山中一光氏の 『昭和史の知的人』 を三分の一ほど読み終わりました。
期待した以上に興味ある内容で、一読したあと再読をしたいと思いながら
この内容を中心にしてKさんから話を聞きたいものだと思っています。
知識人と知的人との違いは、知識人=マン・ノブ・ナレッジ(既存の知識を
もっている人)で、知的人=インテレクチュアルは未知のXに知的に働きかけ
る人である、と山中氏は区別され論をすすめています。
「日本におけるインテリゲンツィアの形成」は幕末の1860年代、開国によっ
て直接近代ヨーロッパの現実に触れ、それをお手本とし持ち込み自ら実践す
ることで日本の近代をきずいてきた人々を一番手としています。1860年から
維新までの8年間に約400人が欧米の社会に直接接したと述べています。
これらの人々は昭和初頭に80歳前後になっている、といいます。 その一団
の最後にあたる西園寺公望は昭和年代の手前1925年で76歳、昭和の初頭
には一番手がつくりあげた近代日本を受け継ぐ二番手が問題になってくるの
です。
「本」は二番手、三番手……と語り、この「つぶやき」でも過日書いた野呂栄
太郎を「20世紀の七番手最初の世代」として登場させ 「ほとんで初めて、日
本の近代化そのものが、総合的、科学的に研究された」と位置付けています。
いずれにしても、かなり理論的で日本をめぐる諸国の情勢も踏まえ、知的人
がどう対応すべきであったか、それに成功したか失敗したかを論じているこの
内容を97歳(7月で98)の頭脳が咀嚼し、自分の生涯と照応させながら認識
を深め得る知的作業に感銘を受けています。
アガサ・クリスティの名探偵ポアロの脳細胞は灰色、Kさんの額の裏側に息づ
いている脳細胞は桜色かと想像しています。