まって来られました。

 森林管理支所からも担当職員が見えられ、まずは簡略な経過説明と共に本題は、国有林内の工作物を今後管理して使用するのであれば、まずは賃貸契約を結び、今年度の分は計算によると約3千円(年間分)そして今後3年更新で毎年約8千円強の支払いをお願いするというものであった。

 初めて聞いた人々は驚きというよりも、何がなんだかよく理解できない、資料もなく質問さえ最初はできない状態、事の内容が少しわかった人は、まずはその歴史的背景から今までの顛末、いつどこの段階で国有林となって、今までなんの御咎めも無くお不動様を崇めて祀ってきたのに、ここにきて契約して使用料を支払えとは何事か・・・と憤慨する場面も・・・結局、紛糾しただけで何も決まらず次回には資料説明を・・・そして話のわかる上司の同席も・・・というこで解散となった・・・。

 

 実は、3年程前、この使用料云々に関しては既に当時の地域役員には示され何度か会合もしていた経緯があった。

 当時の役員には自分もおりました・・・汗・・・また今回の出席者の中にも数名いたのですが、誰もそのことは語らず、かえって一緒になって憤慨して説明者を困らせるといったことで、少し気の毒になってしまった。

 そういう私はというと何処で発言しようか?とにかくタイミングを計ってましたが、皆さんの勢いの中で発言すると矢面に立つのは必至で、途中から意気消沈して静かにしていたが現状でありました・・・汗

 とにかく聞いていると皆さん自分勝手な言い分が随分と出てくる、要は払うか払わないか、払われないならばお不動様を里に下げるとか、別な方策も考えなくてはならないが、その過程までは行き着けず・・・。

 別当さんも前回、役員で話し合っているのに、その時に決まったことは忘れて報告やら実行もせず・・・ということで、いきなり皆さんを集めてしまったということで大いに紛糾、我々当時の役員も恐れおののいて知らん顔・・・汗・・・へたすれば長年続いた民俗伝承行事が廃れる、その姿もまた別な形へと変貌していくという危機でもあるんですが、今私が抱える諸問題にも関わっていることに大きく関与することでもあり、実は集落の方々以上に、この問題は行事の存続も含んで難しい局面となるのは間違いないというところです。

 違う局面では年間使用料が幾らとか、そんなのは大した内容ではなく、ここでも別問題が大きく関わっていて、ほんと辛いですね・・・。

 参りましたわ・・・大汗

 

3年前の記事・・・こちら・・・

 

にゃ~おぉぉ・・・と聞こえそうな絵ですね・・・笑

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2010雲海総集編

2010-12-05 19:03:55 | 遠野

 遠野高清水からの雲海 2010年

 

  高清水から眺める遠野の雲海は、春からでも楽しめる。

 また、あまり出現しないだろうと思われていた夏でも今年は頻繁に雲海が見られ、雲海ハンターには、まさに雲海に関しては豊作の年だったかもしれません。

 そういう小生も本来は秋の10月となってから、しっかりと盆地に張り付いた雲海からと思っておりましたが、夏からの雲海発生を目の当たりにして、ついに重い腰を上げて今年初の雲海詣でとなりました。

 

8/25

盆地北方面の松崎、土淵に薄い霧発生中

 

遠野市街地

 この日は残暑厳しい日で、早朝でも夏日かな?山頂は少し冷えると思って長袖で出掛けたのですが、少し動くと汗がにじむほど・・・最後はTシャツ一枚となって撮影しております。

 

 日の出は貞任高原の中央辺りから

 

 

9/2

 

 

 霧が濃すぎて、しかも徐々に上昇してきて、雲海の大海にさらに霧が発生したような雰囲気でした。

 日の出は、午前5時頃でしたね。

 

霧は高清水の山頂近くまで迫ってました。

 

 

10/3

  ようやく、秋らしいといいますか、これぞ遠野高清水からの雲海が出現いたしました。

 

  ちょっと空の雲が厚過ぎという感じがし、ご来光は望めないかな?と思いましたが・・・・

 

見事な朝焼けとなりました・・・。

 

10/19

 少し暗いうちに自宅を出発、雲海が完全に盆地を包む前の写真をと・・・思いましたが、時既に遅く・・・・。

 

  太陽もだいぶ南へ移動し六角牛山の北隣辺りからご来光が顔をだす・・・。

 

ご来光は5時55分頃

約一ヶ月で1時間近く遅くなりましたね。

 

11/25

今季ラストの高清水詣で・・・

 

  霜も降りて季節も冬、氷点下の世界ながら、まだまだ雲海詣での強者は健在でもありました。

日の出も6時40分近くとなる。

 

 

 その他、雲海撮り含み11/7、11/9、11/21に耳切山、高清水から早朝夜景等撮りもしております。

 昨年2009年は10回以上、しかも10月に入ってから雲海や夜景撮りに通ってますが、中身は今年の方が濃いかもしれません。

 カメラ関係の設定なんかも、低レベルですが覚えたということもあるし、ブログ仲間の高清水通いも随分と増えたこともあって、これらに触発されたということもありますし、いずれ来年は春の雲海も撮ってみたいと今から楽しみにしているところです。

 

 

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寄付集め・・・ふっ~

2010-12-04 18:44:21 | その他

  強風が吹き荒れ、時折の吹雪模様で大荒れの遠野地方でしたが、東北新幹線八戸~青森間、全線開通となって湧きあがった記念すべき日でしたが、強風の為、ダイヤが乱れ運休という場面も・・・ちよっと残念という気もしますが、そのうち青森まで新幹線で行ってみようと密かに考えているところです・・・新車両「はやぶさ」となってからかな?

 

 ということで、またしても困った君の続き情報が寄せられ、またしても近いうちに秘密会合か?、さらに明日は地域での民俗宗教行事の是非を巡っての会合とか、此処にきて身近関係が慌ただしくなってきており、なんか重なりすぎと思う昨今でもある。

 そして・・・

 

 

  さて、県立遠野高等学校サッカー部は先の全国高校サッカー選手権岩手県大会で3年ぶり22回目の優勝を決め、全国大会へ出場となりますが、全国大会での活躍を大いに期待するところなんですが、その一番肝心なところは軍資金、すなわち必要経費等ということになります。

 優勝が決まった時点で「勝った~・・・やった~」の次に思うのは遠野高校同窓生なら「寄付集め来るんだな・・・汗」となりますね・・・汗

 地元ケーブルテレビでも、寄付の呼び掛けやら同窓会、PTA等からの寄付集めに伺いますのでよろしく・・・とのことですが、まっ、いつものこと、協力は惜しみませんの気概だけは十分にありますが、何故か自分にPTAとして地域の寄付集めをよろしくとお願いされてしまった・・・大汗

 来られて出すのは、構わないけど、他人の家に行って寄付をいただくは、あまり得意じゃないし、他人様のお金を預かるのもあまり気分が良いものでもない・・・。

 

 

 しかし、何故か受けてしまったことには変わりはない・・・汗

 母校サッカー部の全国での活躍を期待して、頭を下げてご協力をお願いすることにしましょう・・・。

 

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撮り鉄残り画像・鉄の街編

2010-12-03 19:25:54 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 単なるネタ切れといいますか、困った事案もまだまだ継続中で、さらに雨降りということで画像取材も叶わず・・・そんなところでの苦し紛れエントリーですのでスルーされて構いません・・・謝

 

       この画像は全て釜石で撮影いたしました・・・。

2010.11.30

 

陸中大橋駅

 

大橋界隈

 

甲子川が河口近くになって大渡川?と変わると記憶してますが・・・?

三陸鉄道南リアス線

 

 

三陸鉄道南リアス線 平田駅

大船渡方向

 

釜石駅方向

 

 

遠野ブログ画像展の応募及び参加表明の件、よろしくお願いします。

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