Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 137

2020-01-19 10:04:59 | 日記

 今迄、自分がこれだあれだと言われて来た事が、そうなのだと見てきた事さえも、ある日突然、思いがけず変化して来た私なのだ。この頃の私にとっては、それは僅かに数回の事だったが、それでも、物事、特に人の言う事はころころ変わる事が有る。一定していないのだと分かって来ていた。

 『人の言葉は信じられないものらしい。』

そう思うと、その事に明らかに私は失望していた。特に、この時期接点が多い家族からの言動でこういった衝撃を受けると、私の失望感はより大きくなった。私は自分は何を如何したらよいのか混乱してしまい、その混乱が困惑となって私を襲うと、その無秩序から言い知れぬ程の嫌悪感を感じるのだった。その嫌悪感はある種の焦燥感となって私を襲い、吐き気さえ覚える程に私を圧迫して来るのだ。

 『さっきは気付いてよかった。』

私は思った。無秩序の中できちんと基準にできるものが見つかり、私はそれに希望を見出したのだ。それは私の心にパッと輝いた光だった。私はこの世を生きる基準を只1つ、きちんと把握できる自分に置く事で正しく生きていけると思った。人はどうやら信じられないものらしい、この世で何かを信じたいなら、その為には、常に自分という者を信じられるものにしておけば良いのだ。そうすればこの世を真っすぐに歩いて行けるだろう。私は「私」を信じられるものにしておこうとこの時決意した。

 ふと気付くと、私は丁度廊下の中間地点に立ち止まっていた。縁側の陽光感じる明るい戸口迄もう少し間があった。一つの問題に結論が出ると、私には新しい疑問が湧いて来た。

『さっきの色は何だったんだろう?。』

私は怪しく思った。今迄終ぞ見た事のない光景だった。そういう状態に陥ったと言った方が良いのだろうが、その様な状態になるという事さえ分からない年代だ。目にした物を現実に見たのだとしか考えなかった。

『確か居間の茶箪笥が斜めに傾き…』

私は振り返って自分の背後を見た。私の目には廊下の先、居間への入り口の開いた障子戸が映るのみだ。その入り口の先に私が今出て来た部屋が広がっているのだ。

 私は怪しんだその光景を思い出してみた。家具がすうっと形を崩し、私の左横から後方へと流れ出し、その後赤や緑の明瞭な色がまるで墨流しの断片の様に流れて行ったのだ。その色の向こうには黄色や、光のような眩い筋もあっただろうか。色の後には闇の様な世界が、そこに私は差し掛かり飲み込まれようとしていたのではなかったか。

 「あの後、そのままにしておけばどうなっていたのだろう…。」

私は呟いた。その後の私を自分は想像してみようとしたが、何しろ、その経験自体が全く初めての事だ。その先の事等私に分ろう筈がない。想像だに出来ない。でも、流れて行った明るい色合いを思い出すと、この世とは違う明るく楽しい別の世界がその先に待ち受けている様な気もした。私は絵本に出て来るおとぎ話の世界を連想した。緑の野原に赤や色取り取りの花々が咲き、お菓子の家や可愛い服を着た子供達がいるメルヘンの世界だ。

『行けばよかったのかな?。』

私はそこへ行かなくて損をしたのかしら。ふとそんな勿体ない気分にもなった。

 …、が、私は思った。やっぱり自分では分からない事だ。ここでそんな自分が分からない事をあれこれと、時間をかけて考えるだけ無駄な事だ。

 「時は金なり」父の口にする格言の言葉を思い出した私は、そこで時間が勿体ないと判断した。次に進もうと元の進行方向へ向きを戻した私は、台所へ続く廊下へと歩みを再開した。


うの華 136

2020-01-19 09:36:35 | 日記

 先ず、「私」というものは私だけに、私自身がよく知っているものだと私は思った。物事を捉える基準とするのにぴったりのものであり、これ以上のものは無い。しかも私の世の中にはこれのみしか真実信じられるものは無いのだ。

 そう思うと、私は目の前の戸口から差し込んでくる庭からの光に再び自らの希望の光が重なった。そして、これは素晴らしい思い付きだと朗らかになると、有頂天になった私は、ポン!と廊下で一跳び歓喜の跳躍をした。

 後、心を落ち着けて私は再び考えた。何しろ何を考えているか、何をして来たか、自分が自分という者の真実をよく知っている。例えば私以外のものは私を知らなくても、私自身は「私」をよく知っている。「私」は私なのだから。何時も、どんな場所にいても、私が何をしているか、何を考えているか、自分自身の全てを把握している。私は「私」を知っているから、私は「私」を信じる事が出来る。そうだ!、実にそうなのだ。

 私は再び思った。私は「私」を全ての事で信じる事が出来る。その様に私はこの世を生きて行けばよいのだ!。そう結論した私は、それでは次に、自分はどのように生きればよいかを考え出した。自分はこの世界をどう生きて行くか。生きていく指針に自分をするべく、自分はどういう人として生きたらよいのか。幼い私がこれからの自分の人生で、自らの為人の方向付けを自分で決めようというのだ。

 先ず、私は現在までの自分の生活を振り返って見た。一番に思い付くのはこれまでに聞かされてきた父からの生活信条だった。私はその教えの通りに今迄生きて来たのだから、それしか思い浮かばなかったのは道理だったかもしれない。また、思い返してみても、父から受けた教えが人の道を外れた妙な教えだと私には思えなかった。否、それどころか可なり正しい人の道を説いている様に思われた。

 人は正しく生きなければならない。嘘を吐いてはいけない、人の物を盗んではならない。他者には親切に思いやりを持つ事。生き物や命を大切にする事。人は真っ直ぐに正しく生きて行くべきだ。等々、そんな父の言葉が私の脳裏に浮かんで来る。

 『それでいいな。』

と私は思った。これ迄の父との関係で起きた些細な事は度外視して、私は概ね父の教えの通りに「私」の為人、自らの人生のコンセプトを決定してよいと判断した。そしてそうしようと決意した。そしてそれ迄の自分の短い人生を再び振り返った。


今日の思い出を振り返って見る

2020-01-19 09:33:40 | 日記
 
ダンスは愉し 6

 鈴舞さんや母が当てにしていた父にしても、最初はおう、そうか日舞か、と明るく言いつつ、色よい返事をしそうになりながら、「…考え物だな。」奥の襖に隠れるようにして顔だけ出して......
 

  良いお天気です。今日はセンター試験2日目ですね。有終の美を飾るに相応しいお天気です。


今日の思い出を振り返って見る

2020-01-18 12:04:21 | 日記
 
ダンスは愉し 5

 鈴舞さんの日舞の見学1日目は、この様な感じで終了しました。これ以外に特に師匠のご機嫌を損ねるという様な事も無く、友達の稽古にお叱りも無く、何しろ皆習い始めて日が浅く、練習時間もそ......
 

 今日、明日がセンター試験。今年が最期だという事で、来年から新しい大学入試制度がスタートするんですね。


うの華 135

2020-01-17 10:13:50 | 日記

 そうだそうだ。私は自分のこの思い付きにパァッと心が明るくなった。

 それまでの私といえば、家の中という陽光を遮る場所に入った事で物質的に日影に身を置き、光線の弱い環境にいる事から気分的にも翳った物を感じて来ていた。そんな私が帰宅して先ず1番に祖母に会い、彼女の話から、私の今迄の見解とは真逆に当たるという、全く予期せぬ彼女の見解を聞く事になり、今迄の自分の僅かな人生で得た人生観が引っ繰り返るという様な、そんな突拍子もない精神的な衝撃を受けた訳だ。その為屋内に入って来てから翳っていた私の感情はどんどんと暗闇に沈み込んで行った。

 そんな私の気持ちが漸くここで好転したのだ。兎に角、私はほっとした。漸く得た希望の光を胸に、私は足を踏みしめて我が家の家の奥へと向けて歩き出した。

 先程ぐらついて回り出した様に感じた居間だったが、私が足を1歩前に出してみると、そこには何の異常も感じ取られる事の無い現実世界が在った。辺りの光景には何の異常も感じられな無かった。また、上げた足を下ろしてみると、それは自身の足であり、足の裏に当たる畳の感触も確りと感じ取る事が出来た。その為自らの感覚も極めて正常だと私は感じた。私は自身で自らの容体を推し量っていたのだ。よく風邪を引く私は、今しがた起きた現象から具合が悪いのだろうかと自らを訝っていたが、自身の容体を探った事で、気分的にも肉体的にも異常を感じ無かった結果を喜んだ。風邪じゃない、自分は元気な状態だと感じた。

 『と、すると、何だったんだろう?。』

私は先程自身が目にした流体と色彩の流れる光景を疑問に思った。何が起こったんだろう?、何だったんだろうと、ふと立ち止まり考えてみたが、私には想像も付かない出来事だっただけに、単に首を捻るに留まった。地震という物を私は既に体験し、その言葉も知っていたが、そういった天災とは趣が異なる様に感じた。やはり私は再度首を捻った。

『私に答えは出せないな。』

考えるだけ無駄だ。そう思うと、そこでその儘深い考えに囚われる事無く私は歩み出したが、また同様の出来事が起こる事を懸念すると、落ち着いて畳の上に足を運んだ。

 私はもう居間を通り過ぎて台所に向かう暗い廊下に入っていた。廊下が暗いといっても、台所に向かう途中に中庭に面した明るい縁側へと出る戸口が有る。その時その戸口の障子戸は丁度開いていた。お陰で廊下は庭から届く陽光でそれなりに薄明るかった。

『外は雲が晴れて太陽が出たんだな。』

私は思った。そして廊下は外より暖かく体感出来た。私は体に感じるこの気温の暖かさにもほっと心が癒される自分を感じていた。ひたひたと廊下を歩きながら、私は先程思い付いた「私」というものについて再考し、記憶の新しい内に「私」、つまりは自分というものを確立しておこうと思考し始めた。