「母さん、何食べたの?」
僕もそれにしようと彼は言います。この場合、外食に出た場合ですが、父が何時も母に上等な物を食べさせる事を彼は熟知していました。流石に2人の息子です。何時如何なる時にでも、万事母に合わせておきさえすれば良い、そうすれば相当によいものが食べられる。この事を彼は過去の経験から学んでいたのです。
「ご主人、素うどん1つ。」
息子の言葉を聞いた父が、お店の主人に声を掛けました。ヘイ!毎度と、小気味よい返事をして、店主はすぐに厨房に入って行きました。ふわんと、店内にうどん出汁の良い香りが立ち込めて来ます。グーッと彼のお腹が鳴りました。
「母さん、素うどん食べたの?」
がっかりした顔で、母の注文の品を確認する息子の声に、母はへぇと気の抜けた言葉を返します。
彼女は何だか酷く老け込んだ様子になっていました。目が落ちくぼみその瞳は閉じられていました。一遍に十も二十も年を取った様子で、彼女の体からは魂が抜け出てしまった感じでした。彼女の顔は冴えない顔色で、虚無的な渋い表情が沈み込むと、その顔面に彼女の心中の煩悶を表していました。彼女は片方の肩をだらりと下げて、如何にも脱力感といった感じで椅子に座っていました。どう見てもピシッとした息子の態度とは裏腹で、捉え所が無く、クラゲの様に芯の全く無い様な体の緩み具合となっていました。
この時の父の方はと言うと、緊張しているのでしょう、根を詰めた顔付きで声まで震えて来た息子の、その顔を興味深く悪戯っぽい瞳で見詰めると、興に乗ったまま口を半開きにして面白そうに眺めていました。そしてふと気づいて傍らの妻を眺め、その異常な様子に気付いて彼女の身を案じました。