いやぁ全く驚いたなぁ、本当に。お前にこんな芸当が出来るとは。それもここ迄やるとは、なんともはやだ。玄人はだしというものだよ。大した役者も顔負けという物だ、何しろ階段から落ちて迄見せるというのだから、これは勲章物だよ。祖父はそう言うと、手等打ち鳴らして独り言ち始めた。
「お前をここ迄に育てるとは、あれの手柄ばかりではあるまい、そうか、姉さんが上手くやってくれたんだな。これは、姉さんに金の一封も出さないといけないなぁ。」
彼は首を捻り捻り、片手の拳を彼の顎に当てがいながら、夢中になって喋っていたが、何時しかとんとんと階段を降りて仕舞い、階下の畳の上を小さな円を描くようにしてうろうろと、小刻みに歩き回りながら大層感心して、頷きながら、云、上手い、なかなか、等、はしゃいで喋っていた。
それから足を止めると、彼は斜めに私を見上げ、不審そうな視線を私に対してぶつけて来た。何だろうか?。元より何も分かっていない私の事だ、祖父のこの様な思わせぶりな言動が何を意味しているのか皆目分からない。目をぱちくりさせて彼を見下ろすばかりであった。
「智ちゃん、お昼になったら呼ぶから、その儘2階で休んでおいで。」
祖父が徐に言うので、ああと、私はお昼ご飯が貰えるらしいと思った。『それは良かった!。』。私は台所から来る廊下での父や、最前の祖父の言葉から、お昼ご飯は無いと思っていたのだ。その為、今祖父から自分に向けて掛けられたこの言葉に対して、極めて嬉しく感じた。『お昼ご飯が食べられる!』、にこにことして手を打ちならし、笑顔が溢れた。
すると祖父は、ここで私同様に明るくにこやかな笑顔を浮かべた。彼のそれは我が意を得たりという様な感じであった。「お腹が空いていたんだなぁ、それでか。」、そう彼は呟いた。「窮すれば通ずだ。一寸した、そんじょそこらの子供には出来ぬ芸当だと思ったよ。」。彼はふふふとほくそ笑んだ。「飢えだよ、飢えがお前をこんな上流の役者にしたんだよ。」。
静かにしているんだよ。そう祖父は言ってから、「姉さん、姉さん…、四郎はいないのか。」と、台所に聞こえる様に居間の向こう、廊下へ向かって開け放されている戸口の向こうに向かって、彼は大きな声を掛けた。私の方は、2階の寝室に向かおうと体の向きを変え、次の階段に手を伸ばした。私の背中越しに、皆何処に行ったんだろうという祖父の怪訝そうな声が聞こえていた。
「静かにしておいでといっただろうに。」
見上げると、私の目に祖父の顔が映る。何時の間に祖父は私の顔の上に自分の顔を持って来れたのだろう?。私はそんな疑問を持った。
「冗談だったらなぁ。」
これが冗談だったらよかったのに。冗談にしておいてくれたらよかったのになぁ。祖父は元気の無い顔付きで、ぽつぽつとこう私に語り掛けていた。それは彼の独り言の様にも私には取れた。