『日本資本主義発展史講座』と書き続けてきていました。不破さんの本か
らの引用でもご丁寧に「発達史」を「発展史」に変えていたので、頭のなか
はまったく「発展史」で疑うこともなくいました。
昔、半世紀くらい前といってもいいでしょう、「社会発展史入門」という風な
名前のテキストがあって、日本社会がどのように「発展してきた」か、これか
らどのように「発展していく」かということが「やさしく」書かれていました。
このことが脳内にインプットされていて、「発達史」⇒「発展史」に自動転換
されたのかも知れませんが、よく考えれば「発達=発展」ではありません。
野呂栄太郎は『講座』の編纂に携わる前・1930年に 『日本資本主義発
達史』 を刊行し、以下の言葉がはじめに書かれています。
「1924-5年、日本労働学校その他における「資本論」の論述中、労働者
の質疑が常に日本歴史の現実問題に向けられていることを知り、私は、日
本社会史及び経済史に関する予ての分析を、一応、覚え書式に纏めた。
(略)、労働者の科学的要求は、私をして、進んで明治維新を契機とする日
本の政治的、経済的、社会的変革及び発展過程の分析に没頭せしめた。」
その分析結果が『日本資本主義発達史』でした。
ここに読みとれることは、「諸変革と発展過程」を規定するものは何かの
問題意識=労働者の科学的要求⇒「日本資本主義の分析」によって、明
治維新以降の「日本社会発展史」をその規定的要因である「日本資本主
義の発達史」として解明した、ということです。
野呂栄太郎の、そして労働者の科学的要求に即して書けば、「資本主
義発達史」を「資本主義発展史」と書いては誤りなのです。
「kaeruのつぶやき」とは言え、「kaeruの寝言」ではないのですこし拘り
ました、ここにこれまでの『日本資本主義発展史』を『日本資本主義発達史』
に訂正します。