不破さんの「スターリン秘史」も「前衛」4月号で第3回・第3章になります。
2年間の連載予定とのことですので、始まったばかりという段階です。
直接の内容にかかわることではないのですが、不破さんが「赤旗」のインタ
ビューでスターリンの「悪事」に触れながら、こんなことを言っています。
【池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』に、「人間というものは、いいことをやりな
がら悪いことをやる」という有名なせりふがありますが、スターリンの場合、世
界ではいいことをやりながら、国内では悪いことをやった、というわけにはゆか
ないのですね。】
このセリフがどこに書かれているか知りたかったのですが、やはりITnetは便
利なもので、「明神の次郎吉」(文春文庫では8)に出てくる話でした。
セリフそのものはこの「話」の最後の平蔵の言葉ですが、「話」のはじめのとこ
ろで、盗賊の次郎吉が行き倒れの老僧・宗円に出会う場、
【盗賊のくせに次郎吉は、他人の難儀を見すごせない男だ。
それもこれも、おのれが他人の金品を盗み取るのを稼業にしている引き目から
出たもので、悪事をして食べているのだから、悪事をはなれているときぐらいは、
(せめて、善いことをしてえものだ)
という、いわば罪ほろぼしをしながら、こやつ罪を重ねて生きている。】
という場面があります。
次郎吉が宗円の遺品を平蔵の親友に届けることから、いろいろありまして、
平蔵の働きによって、盗賊一味が拿捕されるが、これも平蔵の計らいで一味は
死罪をまぬがれ、さらに次郎吉の罪はもっと軽くなる。
そんな話を平蔵は妻・久栄と語り、
「人間(ひと)とは、妙な生きものよ」
「はあ……?」
「悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。……
これでおれも蔭へまわっては、何をしているか知れたものではないぞ」
何を善とし何を悪とするか、次郎吉、平蔵、世間、kaeru等々で判断の基準が
ある、それにしてもスターリンの場合の「基準」は何だったのか、それを読取るの
がこの連載の「凄味」で、不破さんが池波ファンであった真骨頂が発揮されると
思います。平蔵ならぬ哲三が「世紀の巨悪」に切り込んでいく訳ですから。