少し場の空気が淀んだ気がした。気だるい私は目を閉じたまま微笑んでいた。『父は何を生真面目に焦っているのだろうか?。』、微笑む私はそんな疑問を胸の内に持っていた。
何時もの彼は私の父親然として振舞い、終始表面は落ち着いて見えた。この時聞こえて来る彼の声だけを聞いてみると、何故か平常心では無い様子なので、私にはその彼の対比が妙に面白く感じられた。ふふふ、私の興趣は声になって私の口元から漏れて行った。
「こいつ、笑ってるんじゃないか?。」
私の父の声がする。うむと祖父の声がした。祖父は危ないねぇと言った。「こんな時はこうなんだよ。」そう言うと、父がそれを受けてそうなのかと聞き返した。祖父は控えめに小さく「駄目かもしれないなぁ。」と、ぽつりと静かに感慨深い声を漏らした。
その後は何だかバタバタと忙しなくなる場の雰囲気が感じられたが、やや離れた場所で私の父が、母さん、母さんと声を発し、どうやらその声の主である父の足音らしいバタバタ音が居間から続く廊下、そして台所へ向かう気配を感じた。
本当に、父は何を狼狽えているのだろうか、外部の音だけを聞く私には、内心の面白さを通り越して疑問だけが残った。目を開けてみようか、私は思った。瞼に力を集めて、ぱっかりと開いてみると、私の目を覗き込む祖父の眼差しが直ぐ間近に見えた。「私にも一枚噛ませておくれでないかい。」祖父の目は笑っていた。私は祖父の笑顔に釣られてハハッと笑った。
「お前、智ちゃん、…」、あれの言う通り、冗談なら悪い冗談だよ。そう祖父はそっと私に言った。そうして、私の微笑む目を見て、にゅんと両目を曲げると、はは…と、お前可笑しな奴だなぁと声に出して笑い出した。
その歳で、こんな芸当が出来るとは、いやぁ恐れ入った。どの子もどの孫も、今迄これほど恐れ入った芸当が出来る者はいなかった。
「いやぁ、お前は見所のあるやつだなぁ、智ちゃん。」
そう言うと、祖父は階段では流石に危ないと思ったのだろう、後退りして階段を降り始め、畳に彼の足が着くと、手だけは片方手摺を握り締めた儘の姿勢で一息ついた。そうして「ふっ、はは」と抑えていた物が声に出るやいなや、彼はくの字に腰を折り曲げるとハッ、ハハハハハ…と身を震わせて大声で笑い出した。父といい祖父といい、『一体何が起こっているのだろうか?。』と、この現況がさっぱり分からないのは私だけなのだろうか、と私は思った。