「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

ぼうえん会

2011-12-17 18:58:10 | その他

 時は師走12月!巷では「ぼうねん会」・・・忘年会が佳境を迎えている時期ではないでしょうか?

 知人、友人も少なく、何かの会合やら団体にも、ほとんど参加していない小生の場合は、例年2~3回程度の忘年会かな?・・・・・・・・って、忘年会のお話ではなくて「ぼうえん会」・・・望遠での撮影ということが本題でもあります・・・

 

 野鳥撮りをとりあえず・・・

 

附馬牛町安居台にて

 

宮代橋から

 

 我家の西正面には矢崎山があるのですが、落合(早瀬川と猿ヶ石川)からかな?午前7時前後と8時半前後に附馬牛町安居台の猿ヶ石川に向かう白鳥の一群が矢崎山下を流れる猿ヶ石川沿いに飛んで行く姿がよくみられます。

 本日は課外で学校に登校の二女を送っていった帰り、田んぼの畦道に車を止めて8時半頃の通過の白鳥を撮ろうとスタンバイしてましたが、時間になっても現れず・・・仕方ないので安居台で10羽程度の白鳥撮りを数分しての帰り道、小田沢辺りを6羽程度の白鳥の編隊飛行を目撃、道路から少し離れていたこともあって撮影は諦めましたが、もう少し自宅近くの畦道で待っていたなら・・・・・・それとも安居台にいたなら着水する白鳥達を撮れたものを・・・と後悔するのであった・・・・・・

 

 お昼近く、町内の川も含み猛禽類はいないか?被写体を求めて徘徊してましたが、なかなか見つけられず・・・・・・ダメもとで、またもや自宅近くの畦道でカーラジオを聴きながら白鳥でも飛んで来ないかな?と思いながら待機していると・・・・・

 

4羽が矢崎山を霞めるように北方向へ・・・!

 

 

ちょっと焦ってしまい望遠が効かず・・・

数十秒遅れで、低空を後を追うように一羽の白鳥が・・・!

ちょっと灰色も混じっている雰囲気、幼鳥かな?

 

 

ちょっとピンボケ気味・・・

 

 

気を良くして、ノスリが良く目撃される場所近くを流していると・・・

 

居りました・・・

ちょっと露出アンダー気味かな・・・

 

 遭遇する本命の場所は大柳橋から松崎寄りの電柱、次に谷地地区の農免道沿いの電柱、その次は、前野と呼ばれる駒木地区の農免道沿いの電柱、電線ですね。

 時折、岩手アパレル近くの電柱なんかにもおりますが、巣は松崎舘跡がある山野辺りの雰囲気、本日はなかなか遭遇出来ませんでしたが、なんとか谷地で見つけることができました・・・

動きものということで、どうもイマイチ・・・汗

 

次回はなんとかスカッと撮ってみたいです・・・

 

 

 忘年会の話が冒頭で出ましたが、今年は温泉での忘年会参加は見合わせることにしました。

 金銭的に厳しいというか、以前から計画していたモノをゲットするために致し方なしと考えてのこと・・・。

 他の忘年会、さらに急な飛び込み的な宴も御断りしている現状ですが、唯一、遠野どんれぶの忘年会と新春での同級生達との新年会は参加のつもりです。

 

 いずれ全てこれがため・・・直伸ズームは慣れも必要ですね・・・

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011ラストいわて花巻、FDA

2011-12-16 19:14:02 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 今年の夏頃から航空機ファンでもないのに岩手県唯一の空港、いわて花巻空港近くにて飛行機撮りに興じるという暴挙?・・・笑・・・となってますが、主に色とりどりの航空機を持つFDA(フジドリームエアラインズ)が小牧名古屋と花巻を結ぶ便を就航してから専門に撮っているという現状でもあります。

 5色あるという機体、実は新機も導入され、その機体色はパープル(紫)ということで、6色となったようでもあります。

 いずれレッド、グリーン、オレンジ、ピンクの4色は花巻で撮っておりますが、ブルーは未だ出会えておりませんし、パープルも追加ということで、時折、様子見も兼ねてながら望遠レンズ持参で今後も通うことになるんでしょうね・・・

 

 ということで、花巻は薄日は射すものの日中でも氷点下の世界・・・

 

ギリギリまで車で待機してジェット機音と共に飛び出す・・・!

 

北で旋回、南から滑走路に進入の模様・・・。

 

どうやら今回は赤色!、なかなか青とか紫には遭遇できません・・・。

 

 

ふとっ、旧ターミナルの方へ目をむけると・・・

プロペラ機が・・・

 

尾翼に日の丸、ボデイには横文字が書かれているが判読できず・・・。

以前、花巻で撮ったことがあった海保の航空機の雰囲気もありますが、それとはちょっと違う雰囲気・・・?・・・離陸時までいれれば良かったですがね・・・。

 

FDA機、着陸態勢・・・!

 

バックが金婚亭・・・・・・花巻が誇る漬物が歓迎!

 

久々の赤!撮り始めた初夏の頃はほとんど赤い機体、その後、お盆過ぎは緑、9月末頃まで赤と緑の繰り返しで、9月末頃にまさかのオレンジ、11月になってピンクが来るようになって、12月は、いよいよ青か・・・しかし未だ遭遇ならず・・・、

 

山々が濃い緑から赤、黄色、さらに茶色、そしてついに白い世界へと突入、まさか半年も不定期ながらも通うとは夢にも思ってなかった・・・

 

 

 

 離陸も撮るつもりで防寒対策は、それなりにしたつもりですが、顔の肌を刺す寒風防ぎの「頬かむり」を、まさか都会の花巻でご披露するわけにもいかず・・・

 「おしょすよう」も一応、心得てますから・・・爆・・・・・・(はずかしさ)

 

 

 2011年、おさらく花巻空港での飛行機撮りは、これがラストのつもりです。

 白い岩手山に飛び立つ機体を撮る目標もありますし、FDA残りの2色撮り、さらにチャーター便就航時とか、来年も通うことになりますね。

 それと金ヶ崎~六原での東北本線撮り、雫石での秋田新幹線「こまち号」撮りもまだ今年のラストを飾ってませんので、なんとか今年中にどちらかひとつでもと思っております。

 撮った後の温泉も楽しみにしながら、昼食もラーメン、冷麺どちらにしようか思案のしどころです・・・

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の西風舘八幡界隈

2011-12-15 18:55:18 | 遠野

 母方の叔父が管理する西風舘八幡(ならいだてはちまん・・遠野市綾織町新里)の社が建て替えられた際の神事に招かれ、ついでに取材をしたのが5年程前・・・。

過去の記事・・・こちら

 当時は母親の実家の仏事も同日に行われ、神仏共に・・・という日であったようです。

 その数年後、叔父宅の農地含みの裏山を横断する形で秋田~釜石間の高速道用地となり、その際に叔父宅の敷地も含む中世城館跡(山城跡)の西風舘跡の一部が破壊ということで地元で西風舘の歴史やら史跡調べが行われた後、遠野遺産認定制度へ申請して遠野遺産として認定された経緯があって、その際に私も興味があったのでその調べに少し関わった経緯がありましたが、あれから数年、叔父宅へ行く用向きがありましたので、久しぶりに八幡様も参拝してきました。

 

 

西風舘八幡

 

 建て替え当時はありませんでしたが、2年程前に亡くなった大叔父(母の叔父)が建立に関わった新しい鳥居・・・。

 

 

 独特というか、手づくり感が伝わる灯篭、社も個人的なセンス?叔父のセンスというか近親者は人目みれば叔父の遊び心?仕業?・・・笑・・・と感じる面がけっこう出ております・・・

 

 

 社(やしろ)は新しいですが、謂れも含み結構古い創建とも語られており、この一帯は中世期、綾織地区を治めていた宇夫方氏の主城、西風舘の一部で、宇夫方一族によって八幡様が祀られたとも云われますが仔細は不明です。

 

 八幡様の背後、東側山野は・・・

高速道工事もだいぶ進んでおります。

 道路の盛土の向こう、杉林の斜面には林道が一本、その上部の斜面は西風舘の主郭、数段にわたる帯郭、空堀跡等の遺構が残されております。

 道路工事による分断とはなりますが破壊は免れたようでもあります。

 

叔父宅敷地の南西側の林には・・・

手作りの案内板ですが・・・汗

 

油性マジックか何かで書いたものなので、文字が消えかかってますが・

「西風舘」

「人兵ェ揃」(じんべえぞろい)

 地域での伝承によると、中世期の桝形の一種で、兵員をその桝に入れてある程度の数の一隊を作る場所・・・と語られている。

 同場所には、「源左衛門」という武士が戦いで討死し、埋葬されたとされる「げんざぺす」といわれる場所が残されている。

この林の中にふたつの言い伝えの場所があるとされるが道路工事で一部破壊されているかもしれない・・・?

 

 西風舘は弘治3年(1557)宇夫方氏の嫡流、西風舘氏の本舘としていたが、突如として葛西勢とも云われるが、武装集団の夜襲を受け、当主、その長男、二男、さらに郎党の多くも討死と伝えられ落城したとされる。

 舘跡内には「八人沢」(はちざ)・・・8人の武士が討ちとられた処、「千ヶ堀」・・・人足千人で掘った空掘・・・等の地域で語られる曰く付きの場所がある。

 春にでもなりましたら、西風舘跡の探訪を今一度してみたい気持ちになりましたので、道路工事中の上方の山野の様子も含めて見てみたいと思います。

 

 

さて・・・

 

叔父宅では地元でも評判の漬物を作っておりますが・・・

 

赤かぶ

赤カブのおごご(漬物)用ですね。

 

遠野風の丘にて「赤カブおごご」をお求めください・・・笑

 

ほすもづ(干し餅)

こちらは昨年というか今年正月以降の残りですね。

 

年が明けてから干し餅作りも本格的になると思います・・・。

 

 

叔父の遊び心というかセンス?・・・

 

大根城と名付けられている・・・

 

さらに茄子も追加して・・・

茄子御殿とも・・・?・・・

 

 

大根の鯱鉾の位置はそのままですが・・・

茄子の方は場所が変わっております・・・汗

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011・総集編告知!

2011-12-13 20:04:29 | その他

 今年も残すところ、半月ちょっと・・・!

 

 

当ブログ毎年恒例となります1年を振り返って、主なエントリーの総集編をボチボチとアップして参りたいと思っております。

 

まずは、やはり鉄関連かな?

 

 

地元釜石線特集は既にご紹介済なので岩手県外編、遠野市外編、乗り鉄編の3回程度に分けてアップしたいと思います・・・。

 

 

そして・・・

遠野の四季関連も・・・

 

困った時の福泉寺・・・

ということで福泉寺の四季と共に遠野の四季も併せて2回程に分けてということにします。

 

 

 EF70-200mm f2.8L IS USM

 

今後、野鳥撮りにも少し弾みがつきそうな予感!もちろん撮鉄も・・・!

 

とりあえず告知ということで・・・どんどはれっ

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠野鍋倉城、極秘訓練を取材せよ!

2011-12-12 18:31:15 | ファイヤー

 遠野南部家の牙城、鍋倉城で遠野南部火消人救助組の極秘調練が行われると云う情報を得ておりましたので、密かに取材して参りました・・・・・・笑

 

鍋倉城址、本丸へ通じる大手門跡付近

遠野地方の主城という雰囲気抜群で土塁に空堀、郭の跡が随所に残されております。

 

街並

 

遠野駅付近

 

 

 取材班は、山頂の三の丸に車を止め、極秘調練場所を探すべく下方を覗きこんでおりますと・・・?・・・?・・・

 

 直ぐ下の帯郭にて、何やらうごめく人影を発見・・・!

 

 

揃えられた靴・・・?・・・

 

まさか・・・?・・・

 

 この下は断崖・・・!

 

覗きこむと・・・

 

なんでもB組頭が・・・降下中・・・!

 

上の方では・・・

 

何やら研究?検討中?

 

 

 テクニカルロープレスキュー(TRR)・・・、職場後輩達有志による訓練の現場でした。

 

 従来のロープレスキュー技術とは若干違う方法ということで、峡谷、洞窟、崖・・・等の自然地形さらにビルや鉄塔、橋脚、地下道・・・といった足場が不安定で高低差がある場所においてロープを使用した組織的なレスキュー(救助活動)を行うテクニック(技術)を磨こうとする訓練で、勤務が休みの後輩達が自己研さんも含めて技術を高めようとの試みのようです。

 

高所から低所へ降下

 

 

 ここ数年、全国の同業者に徐々に浸透、ひとつの救助技術として採用もされている現実もありますが、まだまだ公的には取り入れられていない雰囲気も感じられる。

 しかし、近い将来、ロープによる救助の主流に成り得る可能性も大というか、既に成りつつあるかもしれません・・・。

 

 業界用語というか専門用語で「要救」(要救助者)を背負い、高所から低所へ救出。

 

 

逆に低所から安全な高所へ救出・・・。

 

上では滑車を使ってロープを引き上げる・・・。

 

 

いずれ小生の若い頃の技術からはだいぶ進歩、そして「わげしたず(若者)」の取り組み姿勢には脱帽という思いでもありました。

 

オヤジはオヤジ年代の役目で頑張るしかないですね・・・

 

 

 

と・・・そのオヤジ・・・

 

本日も青空は見えるものの寒風が吹く少し寒い日でもありました。

帽子も手袋も忘れてしまって・・・

・・・でも、帽子代りには、これが一番!・・・

 

某見学者・・・

 

 頬かむりへの抵抗は皆無!むしろ若い頃から恥しくもなくよくやっておりました。

 似合う、似合わないは別として、ご年輩の頬かむり先輩方との違いは、いでたちが・・・・・・紅白、日の丸ばりの衣装でも平気・・・ちょっとカラフルかも・・・笑・・・服装は地味ではないことですね・・・笑

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走遠野を切り取る!

2011-12-10 19:43:36 | 遠野

 パヤっと降雪、少し冷えて氷点下の世界・・・。

 

猿ヶ石川・・・薬研淵橋から(松崎町)

川の流れが無いところは凍てついております・・・。

 

野田稲荷(松崎町光興寺)

 

宮代に移動すると・・・。

早池峰バス

 

お天気は回復したものの、肌を刺す寒風の中、「※としょりのしたづ」は元気に散歩?

 

 

 

駒木バス停付近・・・通称くよ(供養)

親戚の小父さんですね・・・

 

そのまま附馬牛まで・・・

早池峰は雲に隠れてますが前薬師もだいぶ白くなりました・・・。

 

 

 

 

女性のご年配の方達の方が男性よりハイカラな在郷という感じですね・・・

 

 

駒木に戻ると・・・

 

カッチョエ~・・・

 

ノスリかな?

やはり100-400mmが、欲しいところ・・・

 

 

帰宅すると青空もだいぶ広がってきたので、いつもの散策コースを・・・

 

 

福泉寺の池も凍っておりました・・・!

 

 

野うさぎの足跡

 

野うさぎ、リス、キツネ、キジ・・・他・・・

小動物、鳥類の足跡が雪面にしっかりと残っており、私の少年時代と変わらずの自然がまだまだ残っております・・・。

 

ネネも近場ですが境内の散歩から帰還・・・。

 

 カメラに望遠(70-200)を装着しての散策、もしかしてリスやウサギの姿を撮れるかも?と期待してのことでしたが、残念ながら今回は遭遇できず・・・

 望遠を装着して気合を入れて行くといつもこんな感じ・・・・・・標準レンズでいつもどおりですと、案外、野生動物を観ることが多いのは何故なのだろう・・・?・・・

 まっ、これにめげずに時折、望遠レンズも付けて散策したいと思ってます・・・

 

 

                         ※「としょりのしたづ」・・・(お年寄りの人達)

 

 

皆既月食

 

 

22時25分頃・・・自宅庭から

 

22時30分過ぎからは雲が出てきたので撤退いたしました。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弘法大師諸国御巡錫之聖蹟

2011-12-08 19:39:22 | 歴史・民俗

 蝙蝠岩弘法大師霊場

(花巻市東和町毒沢南)

 

 

 花巻市東和町から北上市に至る国道456号線沿い、蝙蝠岩弘法大師霊場というところがある。

 遠野から北上へのルートですと国道107号線を主に利用するのですが、勤務地である宮守町から北上に至る場合は東和町晴山から浮田を経て北上市口内の国道107号線に出るルートも時折走行しております。

 その際に道沿いの弘法大師霊場という大看板をいつも視認しておりますが、この度、遅ればせながらご参拝を兼ねて画像取材をさせていただきました。

 

 

 縁起というかこの地と弘法大師空海との関連は説明板のとおりということですが、全国に300を超える弘法大師の伝説の地のひとつということなります。

 岩手では他に北上市?弘法大師が使った杖を地面に突き立てたところから逆さ銀杏が芽を吹き大樹に成長という伝説もあるといいます。

 いずれ、大師が遣唐使として唐(中国)に行く前の修行時代に全国巡業を行った際に立ち寄った地ということらしい・・・。

 

大師堂

 

 真言宗ということで「大日如来・不動明王・弘法大師像」が安置されているといいますが、この度は確認はしておりません。

 我家の菩提寺は真言宗寺院でもあり、私はその檀家でもあるので、真言宗とは馴染みある関係ですが、光明真言を3度唱えさせていただきました。

 こういった聖域といいますか環境は何処か例えようがない気というか一種独特の空気を感じ、遠野でいうなら現早池峰神社拝殿下や我地元の駒木妻の神、大沢不動(倶梨伽羅不動)、そして菩提寺福泉寺の本堂周りで感じる何かと同じ雰囲気がしております。

清水

 

霊場の湯・・・?

 

 かつては霊泉?清水を沸かしてお風呂を参拝する方々に提供されていたのかな?

 立木は切らず屋根を貫通させておりますが、現地では気づかず・・・・・・帰宅してからPCに画像を取り込んで気づきました・・・

 

 背後の山野は見事というか大石が折り重なった光景が広がっておりますし、直近にバス停があって「こうもり岩」となっております。

 

 

 石碑の裏面も一応確認したのですが、なんて刻まれていたか忘れてしまいました・・・・・・真言宗・・・座主?のお方のお名前があったような・・・?・・・いずれ高野山の真言宗本山関係から開祖である弘法大師空海に縁のある地として認定された証なのだろうと理解しております。

 

 ただし、史実として弘法大師が全国を巡ぐる旅をしたのか、はたまた東北地方や岩手も廻ったのかは一切不明だと思います。

 東北地方ですと天台宗との関わりが深く、ことに慈覚大師円仁の足跡が有名であります。

 遠野においても現早池峰神社である妙泉寺や遠野七観音開基に関わる伝説に慈覚大師が登場ということで、天台宗との関わりある時代でもあったと推測されます。

 しかし、慈覚大師の遠野入りも伝説の域を超えるものではない・・・と思われます。

 

 

 

こちらは真言宗豊山の寺院

菩提寺 法門山福泉寺、冬枯れの景色

 

完全に落葉、本格的な降雪、積雪を待つばかり・・・

 

遠野、松崎方面

 

五重塔

 

大観音堂(大悲殿)

 

弘法大師 像

 

 

夏の名残・・・!

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土沢城址

2011-12-07 18:59:39 | 歴史・民俗

 土沢城・・・!・・・あそこに見えるのが土沢城址、いつでも探訪は可能と思いつつも実は一度も探訪というか行ったことがなかった城跡でした・・・

 城館探訪を本格的にはじめて満8年?ようやく辿りついたと云う思いです・・・

 

土沢城・・・(花巻市東和町土沢)

 

大手橋

城館として機能していた時代の水堀の名残がみられますが、当時は水堀に橋が架けられていたといわれる。

 

西端の空堀跡

東和中学校側との境は空堀一重が西~北~東を取り囲んでいる。

 

 

南東側の斜面

舘跡らしい段差が、なんともいえません・・・

 

本丸大手門

門跡の遺構がクッキリと残されている

 

東舘

本丸御殿の南側、一段下がった場所に位置している。

 

東端

空堀によって区切られているが現在は道として利用されている。

畑等、土塁跡としての名残がみられる

 

東部分の空堀跡

 

北側部分の空堀跡

 

本丸

 

本丸御殿の西側続きに中館、さらに西館と連なっている

 

 説明板にもあるとおり、慶長18年(1612)の築城とされ、新堀城(花巻市石鳥谷町)に居た江刺長作隆直が太守、南部利直の命により土沢に移され初代、土沢城主となった。

 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの余波は東北地方にも影響を及ぼし、和賀、稗貫の遺臣達による一揆が勃発、この地でも安俵城や田瀬館が伊達勢に支援された旧葛西氏縁の和賀一揆勢の攻撃を受け、さらに口内(現北上市口内)の浮牛城が伊達家の拠点として整備されると、その対抗策に土沢城が南部家により築城された経緯がある。

 城の縄張りは南部家の三戸城や盛岡城の設計に関与したとされる野田内匠頭直盛と伝えられている。

 

 江刺氏は、かつては葛西氏配下で江刺岩谷堂城主であった江刺兵庫頭重恒が豊臣秀吉による奥州仕置で主家、葛西氏と共に没落して南部領であった田瀬(閉伊郡乙茂ともいわれる)に逃れていたが、南部信直に出仕、以後、江刺重隆、さらに隆直(土沢城主)と続いている。

 ※閉伊郡乙茂とは遠野の小友?

 城内や城の南斜面には家臣団の武家屋敷があったとされ、江刺時代から仕えていた家臣達、「三ヶ尻氏、小田代氏、及川氏、猪川氏、城氏・・・」等の同姓複数が確認できますし、稗貫旧臣と思われる高橋氏や和賀旧臣の小原氏の名も確認でき菊池一族である太田代氏も確認できる。

 

 東和町市街地

 

 西の花巻城、東の遠野鍋倉城と共に隣接の伊達家対応の一大拠点という位置付けでしたが、南部利直の子、重直時代にはその重要性が薄らいだともいわれ寛文10年(1670)に土沢城は廃城となったと伝えられている。

 

 一方では、土沢江刺氏第3代、江刺長房時代(正保5)に土沢城は焼失と云われ、盛岡に居を構え後に花巻城代となったとも伝えられる。

 後の天明年間、江刺氏は相続問題等で家禄1千5百石を没収され家名断絶となるも、近親者が召しだされて100石で家名再興となった。

 

 

 なお、土沢は中世当時、「十二鏑、十二ヶ所」と呼ばれていたといわれ、土沢城跡或いはその隣接山野に十二鏑館があったとも伝えられている。

 遠野関連では慶長年間、主家である阿曽沼広長を気仙へ追いやり、遠野盟主となった広長の叔父ともいわれる上野広吉の娘婿のひとりが土沢近在の土豪といわれる十二鏑弾正と語られている。

 十二鏑氏(十二ヶ所)とは何者であったのか不明であるが遠野関連史で名が伝えられている点、さらに「奥南落穂集・遠野家之次第」に「十二ヶ所弾正・十二ヶ所帯刀益種」と記され、何かしら当時の遠野と関連する人物達であったと推測されますし、戦国末期頃、現花巻市東和町の一部に遠野阿曽沼氏の勢力等が影響していた時代があったものなのか?そんな一面が見え隠れする雰囲気が感じらます。

 

 

 

 初冬の頃の城館跡めぐりで身体も冷えたということで・・・

 

ちょっと距離は離れてますが・・・

駒子の湯・・・金ヶ崎町

 

源泉かけ流し、効能は五十肩に良し、さらにサウナも完備・・・これに尽きました。

お湯は熱めで身体がもの凄く温まりました。

時折、堪能したいと思います・・・。

 

 

帰りは・・・

今年は残り一色となるブルーには、お目にかかれないかもしれませんね・・・

 

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初吹雪の日&修学旅行

2011-12-05 18:59:30 | 思いで

 前日は強風が吹き荒れ、一夜明けると吹雪の朝を迎えましたが風雪は日中も止むことがなかった一日でした・・・

 

我家の庭から

 

矢崎、松崎方面

 

 

 

風の丘の下辺りから・・・

 

 

 さて、毎年、今時期は高等学校の修学旅行シーズンとなっております。

 遠野高校に通う二女(2年)も先月30日から今月4日までの4泊5日の日程で主に京都、奈良の関西方面へ修学旅行に出掛けておりました。

 初日は新幹線を乗り継いで広島までの行程で2日目から関西ということらしいですが岩手の県立高校の場合、ほとんどが京都、奈良の関西方面へが定番となっております。

 ちょうど関西方面は紅葉の頃で景観的には良い感じなのかな?私が高校生の頃は春3月で春休み期間中、2年生から3年生へ進級直前の頃で、関西は桜こそ咲いてなかったけど梅が咲いて、随分暖かいと感じた記憶があり、花巻で夜行列車を降りたら辺り一面雪景色で、随分とそのギャップに驚いたものです・・・

 

 お土産

女の子らしいといえば、そんな感じですが、ほとんどチョコ関連で占められている・

 

 広島の名物は「紅葉饅頭(もみじまんじゅう)」・・・ちょっとネタ的には古いですが、定番なお土産なはず?

 紅葉饅頭がないな?と思っていたら戦艦大和のパッケージが紅葉饅頭とのこと、  本当に欲しかったお土産ではないけど、オヤジの言葉を覚えていて、それで買ってきたということで一応、満足しております・・・

 

 オヤジの頃は4泊5日だったけど、当時は東北新幹線開業前で特急列車(やまびこ?)で花巻駅から乗って東京上野まで約6時間ちょっと、山手線に乗って東京駅まで移動して東海道新幹線で京都まで?大阪だったかな?いずれバスで奈良に移動して観光して宿は京都だったような?翌日は自主研修でクラスの班単位で京都市内を観て回り、翌日は京都の清水寺や平安神宮、嵐山・・・といった観光地を回って宝塚に移動して、宝塚劇場で何組だか忘れたけど「風と共に去りぬ」を観劇した記憶が・・・。

 4日目は姫路まで移動して姫路城を観て、大阪から新幹線で東京へ・・・。

 上野駅で結構時間があって、首都圏に暮す兄姉や叔父叔母、従兄弟・・・と皆さん、面会する時間があって、私も従兄弟と会った記憶があります。

 携帯電話もなく暇つぶしにメールも出来ないし、ゲームだってなかった時代、何をして時間をつぶしたのか記憶がないですね・・・

 そして専用列車かな?4泊目は夜行列車で帰途へ・・・座席が対面式で背もたれが直角なやつで、当然、熟睡なんかできるはずもなく、床に新聞紙を敷いて寝ていた強者もおりましたね・・・中には女の子もおりました・・・

 夜通し、トランプをしておりましたが、流石に夜明け前にはダウンしておりました。

 

当時の写真・・・汗

 

 京都での自主研で同じクラスの女子生徒で京都の大学生だったか?社会人と文通していた同級生がいて、彼女の班はその文通相手の車で観光地巡り、門限に帰って来なくて随分と先生方が騒いでいた記憶も・・・女の子の方が当時は度胸があるというか大人だったかもしれませんね・・・汗

 それと陸上長距離の同級生は京都での全国大会を経験しているということで・・・?・・・彼等は不参加でしたし、当時の遠野農業高校もそうですが遠野高校のソフトボール部は県下の強豪で、東日本の選抜大会?その関係でソフト部の女子生徒も参加してなかったような・・・?

 まっ、とにかく我家の子供達の修学旅行、これで全て終わりということで、しばらくオヤジの頃の修学旅行のことは思い浮かばないものと思いますね・・・

 

 

 

予てより、お知らせいただいたおりました釜石線でのこと・・・

 

ついでに・・・

 

 

お目当ての列車

 

DE-10

 

花巻から遠野駅までレール搬送とのこと・・・。

 

 

場所の設定ミス・・・汗

 

でも、晩秋の頃は凄く絵になりそうな雰囲気、今回は失敗ですが、それでも良い場所を見つけたということで収穫がありました・・・

 

DE-10は12/9も花巻~遠野を走行いたします。

遠野駅到着 9時50分頃

遠野駅発車 11時25分頃

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凍(すみ)っぺが?

2011-12-04 18:58:18 | 遠野

 強風が吹き荒れた一日、時折陽が射すも風も徐々に冷たくなってきて、カメラを持ち出しての本格的な撮影はできず・・・でした。

 

夕方

 

 

 

 さて、先月中旬に秋仕舞いと称して、小生は農機具等を軽く整備し小屋に収納、さらに自家用車の冬タイヤへの交換で一応秋仕舞い、庭仕舞いとしてますが、母親は畑の片付けや家周りの整理を数日後に行って、完全に我家は冬仕様となったことになりますが、どうも気になるというか、あまり意味を成さない光景ではないのか?疑問に思うことがある・・・!

 

それは・・・

 

なんだか、わかりますか?・・・

 

 屋外の水道の冬囲いです・・・。

 遠野では水道の水抜きを・・・「水道(水)を落とす」と言いますが、水道の元栓で水を止め、立ちあがり部分とか途中の管から水をシャットアウトして水道管の凍結を防ぐ手立てをします。

 真冬の遠野の朝晩は氷点下10度以下の世界、氷点下5度前後でも水道管が凍結という場面もございますが、とにかく元栓や水抜き機能等を駆使して夜のうちに水を止めておかないと完全に水道管は凍結し、よほど日中が暖かくならない限り、大袈裟ながら春まで水が出ることはない・・・・・・とにかく専門業者を呼んで融かしてもらうほかはないのである。(たまに熱湯をかけて融けることはある)

 ですから水道を凍結させないよう、水抜きはもちろん、むき出しの水道管に熱線を巻いたり、専用の防寒用具を巻いたりし、かなり気をつけてはおりますが、我家の庭先の水道の場合、写真のような囲いをしたということは春まで水道を使うつもりはないということで、きちんと水抜きもしておりますし、そこまで大々的に囲うというのも必要ないのではないのか?・・・とここ数年思っていたんです。

 母親は心配性で、もし水道が破裂して水が吹いたらどうする?稲藁を何重にも巻いて、その上からビニールの肥料袋をかけて固定という念の入りようです・・・

 

 まっ、厳冬期には積雪ばかりか庭の除雪した雪で覆われてしまいますから、そのことも考慮してのことでもあると最近は理解して、母親の言うとおりにしているところです。

 ちなみに自家水道というか、近所数件で裏山の沢水を引いての水道で水道代は無料、雨の後は濁りが入ったりして飲水としては使ってません。

 主に農機具、自家用車の洗車や野菜等の洗浄用ですね・・・。

 でも、昔から写真のように毎年囲ってますが、凍結防止に効果があるのだろうか?・・・・・・・・・あるかもしれませんね・・・

 

 ※ 遠野では「凍る」を「すみる(凍る)」と言います・・・。

 

冬枯れの風景(12/2撮影)

附馬牛町荒屋方面

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする