葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

続 彼岸の入り。

2013-03-18 22:09:23 | 詩的なつぶやき

 年譜 大正二年 三月十八日、松山在に出生。 本名哲大。

 俳人・石田波郷の誕生日です、大正二年ではピンときませんが、1913年

とすれば、生誕100年ということに気付きます。 

 

 昭和三十年三月の「彼岸入り」という波郷の短文は

「彼岸の入りの三月十八日は私の誕生日だが、十五日生まれの長女の誕

生祝も日延べして、一緒にする」と書き出しています。「昭和二十一年三月  

半ば、あの東京江東の大空襲の日から一年目のなまなましい焦土の中に

越してきてすぐ長女が生まれたのだから、私にとっては忘れがたいのであ

る」に続いて、

「毎年よ、彼岸の入りの寒いのは」 を紹介し、

長女の生れた日のすこし前は戦災一周忌で雪の中に傘さしての墓参りや

道ばたの、おそらくそこで焼死した人への手向けの花に雪がうすく積もって

いたりしたが、彼岸そのものは割に暖かかったようだ、と思い出しています。

 

 波郷生誕100年で、江東区北砂に記念句碑が完成したと、愛媛新聞が

報じています。

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彼岸の入り。

2013-03-17 22:33:23 | 詩的なつぶやき

 昼近く坊さんに経文を唱えてもらい、午後は寺の法要に出てきました。

 

 春分の日(今年は20日)を彼岸の中日とよび、その日を挟んで前後三

日づつの七日間を「彼岸」と呼びますので、今日は彼岸の入り。

 秋分の日を挟んでも同様に彼岸がありますが、これは「秋の彼岸」と呼

びただ彼岸といえば春のこの時期を指します。 「暑さ寒さも彼岸まで」と

言われますが、時期からいうと順番を逆に「寒さ暑さも~」と言うべきで

しょうか。

  正岡子規の    毎年よ彼岸の入に寒いのは   の句は

 「母の詞(ことば)自ら句になりて」と小題があるように、母の言葉そのま

まを詠んでいます、明治26(1893)年の作。母と妹が子規に呼ばれて故

郷から東京・根岸の家に入ったのはその前年明治25年11月、秋の彼岸

は過ぎていました。

  妹・律を詠んだ句

   薪をわるいもうと一人冬籠    はその頃の詠みでしょう。

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櫻始開(さくらはじめてひらく)。

2013-03-16 22:03:44 | 花はこころの器

 江戸、ではない東京で桜がひらき始めたとTVが花びらを写しています。

 七十二候の春分次候「桜始開」は3月の25日から29日までを指しますから

十日も早い開花です。

 sakuraと指をおいたら櫻と変換したので、思わず江戸になってしまいまし

た。櫻を桜と書くようになったのは昭和24年(1949年)4月の当用漢字字

体表で「桜」に字体整理されてからでしょう。ですから、櫻で江戸時代までさ

かのぼることはないのですが、七十二候などという和暦感覚で書いている所

為でもありましょう。

 

 貝二枚がツに略されていると、なぜ櫻のなかに貝が二枚入っているのか

という?にはつながらないのですが、中国では櫻はユスラウメをいい、エイ

といい、嬰は嬰児のエイでみどり児をいう。 新生児の首に貝の首飾りを巻

いたことからきたと白川静氏の『字通』が教えてくれます。

 

   眼にあてて海が透くなり桜貝     松本たかし

 この句の桜は櫻で、そして縦書きであらわしたいものです。

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「春の闇」 醜句  清蛙

2013-03-15 20:13:15 | 詩的なつぶやき

屋根覆ふ春の闇の気配かな

 黒き紐たぐれば春の闇動く

  黒き綱たぐりて春の闇に入る

   春の闇タヌキの像の潜み居る

    春の闇赤き蝋燭火を点けず

    春の闇手首冷たき人と入る

   手を解き春の闇へ別れとす

  目を閉じて春の闇の広さ哉

 目を閉じて春の闇の白さ哉

胃袋のものの動きや春の闇

  

  カーソルの点滅の恋春の闇

  シャットダウン言葉疲れや春の闇

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立っていては汚れは見えない。

2013-03-14 20:51:30 | 詩的なつぶやき

 ワックスで綺麗になった床、汚れも見えず「掃除は楽だ」と簡単に済ませ

ようとすると、足元にうすく汚れが眼につきました。

 

 汚れとは、など大げさに言うことでもないのですが、要は光の乱反射なの

です。光が当って均等に反射すれば「綺麗」なのです。ワックスで綺麗にな

るとは、反射を均等にすること床に着く汚れ物を拭いやすくする、ということ

です。ですから、光の当たり具合で汚れていたりいなかったりします。うすい

汚れなど首の動かし方ひとつで、見えたり見えなかったりします。冬の朝日

は斜めからどんな汚れも浮き立たせ、気付かせてくれます。

 

 足元の汚れはそういう程度のものですが、普通の施設とちがい医療関係

の施設では、綺麗にすることだけでなく雑菌の繁殖を防ぐことが大事なこと

ですから、床に屈みこみます。 するとその周りにもなお細かい汚れが目につ

いてきます。そういう汚れを拭いとるためには床に這いつくばります。

 立っていてあるいは歩きながらでは、この位のものは見えません、見えな

い物には手が着きません。 清掃は「着眼小局、着手小局」なのです。

 

 この現場は私は丁度一年になりますが、三月で契約解除、入札で落せな

かったとの報告がありました。

  春の日や床の汚れのうすき朱     清蛙

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目を閉じて耳を……。

2013-03-13 21:04:54 | 詩的なつぶやき

 何をつぶやこうかとPCのキーに手を置いている、気になるのが風の音で

す。 それで思い出し本を開いてみた、次のような言葉です。

   眼は、いつでも思った時に

   すぐに閉じることが出来るように

   出来て居る。 併し、

   耳の方は、自分で自分を

   閉じることが出来ないように

   出来て居る。

   何故だろう。

 寺田寅彦の 『俳句と地球物理』 という本のカバーにあるのだから寅彦の

言葉なのでしょう、か。

 「何故か」といって、そのまま、あとは自分で考えてごらん、という意味でしょう。

眼は光のない所では役に立たない、その分耳をそばたてて注意を払う。 眠って  

いるときでさえ耳は敏感に反応する。

 俳句も眼ばかりでなく耳で詠もう、ということ?

     死者生者声を束ねて春嵐     清蛙

     春嵐闇ゆく死者の声となり     清蛙  

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春の灯、春の海。

2013-03-12 21:56:48 | 詩的なつぶやき

 春の灯というには少し早いのかとも思いつつ、灯の下で目をつぶると、眼

裏に金粉の如く広がるものがあります。目をつぶっているのですからこれを

「金粉のようなものが見える」とは言えないでしょう。それに「瞼を閉じれば

恋しい故郷の山が浮かんでくる」などという類のものでも無いのです。

 

 金ばかりではなく銀も広がっています、金銀入り混じって実物ではまったく

縁のないものを目(裏)一杯に広げているのです。やはり春は良い季節です。

 秋の黄金は目をあけて、春はまな裏金と銀。

   春の灯の金粉まな裏銀の皿     清蛙

 

 昼の陽の下の波も、まさに「のたりのたりかな」の揺らめきと波頭は銀色の

崩れの重なりです。波の揺り立つ量感は、厚みを帯び粘りさえ感じられます。

   春の波竜宮入口艶やかに      清蛙

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黙祷。

2013-03-11 21:03:13 | どこまで続くかこのブログ

 地域の高齢者の例会の散会間際、一人の婦人が「黙祷」をしましょ

う、と声をあげました。14時46分にはかなり間がある時間でしたが、

十人ほどの出席者はそれを受け、黙祷。 声をあげた人は、この前の

例会で瀬戸内寂聴さんの講演の話をしていたことを思い出しました。

家に戻り、14時46分あらためて黙祷、頭に日本地図を描けば陽を背

に北を向きます。

 

 二年前のあの瞬間、ある県立高校のトイレの清掃が終わり遊具の片

づけの最中、突然消灯、学生が悪戯でもしたのかとスイッチを入れたが

変わりません、すると校舎全体がザ―とざわめき出しました。今から考え

ても揺れている気配はなかったと思います。

 校舎の外に学生が集まり、先生が車のラジオを聞いています、そこで初

めて地震だったのか、と思ったものでした。プールの水面が大揺れにゆれ、

縁を越えて何度もコンクリートを波が打っています。小屋のなかで相棒が布

団を頭に被っていました。 帰り道、アパートの角に布団を身に巻いた老婦人

が二三人に囲まれて立っていました。

 

 その頃、いま向いている東北では……と思い返しつつの黙祷でした。

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「スターリン秘史」余話。

2013-03-10 21:17:56 | 不破・スターリン秘史

 不破さんの「スターリン秘史」も「前衛」4月号で第3回・第3章になります。

2年間の連載予定とのことですので、始まったばかりという段階です。

 直接の内容にかかわることではないのですが、不破さんが「赤旗」のインタ

ビューでスターリンの「悪事」に触れながら、こんなことを言っています。

 【池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』に、「人間というものは、いいことをやりな

がら悪いことをやる」という有名なせりふがありますが、スターリンの場合、世

界ではいいことをやりながら、国内では悪いことをやった、というわけにはゆか

ないのですね。】

 このセリフがどこに書かれているか知りたかったのですが、やはりITnetは便

利なもので、「明神の次郎吉」(文春文庫では8)に出てくる話でした。

 セリフそのものはこの「話」の最後の平蔵の言葉ですが、「話」のはじめのとこ

ろで、盗賊の次郎吉が行き倒れの老僧・宗円に出会う場、

 【盗賊のくせに次郎吉は、他人の難儀を見すごせない男だ。

 それもこれも、おのれが他人の金品を盗み取るのを稼業にしている引き目から

出たもので、悪事をして食べているのだから、悪事をはなれているときぐらいは、

(せめて、善いことをしてえものだ)

 という、いわば罪ほろぼしをしながら、こやつ罪を重ねて生きている。】

 という場面があります。

 次郎吉が宗円の遺品を平蔵の親友に届けることから、いろいろありまして、

平蔵の働きによって、盗賊一味が拿捕されるが、これも平蔵の計らいで一味は

死罪をまぬがれ、さらに次郎吉の罪はもっと軽くなる。

 そんな話を平蔵は妻・久栄と語り、

「人間(ひと)とは、妙な生きものよ」

「はあ……?」

「悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。……

これでおれも蔭へまわっては、何をしているか知れたものではないぞ」

 

 何を善とし何を悪とするか、次郎吉、平蔵、世間、kaeru等々で判断の基準が

ある、それにしてもスターリンの場合の「基準」は何だったのか、それを読取るの

がこの連載の「凄味」で、不破さんが池波ファンであった真骨頂が発揮されると

思います。平蔵ならぬ哲三が「世紀の巨悪」に切り込んでいく訳ですから。

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忘却力賛歌。

2013-03-09 21:18:04 | 本のひと言

♪♪  忘れることは困るけど

    それでもいいんだ 次のため

    新たに星数の多くをつかもう    

   困るだけじゃないんだよ

       困るだけじゃないんだよ

      今でも好きだ 知ることが ♪♪

 

 昨日は忘れることを嘆きました。 今日は一転して、忘却力賛歌。

 千昌夫の ♪ 星影のワルツ ♪ で口にしてみて下さい。

 忘れることができるから、覚えることができるのだそうです。

 

 昨日のタイムレコーダーのことも目の前のタイムよりも、600年ほど前

の応永二十五年六月一日という日付が気になっていたためだったかも

知れません。

 『風姿花伝』の終わりの日付です、1418年7月13日になるそうです。

わずか600年弱ですからそんなに古い時代でもないなーという気がし

ます。 古いどころか、七歳からの能の教育論など、これと比べたら現在

の「体罰論議」の「古さ」は目を覆うばかりです。

 そして「老人論」、 世阿弥の父のこと。

 「亡父にて候ひし者は、五十二と五月に死去せしが、その月の四日(略)

の申楽、殊に花やかにて、~花はいや増しに見えしなり、これ、誠に得たり

し花なるが故に、能は枝葉も、老木になるまで、花は散らで残りしなり、これ、

目のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」、と。

 

 芸術は長く人生も共にあれば長し、と言い替えましょう。 

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