
作詞家で小説家『阿久 悠』さんが亡くなられた。
その曲は5000曲にも及ぶそうだ。


歌詞のどれ一つとっても状況が浮かぶようだったり、こんな言葉遣いがあったんかと思うのもあったり、難しい言葉じゃないのに唸るように感心させられる。

もちろん曲も素敵なのだが、言葉に酔っているように気持ちをこめて歌手が歌うとどこか心にずんと響いてくる。


お酒はぬるめの燗がいい

おんなは無口な人がいい

灯りはぼんやりともりゃいい

北へ帰る人の群れは誰も無口で
海鳴りだけを聞いている

地球の男に飽きただけよ
なんて…

もう「勝手にしやがれ」


最近「カラオケ教室」なんて所に通ったりすると、習う曲にもちっとも心に響かない歌詞がよくある。



ただ音符の下をいろはにほへとが並んでいるような感じがすることが良くある。


そんな失礼なことを…と思うのだがやっぱりあまり心に響かない。


言葉と言えば、感心するのはコマーシャルのキャッチコピーがある。

「私はコレで会社をやめました」

「激辛」

「朝シャン(モーニング・シャンプー)」

なんてときには流行語大賞にも選ばれてどうかすれば国語辞典の中に入ってしまう事もある。

電車の中吊り広告なんかも週刊誌の表題だけで信じてしまったりする。

それと思わずうなるのが、スポーツ新聞の引っ掛けタイトルだ。(こんな言葉あるのかしらないが)

カラーの大きな見出しが踊っている。
こんな人たちはやはり言葉の魔術師なのだ。

今日の写真はホームセンターの園芸コーナーで
「見つけました・鷺草」 昔一生懸命増やした記憶がよみがえりました。