Kさんから電話で「読ませたい本があるから、いらっしゃい」とは、一週間
ほど前。Kさんについては、以前ここで「つぶやいた」こともあるが、この7月
で98歳になる御婦人。
今日伺うと、『昭和史の知的人』という本、山中光一という著者の名前はあ
まり聞いたことがない。なぜこれを私に読ませたいのか、Kさんの分かりにく
い話を聞きながらページをめくって分かったのは、この聞きなれない著者が
山中郁子さんの夫であるということでした。
山中郁子さんについて本では「1974年から1992年までの時期に、日本共
産党の参議院議員として働いた妻郁子が、共産党員としてあゆんだ昭和時
代を通じて(云々)」とあります。 また、著者の叔父に当る人が慶応大学など
で野坂参三と一緒に学んだことなどもあり、日本共産党と直接的な関係があ
る著者であることから「あなた、読んでみたら」ということになったのでしょう。
Kさんは本を片付け重いものをもって階段を上り下りし腰を痛めていて、痛
みを気にしながらの話でしたが、熱が入り「私の昭和史」的な内容に発展。
こちらも熱が入り「記録されないことは記憶されない」という知ったばかりの言
葉を強調し、それに加えて自製の「記憶されないことは反省しない、反省しな
いところに前進はない」などと先輩を前に「熱弁」を奮ってしまいました。
「記録されない云々」は岩波新書の最近本『震災日録 記憶を記録する』に
紹介されている民俗学者の宮本常一さんの言葉です。Kさんとの話を話だけ
でなく、記録にし共通の記憶にしていくことが、「改憲」の企みを前に重要なこ
とです、次にはその具体化を相談しようと思います。