八ヶ岳西麓標高1600mの山荘滞在シリーズ、今回はこれが最終回。
マイスキーのチェロ。
バッハの独奏曲をYoutubeでどうぞ♪
「三井幹」 原村の三井の森の幹線道路沿いの電柱という意味か。
「1994」と書いてある(↓)。
今から20年前。この別荘地が開発され、この電柱が設置されたのは1994年。
その後土地が分譲され、私がここに1区画を買ったのは1998年。
山荘が建ったのが1999年。
それからもう15年も経った。いろんなことがあったねぇ。
敷地のナラの葉はすっかり枯れた。
ウチの敷地の北東角はクルッと弧を描く。
カラマツの葉がふかふか。
夕方になる。そろそろ散歩に行きましょうかねえ。
この日の夕方はセーターの上に分厚いカーデガンを着込めば十分な気温で、6~7度くらい。毛糸+毛糸。
原村のてっぺんから下へ降りて、また上がって戻る予定。
最近の暴風で、根っこから倒れたシラカバ。シラカバは弱い。虫にやられても弱いし、柔らかいのですぐ曲がるし。
落葉したカラマツと空のアート。
夕日が当たってきれい。
原村の真東にあるシンボル的存在、阿弥陀岳。
真北には蓼科山。
こんな別荘地にあなたもまずは土地を買ってみませんか?
実は、私の物件を建物ごと買うことも出来るんですよ。
本来なら5億円のところ、ここだけの話、あなただけにこっそり50%ディスカウントで2億5000万円。
交渉次第では60%ディスカウントも可能かもしれないかもかも。
・・・買いませんよねぇ。
でも我が山荘から東は阿弥陀岳の頂上まで共有林の財産区。将来も何も建ちませんよ。
なかなかの立地だと思いますがねぇ。
この温暖化でも、正真正銘の避暑地と言える標高1600m。夏だって寒いし、冬はめっちゃ寒い。寒さに価値を求めるあなたにお売りしたい!
この土地を買った16年前、誰もが「避暑地だとしても寒すぎる」と言い、標高1000m前後の土地を買うことを勧めた。誰もが過去の記憶をもとに判断をする。1998年当時なら当時の30~40代の人が、1970年代~80年代までの記憶をもとに、私にアドバイスをしたはずだ。
しかし、1970~80年代ならそれも避暑地として普通だったかもしれないが、1998年の段階ではすでに温暖化はかなりの状態で、どんなデータを見てもその後さらに平均気温が上昇することは、私には明らかに思えた。当時箱根や那須だって、夏の昼間はもはやたいして涼しくなかった。
今ではこの1600mの土地でさえ、1年のうち最高気温は28度くらいになる。皆さん、長期的視野で避暑地を入手しましょう。永住となればまたちょっと別の要素を考慮しないといけないが。
では、散歩に参りましょう。
夕日が赤く、夕闇が迫る。
ご近所さんも薪ストーブを炊き、晩御飯の準備。
山荘のオーナーそれぞれの楽しみ方がある。原村のてっぺんでの山荘暮らしのパターンは様々。
多くの山荘が建って15年ほど、あるいはそれ以上経過し、建物のトラブルが散見される時期に入った。
上下の画像に出て来る山荘は、妻壁側にウッドデッキを設置なさっている。このパターンは正解。
そうでない場合、屋根からウッドデッキへ落ちた雨の跳ね返りに外壁が常に打たれることとなり、そこにカビが生え、やがて腐って来るケースが見られる。特に軒が短く設計された、ログハウスや板壁の建物の場合はかなり大変なことになる。山荘は樋はつけないので、雨は全部そのまま屋根から落ちる。それがその後どこへ落ちてどう跳ね返るかは設計時から考えておかないと、後から外壁を修理したり、雪でも落ちない樋をつけたりと、大変なカネがかかる。
設計士たるもの、そんなことは事前にわかっていそうなものだが、施主が希望したとおりにただ図面を書くだけで、「やめた方がいい」などとはアドバイスしない人が多い。どうしてかねぇ?? 私には理解不能。施主も素人とは言え、自分の財産であるからして、設計時によぉ~く考えよう。
こちらは隣接のアルピコ・グループの別荘地で四季の森こけもも平。
信州のアルプスに沈む夕日を眺める山荘暮らしの魅力!!・・・それがどうした? 確かに。しょっちゅう眺めていると、それはただの退屈な絵ですね。
我が山荘前の道路も夕暮れ。
サントリーのシングル・モルト、爽やかな白州を飲んで。
八ヶ岳西麓原村の今回の滞在はこれで終了。ではまた次回。
マイスキーのチェロ。
バッハの独奏曲をYoutubeでどうぞ♪
「三井幹」 原村の三井の森の幹線道路沿いの電柱という意味か。
「1994」と書いてある(↓)。
今から20年前。この別荘地が開発され、この電柱が設置されたのは1994年。
その後土地が分譲され、私がここに1区画を買ったのは1998年。
山荘が建ったのが1999年。
それからもう15年も経った。いろんなことがあったねぇ。
敷地のナラの葉はすっかり枯れた。
ウチの敷地の北東角はクルッと弧を描く。
カラマツの葉がふかふか。
夕方になる。そろそろ散歩に行きましょうかねえ。
この日の夕方はセーターの上に分厚いカーデガンを着込めば十分な気温で、6~7度くらい。毛糸+毛糸。
原村のてっぺんから下へ降りて、また上がって戻る予定。
最近の暴風で、根っこから倒れたシラカバ。シラカバは弱い。虫にやられても弱いし、柔らかいのですぐ曲がるし。
落葉したカラマツと空のアート。
夕日が当たってきれい。
原村の真東にあるシンボル的存在、阿弥陀岳。
真北には蓼科山。
こんな別荘地にあなたもまずは土地を買ってみませんか?
実は、私の物件を建物ごと買うことも出来るんですよ。
本来なら5億円のところ、ここだけの話、あなただけにこっそり50%ディスカウントで2億5000万円。
交渉次第では60%ディスカウントも可能かもしれないかもかも。
・・・買いませんよねぇ。
でも我が山荘から東は阿弥陀岳の頂上まで共有林の財産区。将来も何も建ちませんよ。
なかなかの立地だと思いますがねぇ。
この温暖化でも、正真正銘の避暑地と言える標高1600m。夏だって寒いし、冬はめっちゃ寒い。寒さに価値を求めるあなたにお売りしたい!
この土地を買った16年前、誰もが「避暑地だとしても寒すぎる」と言い、標高1000m前後の土地を買うことを勧めた。誰もが過去の記憶をもとに判断をする。1998年当時なら当時の30~40代の人が、1970年代~80年代までの記憶をもとに、私にアドバイスをしたはずだ。
しかし、1970~80年代ならそれも避暑地として普通だったかもしれないが、1998年の段階ではすでに温暖化はかなりの状態で、どんなデータを見てもその後さらに平均気温が上昇することは、私には明らかに思えた。当時箱根や那須だって、夏の昼間はもはやたいして涼しくなかった。
今ではこの1600mの土地でさえ、1年のうち最高気温は28度くらいになる。皆さん、長期的視野で避暑地を入手しましょう。永住となればまたちょっと別の要素を考慮しないといけないが。
では、散歩に参りましょう。
夕日が赤く、夕闇が迫る。
ご近所さんも薪ストーブを炊き、晩御飯の準備。
山荘のオーナーそれぞれの楽しみ方がある。原村のてっぺんでの山荘暮らしのパターンは様々。
多くの山荘が建って15年ほど、あるいはそれ以上経過し、建物のトラブルが散見される時期に入った。
上下の画像に出て来る山荘は、妻壁側にウッドデッキを設置なさっている。このパターンは正解。
そうでない場合、屋根からウッドデッキへ落ちた雨の跳ね返りに外壁が常に打たれることとなり、そこにカビが生え、やがて腐って来るケースが見られる。特に軒が短く設計された、ログハウスや板壁の建物の場合はかなり大変なことになる。山荘は樋はつけないので、雨は全部そのまま屋根から落ちる。それがその後どこへ落ちてどう跳ね返るかは設計時から考えておかないと、後から外壁を修理したり、雪でも落ちない樋をつけたりと、大変なカネがかかる。
設計士たるもの、そんなことは事前にわかっていそうなものだが、施主が希望したとおりにただ図面を書くだけで、「やめた方がいい」などとはアドバイスしない人が多い。どうしてかねぇ?? 私には理解不能。施主も素人とは言え、自分の財産であるからして、設計時によぉ~く考えよう。
こちらは隣接のアルピコ・グループの別荘地で四季の森こけもも平。
信州のアルプスに沈む夕日を眺める山荘暮らしの魅力!!・・・それがどうした? 確かに。しょっちゅう眺めていると、それはただの退屈な絵ですね。
我が山荘前の道路も夕暮れ。
サントリーのシングル・モルト、爽やかな白州を飲んで。
八ヶ岳西麓原村の今回の滞在はこれで終了。ではまた次回。