夕方から神社で注連縄づくり、はじめての経験で勉強になりました。
子どもの頃、藁で縄を編むことはやった筈ですが、まったく手が憶えていま
せん。 太い注連縄編みを手伝いながらあらためて、稲・藁・縄とつながる日
本人の文化を感じてきました。
藁は葉山の田圃が生み出したものです。 約1300年の歴史をもつ姿です。
注連縄の細い部分から編みはじめます。
太い部分は三人がかり、藁をねじりながら編んでいきます。
出来あがった大小の注連縄と小さい飾りです。
夕方から神社で注連縄づくり、はじめての経験で勉強になりました。
子どもの頃、藁で縄を編むことはやった筈ですが、まったく手が憶えていま
せん。 太い注連縄編みを手伝いながらあらためて、稲・藁・縄とつながる日
本人の文化を感じてきました。
藁は葉山の田圃が生み出したものです。 約1300年の歴史をもつ姿です。
注連縄の細い部分から編みはじめます。
太い部分は三人がかり、藁をねじりながら編んでいきます。
出来あがった大小の注連縄と小さい飾りです。
瀬戸内寂聴さんが「ぶれない」。
昨日の「kaeruのつぶやき」での「赤旗日曜版」の瀬戸内さんの発言について、今日の「赤旗」に載っていましたので紹介します。 「私の基準は、言っていることと、していることが...
一年前の「kaeruのつぶやき」で、寂聴さんの言葉を紹介したことが送られてきました。
そこで、過ぎた「赤旗日曜版」ですが、8日付の寂聴さんの言葉を思い出しましたので
紹介します。 (談話は法成立以前)
作家・僧侶 瀬戸内寂聴さん 廃絶へ闘う
「国民の知る権利と自由を奪う不気味な秘密保護法案が、反対を叫ぶ多くの
国民の声を踏みにじって押し通されようとしている。市民のデモを「テロ」と批判
した石破自民党幹事長の本音の声は謝ってすませられるものではない。
戦争の中で育ち、青春を送り、敗戦後を生き延び91歳を迎えている私には、こ
んな法案を成立させようとする政府が、憲法に背いて日本を「戦争する国」に仕立
てようとしているとしか思えない。文筆家、宗教家、女性という自分の三つの立場
のどれからも、最後まで、この法案の廃絶に向けてたたかいたいと思う。」
昨日に続き「しんぶん赤旗」の紙面、スポーツ面は初めてかと思います。
いい言葉は聞く人読む人の気持ちを良くします。紙面から言葉を紹介します。
一昨日のJリーグの表彰式、フェアプレー個人賞表彰の壇上で、
柿谷選手(C大阪・写真左)が、もう一人の受賞者の佐藤選手(広島・同右)を前
にこう切り出しました。
「去年、ここで(佐藤)寿人さんがフェアプレー賞をもらったとき、来年は僕ももら
いたいと思いました。そして相手に敬意をもって、ラフプレーもなくすようにした。
寿人さんに本当に感謝したいなと思っています」
佐藤 「サッカーに必要なのは、相手を思いやる心だと思います。僕自身、いつ
もそれを胸にプレーしています」。 「いつも、レフェリーや相手選手をリスペクト(尊
重)し、いっしょにいいゲームをつくっているつもりなのです」。
チームとしてフェアプレー賞を獲得した広島の森監督の言葉。
「今日、指導者講習の席で(日本代表の)ザッケローニ監督の言葉が印象に残
りました。 『日本に足りないものは何か?』 と問われ、『相手を欺く、ずるがしこい
プレー』 と答えた。 そしてこう言ったのです。 『でも、それは日本人のいいところ
なのです』 と」。 森監督の話の結び、「私はこれからもフェアな日本のサッカーの
価値を高めたいと思っています」。
今日が「3・11」の2年9カ月目、だからということもあり、「しんぶん赤旗」
から二つの写真を写しました。
11月3,4日と大坂で開かれた「65周年記念日本のうたごえ祭典」で福島
の高校生が母親と一緒に歌詞を書いた歌 「私は生きるために太陽の下で」
を歌う青年たちの写真です。
その高校生は、祭典で、「福島が大好きですだから、福島以外にふるさとは
考えられない。福島に住んでいることに誇りをもっています」と話していたそう
です。
下はその福島の高校生の思いの対極にある現在の安倍政権の姿です。
今後20年程度のエネルギー政策の指針となる「エレルギー基本計画」
の経産省原案が出されました。ここでは「原発ゼロ」目標が投げ捨てられ
ています。民主党政権は「30年代に原発稼働ゼロ」を目指す方針でした
が、茂木経産相は「原発ゼロ」は「現実性がない」と述べています。
民主党政権が「原発ゼロ」方針を決めた過程では、市民の声が決定的な
役割を果たしました。 討論型世論調査や意見聴取、意見公募(パブリック
コメント)には9万人が意見を寄せ、うち9割が「原発は不要」と主張し民主
党政権に「原発ゼロ」方針を出させたのです。
しかし、安倍政権は「国民の声を徹底排除」の体質そのままで、世論調査
も意見聴取もなく経産省が突然提出するという有様でした。
「秘密保護法」の強行採択以後、私のスマホに届いたTitterから志位さん
はじめ二、三を掲載し、自分の意志を維持し、「法」の危険性の理解を深める
ためにも役立てたいと思います。 関心ある方のお役に立てれば嬉しいです。
首相、秘密法強行の翌日「嵐が過ぎ去った感じがした」。とんでもない考え違い
です。今日の「朝日」の世論調査では、秘密法反対が51%とさらに増え、国会
論議が「不十分」と答えた人が76%、「運用に不安」を感じると答えた人が73%。
国民の不安と怒りの嵐は、過ぎ去るどころか、高まって
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日本共産党金ケ崎町議阿部隆一 @aberyuiti 岩手奥州 第18回原発卒業市民ウォーク 「緊急、特別秘密保護法
反対市民ウォーク」 市民から激励の拍手がありました。
kaeru 「このウォークの時のエピソードです、ご覧下さい」
五月雨の降りのこしてや光堂
一昨日紹介済みの中尊寺での句です。井本さんの本からの紹介でした
が、今日は長谷川さんの本にもどっての話です。
その前に、kaeruの話を。 一昨年中尊寺に足を運んだ時、時間の関係
と見学者の多さに中へ入ることを諦めてしまい、ここは「見残しの光堂」に
なってしまいました。やはりもう一度訪ねていくべきところです。
今では「もう一度」などと簡単に言ったり書いたりしていますが、芭蕉の時
代はまさに命掛けの旅でしょうから、歌枕を訪ねるにしても寺も知人宅も、
句を詠むことも一期一会の思い深く向きあっていたに違いありません。その
思いの深さに至ることはかなわぬことですが、その思いのあることを心にお
きつつ読まねばと思います。
長谷川さんの本の魅力は、その気持ちが感じられるからです。 特にそう
書かれているわけではありませんが、「3・11」を通じて歌集と句集を世に
出し、今回の「おくのおそ道」をはじめるに当ってもこう書かれています。
≪ニ〇一一年春、東日本大震災が起こり、東北地方の太平洋岸一帯を大
地震と大津波が襲いました。時をさかのぼると、今から三百年前の夏、この
被災地に沿って芭蕉は曽良と二人、旅をしました。 それが 『おくのほそ道』
です。≫
≪『おくのほそ道』 をただの旅行記としてでなく、芭蕉の人生の中にすえ
て読むことによって、悲しみや苦しみに満ちたこの世界をどう生きていった
らいいのかと問いつづける芭蕉の姿が浮かびあがってくるのです。 それ
は大震災後を生きる人々への大きな示唆となるにちがいありません。≫
ここには、俳人としての長谷川櫂さんが「3・11」をうけて、芭蕉の命掛け
の旅を追体験し、芭蕉の会得したものを自らのものにすると同時にそのこ
とが「大震災後を生きる人々への示唆」であるとしています。
人は多くの人々の死と遭遇した時、人と人との出会い、偶然にせよその
遭遇そのものの意味に思い至り「一期一会」の思いを深めます。芭蕉が
この旅をつうじて会得したものを長谷川さんは次のふたつにまとめて、こ
う述べられています。
≪芭蕉は不易流行(ふえきりゆうこう)と「かるみ」という二つの重要な考え方
をつかむことになります。不易流行とは宇宙はたえず変化(流行)しなが
らも不変(不易)であるという壮大な宇宙観です。また、「かるみ」とはさまざ
まな嘆きに満ちた人生を微笑をもって乗り越えてゆくというたくましい生き方
です。≫
私もまた、この二つを「3・11」以後を生きる者への示唆として理解していき
たいと思います。
1945年12月8日、作家宮本百合子が「歌声よ、おこれ」を執筆した日です。
この文芸評論は満州事変以来、十五年の期間にわたって暗い戦争時代、天皇
制権力の下で惨めな状態jにおかれていた文学者や民衆に新しい文学運動・新
しい社会の建設にむけて出発を呼びかける声でした。
この写真は今日付けの「しんぶん 赤旗」です。68年前の宮本百合子の思いを
今日受け継ぎ高め拡げようとする紙面です。
今日は「赤旗」編集部がお休み(明日付は休刊)ですので、HPでもこの紙面は
見れません。全文掲載は無理ですので、党議員団総会での「志位委員長よびかけ」
文の「見出し」と若干の内容を書き出します。
国民多数の声を踏みつけにした採決強行に抗議する
今日、1万5千人もの方々が国会に駆けつけた、その声に耳を傾けることなく、こ
れだけの国民世論――国民多数の反対、国民の圧倒的多数の慎重審議をという
声をふみにじったことに、満身の怒りを込めて抗議する。
「自共対決」国会を象徴する光景――国民の声を体してたたかいぬいた
(参議院の)法案討論で賛成討論を行ったのが自民党の議員、反対討論を行った
のは日本共産党の仁比議員ただ一人ーー「自共対決」国会を象徴するような光景
だったと思います。
今日を新たなスタートに、秘密保護法撤廃のたたかいに立ち上がろう
私は、このたたかいは、これで終わるものではない、新しいたたかいに臨もうでは
ないか ということを言いたいと思いいます。
憲法違反の法律をつくってはなりません。秘密保護法は国民主権、基本的人権、
平和主義をことごとくじゅうりんする違憲立法です。ですから、通ったから仕方がない
ではすみません。今日を新たなスタートにして、秘密保護法撤廃のたたかいに立ち
上がろうではありませんか。
平和と民主主義を求める巨大なエネルギーを日本国民は持っている
この悪法は、撤廃するしか解決の方法はありません。この法律がつくりだす暗黒社
会など、だれも望んではおりません。国民多数がこの法律はいらない、なくそう、こうし
た声が広がることになることは間違いないと思います。
私は、今度のたたかいを通じて、日本の未来への希望を感じました。短期間に、これ
だけの人々が反対の声をあげた、これは平和と民主主義を求める巨大なエネルギー
を日本国民が待っていることを証明するものではないでしょうか。
みなさん、大義は国民のたたかいの側にあります。この悪法を必ず撤廃に追い込もうで
はありませんか。
安倍政権の終わりが始まった――この暴挙は国民と歴史によって裁かれる
安倍政権が暴走すれば、その一つひとつが自らの墓穴を掘ることになる、自らの基
盤を掘り崩すことになると言ってきました。今回のこの強行劇というのは、安倍政権の
終わりが始まった、ということになると思います。
必ずこの暴挙は、国民と歴史によって裁かれる。その日が必ずやってくる。
みなさん、たたかいはこれからです。この悪法の撤廃に向けて、頑張りましょう。
■奥の細道の旅
○現在地 中尊寺に到着しました。
○次の目的地 尿前
○次の目的地までの距離 66.0km
○次の目的地までの歩数 88,311歩で達成です。
今夜は長谷川櫂さんの「おくのほそ道」ではなく、井本農一さんの 『奥の細道を
たどる』(角川選書・昭和48年4月 原本は昭和20年代後半~30年頃のもの)
です。 「おくのほそ道」本文
≪兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を
納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ち
て、既に、頽廃空虚の叢(くさむら)と成るべきを、四面新に囲みて、甍(いらか)を覆
ひて風雨を凌ぐ。暫時(しばらく)千歳の記念とはなれり。
五月雨を降りのこしてや光堂 ≫
井本農一さんの文
≪(略)芭蕉が来たときは、経堂の別当が留守で、芭蕉は経堂の中は見ていないの
である。だから、「二堂開帳す」は例の文飾である。事実経堂の中には三将の像などは
なく、今日も~があるだけである。芭蕉もとんだところで馬脚をあらわしてしまったもの
である。まして凡人の我々は、自分でみないこと、自分で感じないことは書いてはいけ
ない。人の話は、みんな話だと思って聞けばよい。話は、話以上のものでもなく、話以下
のものでもない。≫
俳聖(こういう言い方は嫌いですが)ともいわれる芭蕉でも「馬脚」をあらわす、となれば
kaeruの脚四本とも馬の脚のようなもので、引用文に引用文をつなげて字数を稼いでい
る「つぶやき」では、出る幕がなくなるの感です。
ものを書くことを生業としている人にはそういう厳しさが求められるのでしょうが、と言い
訳を言いつつも、それでも引用文は引用文として、「自分でみたこと・自分で感じたこと」
はそれとしてけじめをつけた書き方を忘れてはいけないと、思いました。
昨夜、日比谷野外音楽堂の「廃案へ!大集会」に参加してよかった!の
思いです。18時半からの案内を見ていたので、会場近くの中に入れない人
を見て時間を間違えたかな? 間違えていたのは私の認識でした。
昼からの国会請願行動に参加した人たちですでに会場が埋め尽くされて
いたのでした。「大集会」への参加のために来た人のほとんどが会場外で
の「集会参加」という形になったのでしょう。
昨日のチトセさんのコメントに「ニュースで9000人」とありました。今日の
「しんぶん 赤旗」は1万5千人と報じています、これが実数でしょう。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-07/2013120701_02_1.html
一緒にあるいた隊列に、かなりの高齢者のカップルが手を繋ぎながら空い
てる手を時々かざして歩いて行く姿とか、子供連れのお母さんの姿とかが見られ、
これは原発反対の抗議行動で見ていた光景だと思いました。
「秘密保護法」という政治的に鋭く対決する問題ですが、それでも日常生活
に深く影響する問題であると、関心をよせる人が増えているという感じです。
このブログの 二つの「黒塗り」。 2013-12-05 で示したように
原発に関連する情報が国会議員の提出請求や「保護法」の成立とかにかかわら
ず全面黒塗りというようことが行なわれています。そんな命にかかわる大切なこと
が秘密にされる不安・怒りが今回の「保護法」が国民の生活を支配するものである、
との理解になって広がっている姿だと感じました。
1960年の「安保闘争」の当時、「闘争」は労働組合や政党など活動家の行なう
ものでだと思われていたのではないでしょうか。
「ちゅらさん」の話ですが2001年に上演されたとき、このドラマの内容が沖縄
基地問題をとり上げていない、と問題視した話をきいたことがありました。 同様な
ことで「あまちゃん」の内容でも「原発」を避けているとか、「3・11」を正面から取り
あげていないという批判をインターネットで読みました。
政治は政治、生活は生活と分けて考え、政治の方は政治家・議員に、またいか
にも政治問題として扱う。 それとは別物として生活が受け止め方られるというの
が一般的でした。
しかし、原発抗議のなかで感じたことは、生活の中に政治があるのではない
か、という「発見」です。命の危険を伴う「原発」問題を通じて「命ー生活ー政治」が
三角形の各辺のような関係で見えてきた人達が、お腹の胎児と夫と歩く女性、小
さい孫だと思われる子とあるく老夫婦などの姿になって首相官邸前にやって来て
いたのでしょう。
そのような人たちの思いもあって、今回の「秘密保護法」の闘いの急速な盛り上
がりの力になっていたと感じながらの帰途でした。
一度国会まで請願行動で行って来ました。
今21時10分位、日比谷公会堂前に聞こえて来るのは多分最後の隊列の出発の合図でしよう。
帰宅へ。