Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 142

2020-01-27 14:59:16 | 日記

 ところが、この時の彼女は一時の感情に流されなかったようだ。寝ぼけ眼の私が、緩んだ顔付で母を見ていると、明らかに彼女は一瞬不貞腐れたのだが、次の瞬間にはこちらへ向かう波に乗るようにして身を起こした。そして愛想よく真っ向から私に向けて笑顔を差し掛けて来た。

 「まぁ、あんた。そんな事言わずに一寸こっちへおいでよ。」

早く早くと、それまで伏せて四肢を床に付け縁側を磨いていた母だが、こうやって腰を伸ばし、膝立して身を起こした姿になると、彼女はまるで動物園の熊が後ろ足で立ち上がった様な姿に私の目には映った。そうして、彼女はおいでおいでと私に手招きして来た。母の顔はと見ると、あくまで明朗で陽気な笑顔だった。

 『格好は熊そっくりだけど、顔はやはり人の顔だな。』

私はそんな事を思った。動物園の熊は両手を上に向けて振ると、それにつれて上向いた顔や口も同様にふれふれと振れるのだ。それに対して、動作は同じ様でも母の頭や顔はこちらに向けた儘だ。微動だにしない。私を見詰めて来る目等も熊とは違う、確りとした眼をしてこちらを向き、横目使いでこちらを見たり等しない。

 目の前にいる母は人だなぁと考えている内に、私はどうやら頭の真が覚めて来た。そうなると、母に向けて言った言葉を悪かったと思う私の理性も同様に目覚めて来た。

 私はシュンと溜息を吐いた。眠くてぼんやりしていたとはいえ彼女に対して申し訳ない事を言ったと思った。そこで次の彼女の呼びかけには答える事にした。縁へと降りて行こうと考えたのだ。それにはもう少しはっきりと目を覚ました方が良いと考えると、私は障子戸から廊下の向こう、壁の陰にポンと隠れると、自分の両の手で両頬をぱしぱし叩いた。より確りと目を覚まそうと試みたのだ。

 この目覚ましの方法は、私がつい先ごろ遊び仲間の史君から習い覚えたものだ。彼はそれを特別に私に教えてくれた訳では無かったが、その日遊び場にしている寺の境内に私の後から姿を現し、私の目の前で実演してみせてくれたのだ。

 ふらふらして、明らかに寝ぼけ眼で私の前にやって来た彼は言った。

「昼寝なんて、僕はもう、そんなねんねじゃないよ。」

そう言うと、彼は、大きいお兄ちゃん達について行くんだと言って、赤い目を擦り擦り、半ば夢現の泳ぐ目をした自分の両頬を自分の両手でバチバチと殴ったのだ。

 「そんな事して、痛くないの?。」

と、理由の分らない私は驚いて思わず彼に問いかけたが、彼は、

「痛いさ、でもこうやって目を覚ますんだ。」

そう言うと、再びよろめく程に自らの頬を打った。彼はその後、2、3歩ふらついて私から離れた場所に行ったが、そこで頭を振り振り、足をすっくと地面に踏みしめ仁王立ちすると、目をぱちぱちさせて

「あー、すっきりした。」

と嘆息した。

 「じゃあな、智ちゃん。」

彼は言うと駆け出して行き、

「一寸お兄ちゃん達と遊んでくるからな。」

そう私に向かって言い捨てた。史君はたたた…と墓所の中へと消えた。

 彼はその日はその儘,、私の前から姿を消して二度と再び現れる事は無かった。そんな彼の手荒な目覚まし方法を、私はこの時見様見真似で自分で試してみる事にしたのだ。


うの華 141

2020-01-23 12:44:02 | 日記

 そうだ!そうだ!。昼寝だ、昼寝だ。私は勢い込んだ。私の様な幼い子には昼寝が大事なんだ。今この疲労した時に思い出して良かったと私は思った。かつては午後になると、自分はよく寝かしつけられたものだったのだ。私はこの日課を思い出すとにこやかに感嘆した。

 魅力溢れる外遊びに夢中になったこの何日間か、私は昼食後一寸の間一休みすると、昼寝という日課をすっかりお留守にして外へと飛び出して行った。そして午前中に続き、弾んだ勢いで屋外の活動の場をどんどんと広げて行った。私に取っての屋外の遊びは、その様に新鮮で興味溢れる物だったのだ。

 また、屋外は私に取って家族以外の人々との社交の場でもあった。特に話し相手になってくれる、あれこれと物事を教えてくれるご近所の奥さん達は、自分の家族とは違い、まるで自分にとっての大人の友達という感覚だった。要するに私に取っての気安い間柄だったのだ。

 彼女達や彼女のご主人からも、私は家の大人からは学べなかった事柄や話を聞き知識を得た。また、あれこれと世間流通の言葉を覚えたものだった。父の教え通りに、その頃の私は正直で裏表のない性格だった。そんな私に彼等もまた気安かったのかもしれない。それに、子供の相手をすれば、その家の大人への商いも遣り易かったのだろう。現に、瀬戸物やその他商いの品々を、私はしばしば家の大人と共にこれらのお店に買いに行ったものだ。ご近所さんは商売のお客さんでもあった。

「何時も家の子がお世話になって。」

この言葉で始まり、祖母にしろ父にしろ、これらの店主や奥様連にこう挨拶してから後に全ての買い物が始まったのだ。

 私が家の中心に向かい始めた頃、妙に祖父母のいる座敷辺りがざわつきだした。意味不明だが大人達のざわめく声が聞こえた。私は別段気に留めるでもなく台所から廊下に足を踏み入れた。早く2階に上って休みたかったのだ。廊下を進んですぐの縁側の入り口で、急いでそこを通り過ぎようとした私に、

「あら、智ちゃん。」

母から愛想のよい声が掛けられた。

 何の用だろうか?。私に用は無い筈の母だ。私は眠さでぼうっとして来た頭で視線だけを母の方に向けた。

「やぁ、智ちゃんいい子だね。」

母は私のご機嫌を取る様に言うと、手を打ち合わせてこちらに両の手を開き、如何にも抱っこしてあげるからこっちおいでという様なそぶりを見せた。えーっと、何なんだろうかと、普段なら怪しんでこんな母を拒絶する私なのだが、眠いせいでその場にうっかり立ち止まってしまった。

 霞がかった頭で、視界がぼやけて来る。私は目を擦り瞬いてよくよく彼女の方を見てみた。母はにこやかに作り笑いを浮かべている。

「お母さん、何を態と笑っているの?。」

眠いせいで私は歯に衣を着せられずにいた。まぁいいか、と私は思った。これで益々私は母に嫌われて、すぐさまあっちに行けと言われるだろう。これで早々に寝床に潜り込めるだろう。私はしめたものだと内心にんまり算段した。


うの華 140

2020-01-21 17:21:24 | 日記

 私と母の不協和音は、今日の祖母の意見を聞かされるという一件が有ってから益々増した感があった。今、母と話しをした場面からも、私はその事を強く感じた。手を洗い終えた私は何時もの様に直ぐ居間に戻らなかった。さっきの今で、母とこれ以上私は顔を合わせたく無かったのだ。そこで私の足は手拭きの前で躊躇する内に、居間や縁側と反対方向の家の裏口へと歩を取った。

 家は裏にも庭が有る。有るといっても猫の額程の狭さで、家並みの陰になり日陰の多い庭だった。美しい花など咲かず、苔の緑やドクダミ等の雑草、むき出しの土など眺めるだけで私は所在が無かった。

 家の勝手へと続く土間への折口に立った私は、また外へ遊びに出ようかと思った。が、果たして、この勝手口に私の履物は無かった。先程外出から帰り、玄関で履き物を脱いだので私の履物は玄関に有るのだ。

 『玄関から取ってこようかな。』

私はそう思ったが、縁側や居間を通らなければならない。母の姿を見たり、居間の出口で祖母からまた話し掛けられるかもしれない。そう思うと、私は玄関に戻る事も気が進まなかった。どちらからであれ、またぞろ何か言われた日には、もう今日はうんざりだった。大体、玄関に戻るなら玄関から外に出た方が良い、と私は考えた。

 そんなこんなを考えながら暫く裏口へ降りる戸口に手を掛け、その場から外を眺め立ち竦んだ儘の私だったが、退屈だ。私に取って目安めになる風景等が裏庭に無かったからだ。本当に所在が無かった。

 こうなると、大人に何かといちゃもんを付けられてもよい、家の中に戻り、2階に迄上がって行って一休みしようと思い立った。家の2階には両親と私の寝所にしている部屋があった。『多分今も布団が敷いた儘だろう。そこに潜り込んで一眠りでもしよう。』私は決意した。

 この頃、昼寝は活発な外遊びをするようになってからあまり取らなくなった私だった。が、久しぶりにその日課を思い出した。この日課を思い出すと、私は自分が疲労している事に気付いた。眠いのだ。寝いならゆっくり寝た方が良いと判断した。


うの華 139

2020-01-21 14:45:42 | 日記

 「え、えっと…。」

私は口ごもった。

 別に、と言いつつ私は目の前の母から目を移し、ガラス戸の向こう側、中庭へと視線を外した。そして、庭を見ていると答えた。この私の答えに、母は俯いたまま小さな溜息を吐いた。この母の溜息を聞くと、彼女は私が彼女と顔を合わせたく無かった事を悟ったようだ、と私は思った。すると、

「今、お前と話をしたく無くてね。」

と母が言った。私はそんな母に、お仕事中だものねぇと如何にも的外れな言葉を返した。彼女は別にそうじゃ無いけど、と言い掛けたが、不意によいと掛け声をかけて腰を起こすと床に正座した。彼女はきちんと私の方へ顔を向けた。じいっと私の顔を見つめた彼女は、

「お前の方こそ私と会いたく無かったんじゃないのかい。」

と確信を衝いて来た。そう言った母は何だかしんみりとして元気が無かった。

「お前がそこに来た時から、私にはお前が見えていたんだよ。」

そうも母が言うので、やっぱりねと私は思った。何時もの彼女のおふざけは何処へやら、今日の母は真面目に私と向き合う気らしい、私はそう感じた。

 母が縁側の奥にいて、振り返った時目が合った様に感じたが、やはりあの時母は私に気付いていたのだ。今迄知らんぷりして床を磨いて、見て見ぬふりをした儘で、彼女は私がこの場を通り過ぎるのを待ち、私の事を遣り過ごしたかったのだろう。それがここに何時まで私がもまごまごしていたものだから、彼女の方がしびれを切らして私に話し掛けて来たのだ。

 何時に無く生真面目な母の様子に、私も真摯になってそうなのかと口に出して尋ねると、とたんに母の顔は曇り不機嫌になった。

「分かっているなら、そうと言わずにさっさとこの場から姿を消しておくれ。」

「本とに、お前って嫌な子なんだから。」

と、彼女はぶつぶつ言い、不満そうな視線をじいっとこちらに向けた儘でいた。

 「私、いなくなった方がいいの?。」

私はそう彼女に確認を取った。そうなんだねと言うと、そうだよと彼女は言った。

「大体お前は、話をしたく無いなら無いで、如何してここ迄やって来るんだい。子供らしくない。嫌なら嫌でしなければいいのに。」

そう言った母の目は不機嫌から気の毒そうな憐れみの目付きに変わった。私はここ迄来た生真面目な自分を母が可愛そうだと思い、同情しているのだと感じたが、この時の私には嬉しくなかった。どちらかと言うと私の自尊心は傷ついた。

 「ここに私が来ると分かっているのに、途中で引き返して来なかったら、それこそお母さん、嫌な気持ちになるでしょう。」

私という子供に嫌われていると分かるでしょう。そう私が言うと、母はややハッとした感じで考え込んでいたが、一寸嫌味な微笑みを浮かべた。

「お前、じゃあ私の為にここ迄やって来たんだね。」

何だか意味ありげに笑顔でそう言う母に、私の中の天邪鬼が頭をもたげた。

 「子供に嫌われる母親が可愛そうかなと思って、…来ただけよ。」

「お母さんが可愛そうでね。」

そう私が言い、付け足すと、母は明らかに気分を害した。むっすりとして俯くと、その儘無言になった。

 この場の母子の気まずい雰囲気に、私はそれ迄動けずにいた体、自身の足を思い切って動かしてみた。

『動くかしら?。』

私は内心心配だったが、私の足は普通に軽く動き出した。よし!、空かさず私は先程の母の指図を実行した。彼女が希望した通りその場から姿を消した。素早く私は廊下を進み、台所へと達すると、洗面台に立って蛇口を捻った。私はそこで、漸く外出帰りの自分の手を綺麗に洗う事が出来てスッキリした気分になった。


うの華 138

2020-01-20 11:57:33 | 日記

 ここで私は一つの問題に出くわした。私の歩みと共に近付いて来る、縁側へと向けて開いた戸口、その戸口の向こう、縁側に私の母がいるように予感して来たからだ。

 この時の私は、心情的に母と顔を合わせたく無かった。戻ろうかと内心思った。私は玄関迄戻ってまた外出しようかなと考えてみたが、その時の私の耳に、滅入った後に機嫌がよくなった自分のどすどすと気前良く立てていた足音が響いて来た。

『駄目だ。』

私は思った。ここから玄関迄戻るのは余りにもあからさまだ。特に私の予感通り、実際に母が縁側にいた場合、母は私が母を避けて玄関に戻った事を悟るだろう。人の行為の裏側について、母は実に敏感に悟るのだ。この頃の私にはそれが分かっていたので、態とらしい事を仕出かしたく無かった。

 廊下で歩みを止めそうになった私は、ごく自然に歩調が進むように、また足音にしても今まで通りの音が出る様に気を配りながら、やや緊張して縁側の障子戸に近付いた。この時、顔だけ先に出してチラとだけ縁を覗こうかとも思ったが、私の体はそれ迄の動きで進み、私は戸口に差し掛かった。当然私は顔を左に向けて、自然に向こうの景色を眺める様な感じで縁側を見た。

 『いた!。』

母の姿を見た私は内心嫌に思った。やはり悪い予感は当たっていたのだ。今しがた祖母から母への多数の褒め言葉を聞いた後に、何故かしら私は母の顔を見たく無かったのだ。そして彼女と話もしたく無かったのだ。このまま後退りして戻ろうかとも思いながら、私はその場でストップモーション、静止した。

 内心苦笑いしながら、台所まで一気に行こうと焦る中、私は身動き出来ずにいた。そこで渋々縁側にいる母の観察を始めた。何をしているのだろうか。

 母は縁側の一番奥の位置に座り込んでいた。先程の続きをしているのなら床磨きだ。私がそうなのかなと思っていると、母の後ろ姿はつと立ち上がってこちらを向いた。やはり彼女は片手に糠袋を持っている。この糠袋が確認できた事で、私は長い事母は床磨きしているなぁとやや嘆じた。先程の祖母の言葉の影響だろう。

 さて、母がこちらを向いた時、一瞬彼女は私の方を見て私と目が合ったような気がした。が、彼女はその儘床に視線を落とすと、ふんふんという感じで左右の床に目を配りつつゆっくりとこちらに歩いて来る。そして縁側の中間点に近い場所で再びしゃがみ込むと、膝を付き俯いて床を磨きだした。母は私に気付かなかったのだろうか?、私は思ったが、案外母も私と同様に、私の顔をみたく無くて、話もしたく無いのではないかと勘ぐったりしていた。

 私が戸口で行きも戻りもせず、にっちもさっちも出来ないで立っている事を、母は何時気付いたのだろう。彼女は床から顔や目線を上げない儘で私に言葉を掛けて来た。

「智ちゃん、さっきからそこにいるんでしょ。」

母は私に、そこで何をしているのかと尋ねて来た。