春の渡良瀬渓谷鐡道撮りのため、愛車で北関東へ。
列車内に撮り鉄氏発見・・・\(◎o◎)/! (笑)
車はお目当の駅ではなく、その手前の駅とかに停めて列車で行きましょう・・・みたいなことが推奨されているのか?けっこうカメラぶら下げた方々が列車から降り立つ姿が見られる路線との印象です。
まっ、駅の駐車スペースも限りがありますし、平日でも桜や花桃の季節は人出が多いですからね。
撮り鉄に関しては当初の目的を果たし、帰路は何処へ立ち寄ろうか?出かける前から色々と思案はしておりましたが・・・。
白河の関か桜の小峰城(白河市)か?はたまた三春の滝桜も良いかも?帰りは急ぎでもないので会津若松もいいなあ・・・等と一気に咲いた桜に関連付けた候補も多数ありましたが、頭の片隅に15年以上前からあった某場所に思い切って行ってみることにしました。
泊まった宇都宮の宿を出ると東北道を北上し、途中ジャンクションから東方向へ・・・。
たどり着いた先は・・・?
霊山神社(福島県伊達市)
本来は霊山城跡がある霊山の山そのものが行きたいところではありますが、山登りは遠慮したいタイプなので、麓の神社参拝としました。
南北朝時代の延元2年(1337年)、北畠顕家が霊山城を築き義良親王(後醍醐天皇の皇子、後の後村上天皇)を奉じ陸奥国の国府を置くなど、奥羽地方における南朝勢力の一大拠点として機能した。
しかし、北朝勢力(足利方)が優勢になるにつれ、霊山の南朝軍も追い詰められいき、正平2年(1347年)、ついに落城となり、歴史の舞台から姿を消すことになった。
歴史が好きで特に南北朝時代に興味があり、東北地方での南朝勢力等のことを少し調べた経緯があったものですから、いつかは行ってみたいと考えておりました。
北畠 顕家 卿 像
北畠顕家卿は石津の戦い(大阪)で足利軍に敗れて僅か21歳で戦死したが、このとき、八戸氏(遠野南部家)先祖である南部師行公も共に討死している。
北畠顕家卿は遠野の歴史と少し関係する人物でもあります。
史跡である霊山城跡には行きませんでしたが、その一端に触れることができて良かったと思ってます。
ということで帰路に立ち寄ったところは霊山神社だけとなりました。
ところで・・・
宇都宮
渡良瀬渓谷鐡道水沼駅での撮り鉄を終え、まずは足利の渡良瀬橋を目指すも、通り過ぎたらしく戻るのも面倒になり、そのまま佐野へ向かいました。
佐野の立ち寄り予定地前、道路情報によると渋滞が発生中らしく、実際に近づくにつれて確かに車の進みも悪くなりだしたので急きょ変更して、宿泊地の宇都宮にそのまま向かうことにしました。
(^-^;
別の機会もあるに違いないと判断しました・・・(;^ω^)
まだ陽があるうちに一人で乾杯。
営業していたお店もあったと思いますが、やはり宇都宮ときたら餃子と思うも、まだ営業前のお店もあったことから、まずは焼肉店へ入って、ラスト締めで餃子と決めました。
しかし・・・
食べ過ぎたわけではないですが、餃子はまだ早いなあ・・・ということで、定番の一人カラオケへ。
7~8選曲するも、まともに最後まで歌いきれたのは4曲のみ、後は声が続かなかったり出なかったりと、いつもの感じとはなりませんでした。
アルコールも悪いと思いますが、何処か一気に疲れたというか嘔気もしてきて、90分コースのところ45分でお店を出て宿へ帰りました。
おかげさまで前夜の分まで寝れた感はありましたが、それでも何処か怠い、食欲がない感じで帰って参りました。
帰路のルートとして常磐道~三陸道を予定してましたが、何処でどう間違ったのか?以前のR340号立丸峠を彷彿させる狭い峠道をカーナビで案内され、宮城県丸森町にヘロヘロになってたどり着きました。
(;^_^A
その後も大きな道というかバイパスみたいな道路があったのに旧道かな?町中を通り、ようやく山元南スマートインターから高速道に乗ることが出来ました。
カーナビは一応、最新版に近いと思うのですが(昨年12月に最新版をダウンロード)。
花桃は終わりかけで少し残念ではありましたが、今年も綺麗な風景を観れて撮れて良かったです。
来年はどうしようかな?
3年は通わなければいけない感もありますが、春の別な路線で撮ってみたいところもあるので、そちらかな?
それにしても、いい歳こいて夜通し車を走らせ行為は慎まなければ・・・。
寝不足はいけません、早朝出発することあっても夜中とか途中車中で仮眠は個人的には無理・・・(^^ゞ
帰って来て十分寝ましたが、疲れが2日ほどとれませんでしたし、胸の辺りのムカムカはまだ残っているし・・・。
いずれ次のドライブ旅は無理はしない・・・がテーマとなりそうです。
(笑)