妻の常套句には何時も涼し気に笑みを漏らし、如何にも何事も無かったように無言で受け流していた夫でした。それが今日は返事をされたものですから、妻の方は返ってぎょっとしました。
『如何しましょう、お父さん怒ったのかしら。』
静かな顔付の夫を前にして、彼女は真実真顔になってしまいました。あれこれと夫の胸中を察すると、彼女の心中は困ったような照れたような感情が入り混じって交錯し、顔が酷く赤くなってしまいました。目もうるんで来ます。手には折よく丁度先程取り出したハンカチがありました。
彼女はしおらしく、しくしくと涙を拭います。「この子が不憫で」「食事も禄に作ってもらえない様な嫁を持たされたなんて。」そう言うと、彼女は両手でハンカチを開き両目に押し当てて顔を隠しました。
『また、そんな大層に…。』と夫が思えば、
「母さん、そんなに俺の身を心配してくれるなんて…。」
いや、何とかの恩は山よりも高く海よりも深しだなぁ…。本当だ、実際、親とは有り難い物だ。そう感動した息子はしみじみと言うと、遜った真摯な態度で恩返しの様に母の身を案じるのでした。
「そんな母さん、そうは言ってもあれはあれで結構いい嫁なんだよ。」
そう気にしないでくれ、そう母の心配を打ち消すように、案じる事は無いんだと、彼は母を労うのでした。そして、
「父さん、ありがとう。」
この機会にはっきりお礼を言っておくよ。息子は父に面と向かって生真面目にお礼の言葉を告げるのでした。