「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

SL銀河ナイトクルーズ

2014-12-07 09:41:57 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 SL銀河C58239の運行もラストのラスト・・・

今年2月からの試運転、4月からの営業運転も11月30日を最後に終了しておりますが、イベントとしてのナイトクルーズ12/6(土)が行われ、結局撮りに行って来ました・・・(;^ω^)

 

前日の夕方に勤務が終わると三脚を現地にセット、情報によると既に10脚以上は置かれているとのことでしたが、撮り鉄さん達が陣取る定番の場所には15脚ほど確認、吾輩が狙っていた場所の1列目は既に埋まっていて2列目に置くことに・・・

 

当日は午後3時に現地入り・・・

 

宮守川には20脚以上・・・

東屋やその周囲だけでも50脚以上・・・!

いずれ午後3時過ぎでこの状態・・・(-_-;)

合せて100脚以上はありそう・・・

 

それにしても、とにかく寒かった・・・

午後4時を過ぎると雪も降って来て、防寒対策も万全とはいかないまでも、それなりに厚着なんかもして今時季くらいならなんとか、という状態・・・

でも、流石に3時間近くも氷点下の世界に居ればかなり身体も冷え込みました。

 

 

結局は上方の芝生なんかある公園は不明ですが、撮り鉄さんだけで200人は居たはず・・・

それにツアーの方々、通りすがり、地元民・・・

1千人という話も聞こえましたが、とにかく暗闇でも凄い人の数というのはわかりました。

 

 

その前に練習・・・

明る過ぎ・・・ということで設定変更

 

そしていよいよ・・・

 

17時48分

宮守川橋梁 通称めがね橋

遠野市宮守町

 

 

 

まっ、自分的にはまずまず・・・

ちょっとピントがズレている感じもしないでもないですが、あの条件下では良い方だと思うことにしております。

 

 

この晩は・・・

ブログ仲間数人と写真の焼酎を飲むことにしてましたが諸般の事情で延期・・・

 

家で飲もうかな?とも思いましたが、楽しみは先延ばして・・・

 

 

撮り鉄で冷えた身体を・・・

おでん、コンビニの焼き鳥等を肴にストックしていた宮崎の芋焼酎赤霧島で軽く家飲みとなりました。

 

 

いずれ今季というか今年の地元釜石線でのSL運行は終了 、大船渡から来たという男性に「じぇんごたれ・・・」の〇池さんですよね、いつも観てます・・・との声掛けもいただき、撮り鉄分野でも少しは知られてきている存在との認識・・・(-_-;)

反面、後方のカメラマン氏に脚立は使わないでほしい、もう少し低い姿勢でとか注文をいただく・・・その方はマナーがどうかと言ってましたが、早い者勝ち、良いとこの先取りが優先ではないのか?そんな認識だったので当初は「むかっ」としましたが、けんか腰でもなく、お願いされる形だったのでこちらも冷静になりご要望に応じることに・・・。

まっ、吾輩は地元ですし、勤務地も宮守なので遠方からわざわざお越しの方に辛い態度もなんですから・・・笑

 

来年もSLが運行という声も聞こえますので気持ちよく撮りたいですし、撮ってほしいですからね。

 

 

SL関係はまた来年ということで・・・

 

総集編もする予定でした・・・笑

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友好都市訪問 菊池市編 弐

2014-12-05 19:05:19 | 遠野

 前夜は滞在した菊池市において交流会に参加、一次会はカメラ撮影なんかもあり、飲み方を少しセーブ気味でしたが二次会からは本格的に飲んでしまい、菊池市で「遠野物語(飛行船)」をご披露・・・(-_-;)

11年前もシルクロードというホテル内にあったスナックで歌ったことがありましたが、当時は九州の地に遠野物語のカラオケがあったことに感動したことを覚えております。

他にもう一曲、北国らしい歌もご披露して調子こいてましたが、遠野から参加の皆様のほとんどが既に宿に帰ってしまったようで孤軍奮闘というところでした・・・笑

 

けっこう効きましたが、美味しい朝食もいただいて、徒歩で菊池神社に参拝

菊池神社

 

菊池市歴代公をお祀りする神社

 

桜・・・?・・・梅・・・?

 

桜とのこと・・・!

冬桜らしい・・・!

 

15分程度で移動して・・・

 

 

菊池市のご案内の方々と合流して市内の名跡、史跡探訪

 

菊池武光公

 

菊池氏といえば一番に名が出るのが菊池武光公

 

菊池第15代

時は南北朝争乱の頃、13代兄武重、14代武士の後を受けて15代を継承。

菊池武士が奪われた菊池本城を奪還すると南朝後醍醐天皇の皇子、懐良親王(かねながしんのう)を菊池に迎え、北朝側と激しい戦いを繰り広げ、ついに大保原の戦い、筑後川の戦いで勝利し、大宰府を占領して懐良親王が征西府を置く。

菊池氏の武威は九州全土に鳴り響き、九州南朝方そして菊池氏の最盛期を築いた武将でもある。

 

武光公の騎馬像の後は・・・

菊池武光公の墓

 

亀の台座に墓石が・・・

亀趺(キフ)・・・という。

 

亀趺(キフ)とは台石の一種で、石碑を載せる台石を大亀の形にしたものである。
亀趺は、もともと中国の貴族階級の風習だったのが、江戸時代に日本でも取り入れられた。
亀趺は功績や功徳などを刻んだ石碑を載せるものが多いが、大名クラスの武家当主等の墓石を載せるものもある。
亀趺の亀は贔屓(ひいき)といい、龍の九子のうち龍になれなかった一子で、巨大な亀の形に似た想像上の霊獣だとされる。
「贔屓(ひいき)」は「贔屓にする」などと用いられる「贔屓」である。
贔屓は「一生懸命努力して力を出すさま」を意味するとされるが、それが「特別に便宜を図ったり、力添えをする」意味に使われるようになったそうです・・・。

 

正観寺

 

 

菊池の語源というか菊池のはじまりとされる「菊の池」を観た後は・・・

 

菊池初代 藤原則隆公(菊池則隆)の墓

 

 

幕末維新の立役者、薩摩の西郷隆盛先祖の発祥の地

西郷地区

 

西郷隆盛の祖は菊池一族とありますが、西郷姓の発祥はこの地なのかもしれない・・・?

明治維新戊辰戦争で薩摩等の西軍と戦った会津藩、その会津藩家老の西郷頼母もまた祖を同じとする菊池一族とも語られますが真相はいかに・・・?

 

再び市街地、隈府(わいふ)に戻り・・・

 

将軍木

樹齢650年以上と伝えられる懐良親王が植えたとされる将軍木

 

懐良親王

後醍醐天皇の皇子、7歳で宮方の象徴として征西将軍の任を受けて海路九州に向かい、実に5年の歳月を経て薩摩に入る。

北朝方の攻撃を避けながら北上し、遂に菊池武光と合流を果たし菊池入り、菊池一族等と共に大宰府を落し征西府を置き、ほぼ九州全土を南朝支配に成功する。

後に東征に失敗したことにより支配力が弱まり大宰府を失い、1374年に甥の良成親王に将軍職を譲り八女に移り隠居、後に逝去と伝えられる。

 

一部ですが隈府の街並み

こじんまりとしているが、どこか落ち着いた小京都という雰囲気抜群であると感じました。

 

つづく・・・

 

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友好都市訪問、菊池市編

2014-12-02 20:23:32 | 遠野

 遠野市の友好都市訪問団は初日の博多を後にして、菊池市のバスにて菊池市入り・・・

 

数日前に阿蘇山が噴火したということで、菊池市内にも若干の火山灰が降ったことと、遠くに噴煙を上げる阿蘇山も視認できるという情報もいただきましたが、曇っていて阿蘇山は確認できず、また火山灰も降ってなかったですね。

 

最初にシンポジウムでパネリストを務める団長さんと当市の学芸員さんを菊池市文化会館で降ろし、代わって菊池市のご案内の方々を乗せて菊池渓谷へ・・・

紅葉の良いところは既に終了しておりました。

 

約40分くらいかな?周遊コースを周ってきてレストハウスで昼食

 

時間が押していたので急いで食べて移動・・・

 

会場はほぼ満員御礼

 

アナウンスによって会場で配られた手ぬぐいを巻けと指示される

 

菊池市の市長さんのご挨拶をはじめ来賓の皆様の祝辞では・・・

(;'∀')

国政選挙へ向けての決起大会や何かの大会みたいです・・・

との声多数・・・笑

 

最後は・・・

菊池一族の意気込みを示すパフォーマンスで締める・・・笑

「菊池一族・・・エイ、エイ、エイ」

「オッー」

 

順序は逆になりますが開会前に・・・

国の重要無形民俗文化財指定の

「御松囃子御能」

南北朝時代以来650年もの長きにわたり受け継がれてきた伝統芸能

会場内が静寂となる迫力と感じました。

 

開会後は・・・

菊池一族の縁で繋がる

宮崎県西米良村の紹介、岩手県遠野市の紹介、鹿児島県奄美大島の龍郷町の紹介、そして全国菊池の会の紹介が各10分程度行われました。

ちなみに龍郷町は西郷隆盛が一時期流された場所で、当時は菊池源吾を名乗ったとされ、西郷の祖は菊池市西郷地区を領していた菊池一族である縁による。

 

基調講演は・・・

作家の童門 冬二氏

 

そしてパネルディスカッションが行われ、遠野からも遠野菊池の会、会長氏がパネラーとしてステージ上にありました。

 

17時過ぎにシンポジウムは終了し、この日の宿にチェックインして直ぐに交流会に参加・・・

シンポジウムに関係した各地域の方々と存分に交流をいたしました。

 

二次会へも参加・・・(;^ω^)

持参した名刺の2/3が無くなりました。

 

メインはやはり交流会、これが一番であると実感いたしました。

 

つづく・・・

 

 

 

12/2 昼の様子

 

晩秋の佇まいとなったばかりの九州の地から真冬の遠野へ・・・

つくづくと日本は広いと思ったしだいです。

 

 

 

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友好都市訪問から帰宅

2014-12-01 22:16:29 | 遠野

 このほど、遠野市と友好都市である熊本県菊池市及び宮崎県西米良村を3泊4日の行程で訪問団の一員として訪ねて参りました。

 

菊池氏第15代 菊池武光公騎馬像

今回の訪問テーマは菊池一族ということで、菊池市で初めて開催された「菊池一族の心 今ここに集う  菊池一族歴史交流シンポジウム」に参加するためでもありました。

 

菊池市及び西米良村とは菊池一族、菊池姓が縁で当市と友好都市となっているのはご存知のとおり、11年ぶりに訪れた菊池市は懐かしくもあり、菊池姓の隅に位置する我が身ではありますが、なんとなく故郷に帰ってきたという思いにかられる、そんな瞬間もありました。

また、西米良村は初めて訪問しましたが、菊池一族の歴史がにじみ出ている雰囲気が大いに感じられる土地でもありました。

もちろん、現地の方々との交流もありテーマもそのとおりですが、こちらの方がメインといっても過言はない内容でもあります。

 

いずれ、今回の訪問に関して何回かに分けてご紹介して参りますが、今回の訪問をきっかけに、歴史的なこと、遠野の菊池姓について、これまでの考察を含めまして再検証し、まとめとしてご紹介できたらと考えているところです。

 

 

菊池市、西米良村は紅葉がちょうど終わったところで遠野とは1ヶ月くらいの季節差があるということを感じました。

 

 

 

いわて花巻から福岡にひとっ飛び・・・

博多泊からスタートとなりました。

博多駅前

 

いよいよ師走・・・

今年もラストとなりました。

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