Reflections

時のかけらたち

春風を感じながら ・・・ feeling the spring wind on my cheek

2019-04-25 23:11:01 | thoughts


今週の月曜日に友人から山梨の家で掘ってきた筍を分けてくれるとの電話があり、ちょうど
銀座まで行く用事があったので、帰りにオフィスによっていただいてきました。
会計事務所をやっている彼女は忙しい日の方が多くて、今までもなかなかランチにもご一緒
できなかったけれど、暇になる6月頃ゆっくり会うことを約束して用件だけすませました。
いつも最近亡くなった友人と3人で会って、ゆっくりとおいしいものをいただいて話をしたりして
過ごしていました。それでも多くて年に2回くらい。次回彼女を偲んで会うことを約束して別れました。





事務所で先生と呼ばれて忙しく指示する彼女。私も務めている時代を思い出しましたが、もう無理だし
今はやっとシフトできてきました。やっぱりあの緊張感の中でいろいろな人たちと出会って仕事する
ことは魅力です。





娘が見ていた女性が働くことのTVドラマを横から聞いていたけど、子育てしながら働くことの
大変さを思い出します。働かないと生きて行けないので、家族が犠牲となってしまいます。
やっぱり仕事第一でした。仕事のプレッシャーはあっても言いたいことが言える進んだ職場でした。
途中他の団体に出向したところは体質が古くて、男社会でした。





仕事しながら、家事・育児をすることを何十年もしてくると、合理的にすることしか考えなかった
そんなでしたが、全く仕事をやめた今も家事って時間が足りなくなる。そして仕事をしていた時よりも
生きることに近いと思います。ものごとの深さを楽しんでいます。
やっと今自分の中で切り替わったと思います。

エミリ・ディキンソンの 水という詩を思い出します。

WATER is taught by thirst;
Land, by the oceans passed;
Transport, by throe;
Peace, by its battles told;
Love, by memorial mould;
Birds, by the snow.

相対する両方を知らないと物事はわからない。






まだブログはそこまで来ていないけれど、最終日に駆け込んだ樹木希林さんの展覧会も
とてもよかったです。そこには自然体に生きる彼女の姿がありました。死とか病気に対する考え方が
すっと入ってきました。


昨日はいただいた筍でやっと季節のたけのこご飯と木の芽和えを作りました。その前日には
お店で買った筍で土佐煮を作っていました。







(ほうれん草入れすぎでした。)







(今年初めてのたけのこは土佐煮でした。)


材料の期限が近かったので、お菓子も二つ続けて作りました。本当はマカロンとケーク・オ・シトロン
です。ちょうどイタリア語があったし、たけのこをもらいに行くとき失敗作を少しだけ持って行きました。



(材料があったのでマカロンにしようと思って、白身も固く電動ので泡立てたのに、生地を絞ったら流れて
チュイールのようになってしまいました。)




(その翌日焼いたレモン・ケーキはいくら焼いても固まらずスフレのようで参りました。)



(やっと焼けたらバリバリ。でも中はまだしっとり。お菓子作りは室温とか、分量とか、オーブンの
火のまわり方とか、本当に難しい。)


人生って豊かだと感じる日々です。普通の暮らしを大切にしていきたいと思いました。





昨日は家にほとんどいて、日用品と食料を買いに行っただけで、気が付いたら誰とも話して
いなかったことに夕方気が付きました。スーパーのレジの若い女の子と言葉を交わしただけ。
そういえばこの生き生きして人が多いスーパーはいいものが安いのですが、老人のお客さんと
よく店員さんが話していますね。家に帰ればいないネコと話して、外では咲いている花と
会話しています。娘は疲れ切って帰ってきて、今少し体調が悪く早く寝ています。





アンデルシェフスキのシューマンのアルバムを聴きながら、洗濯物を畳んでいると、その曲は
心に共鳴して静かな感動の中にいる自分に気が付きます。タイトルを見たらピアノペダルのための練習曲第2曲で
「心からの表現で」と書いてありました。このアルバムの中には「心から」と書いてあるのが数曲ありました。
印象派の絵のようだと思う彼の曲ですが、この朝の歌については「夜が明けていくときの感情、それは絵画的
ではなく感覚的な描写である」とシューマンは手紙の中で書いていると解説にはありました。
なぜか目のまわりに涙がたまってしまうアルバムです。





花の写真は近くに買い物に出かけたときに、撮ったものです。ハナミズキってこんな風に花びらが
開いて咲いて行くんだと思ったり、アカメモチの花に突然気が付きました。小さな花が咲き始めて
いました。


今日は娘は風邪で珍しく食欲もなく、とうとうおなかに来てしまって先週も病院に寄ってから
職場に行っていましたが、今日は他の病院に行って家に戻ってきて仕事を休みました。
何も食べれないので、ずっと前に母からもらった婦人の友社の「お母さんが選んだ軽食とおやつ」
と「ちょっと具合の悪い時の食事」という本をぱらぱらと見ていたら、母からのカードが挟んであり、
モネの絵かと思ったら夏梅陸夫という写真家のサクラソウの写真でした。
そこには昔私が出張だからとたくさんの食料品を送ったとのリストが書かれていました。
子育てしながら仕事をすることはどれだけまわりの人から支えてもらっていたのかと今さら
親の思いに涙がでました。私はずっとお父さん子だったけど、大人になって家を離れて
暮らすようになった時、初めて母との心の距離が縮まりました。



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北斎展へ (更新バージョン)・・・ Hokusai Updated (blog updated)

2019-04-25 08:24:50 | art
古いところからブログにアップしていますが、整理中に、感想をメモしていたので
下記に追記しました。4月6日にアップしたものですが、更新版です。
やっぱり見てすぐ書かないと感動が記録されないですね。しばらくたって
落ち着いて書くのもまたいいですけれど・・

初期のころの北斎の動きのある躍動的な風景画には驚きました。
去年小布施の北斎館で北斎の人生の全容と肉筆画の素晴らしさに
それこそ北斎再発見をしたのですが、今回はさらに規模の大きな展覧会でした。
あるばとろすさんからとても良かったとのお話を伺って、ぜひ期間中に
行かなくてはと思っていました。

入るのに少し待たされましたが、充分ゆっくりと見ることができて良かったです。
終わりに近づくとまた混みそうなのでできるだけ早くと思って出かけました。

まぁ彼は天才ですね。その時代時代で夢中になったものが違って、単なる浮世絵で
終わらなかったところがすごいです。
私の持っている博多帯が北斎漫画から取ったと説明がありましたが、着物の柄の
ノートがあったので、このシリーズに入っているのかしらと思いました。

風景画ではブリューゲルの絵みたいと話している人がいました。

最後の2枚も心に残る絵でした。

とにかく動きがある彼の絵はすごい。若いころの歌舞伎役者の絵の時からもう仕上がって
いたようですが、70を過ぎてからのがまたすごくてここから本番かみたいな・・
人間ってすごい人はすごいと本当にそう思います。凡人も少しは希望が持てます。



3月15日



桜はまだの頃、六本木ヒルズの中の森ミュージアムまで北斎の全容を追った新北斎展 HOKUSAI UPDATED があり、
そろそろ終わりに近づき、込み合う前に行こうと金曜の午前中に行ってきました。
タイトルはなんとなくサントリーでやっていた広重VIVIDを連想しますね。

北斎については漠然としか知らなかったのですが、昨年信州に旅行した時に小布施の北斎館で
その生涯と変遷に触れて驚きました。今まで北斎の一部しか知らなかったのだと思いました。
そこでしばらく英国で展示され戻ったばかりの上町祭屋台や多くの肉筆画を見て素晴らしいと
思いました。今回は永田コレクションが島根県に寄贈されて他の場所では見れなくなるとのこと
もあり、見ておかないとと思いました。

それぞれの期に完成に近いものができ、次々興味が移っていった北斎でしたが特に晩年のものが好きです。



●春朗(しゅんろう)期

役者絵の名手の弟子として、江戸画壇に登場

 葛飾北斎は1760(宝暦10)年9月、江戸本所割下水(ほんじょわりげすい)に生を受けています。
その後、4歳で幕府御用鏡師、中島伊勢(なかじまいせ)の養子となり、好んで写生をして過ごし、手先が
器用だったことから14歳で木彫り職人に弟子入り。19歳のときには、当時名うての役者絵師、勝川春章
(かつかわしゅんしょう)のもとに入門。間もなく彼は勝川春朗(しゅんろう)の名を得て、20歳のころ、
細判役者絵によって浮世絵の世界に登場します。しかし、その好奇心に富む性格から、師の模倣に飽き足らず、
内緒で狩野派や洋画を学び、ついに破門。それがひいては、波乱に富んだ絵師人生へとつながっていくのです。

●宗理(そうり)期

浮世絵画派とは一線を画した、独自様式で評判となる
勝川派から追われた葛飾北斎は、36歳ごろから宗理(そうり)の落款(らっかん)を使用するようになりました。
前年に琳派の町絵師、俵屋(たわらや)宗理を襲名したものと考えられています。当時、仕事場を失った彼は生活に
窮するようになってしまいます。しかし、絵に対する情熱はかえって高まっていく一方。オランダの風景版画などに
影響を受けたのもこのころです。春朗時代に手がけていた、浮世絵版画や黄表紙などからは当然疎遠に。そこで
出合ったのが、当時全国的な流行となりつつあった狂歌の世界でした。結果、宗理の名で、豪華な狂歌絵本や
優れた摺物(すりもの)を多数発表しています。さらに、たくさんの肉筆作品を描き、自らの個性を前面に出す
ようになっていくのです。

●葛飾北斎(かつしかほくさい)期

読本挿絵の第一人者となり、肉筆画にも異才を発揮

葛飾北斎にとって大きな転機は、宗理の名を門人に譲り、1805(文化2)年に葛飾北斎と号するようになったとき。
以後、彼はどの画派に属することもなく、独立した絵師としての道を拓いていったのです。宗理期の享和年間に洋画に
触れてきた北斎は、文化年間になって新たに脚光を浴び始めていた長編小説、読本の挿絵へと仕事の中心軸を移して
いきます。これは読本の隆盛へとつながり、北斎が挿絵を手がけたからこそ読本は大流行したといわれるほど。
北斎は、浮世絵版画においても多彩な表現を用いるようになり、名所絵や戯画などを発表。また、肉筆画の作品も
最晩年と並んで多く手がけており、美人画など幾多の名作を残しています。

●戴斗(たいと)期

絵手本へと興味が移り、その最高峰『北斎漫画』を刊行

50歳を過ぎてから、葛飾北斎はまた新たな雅号である、戴斗(たいと)を得ます。さらに、読本挿絵から絵手本へと、
興味と制作の対象を移しています。絵手本とは、門人や私淑する人たちが絵を学ぶ際の手本となるよう、版画を本に
したものです。葛飾北斎の絵手本は徐々に対象が広がっていき、工芸職人向けのデザイン集、図案集という存在に
なります。これは、いかに多くの門人、私淑者が北斎のもとにいたかを証明するものでもあります。葛飾北斎は
関西旅行の途中、300あまりの絵手本を描いています。それをまとめたものが、後世に名を残す『北斎漫画』
初編でした。そのデッサン力は評判となり、以後、15編も刊行されるにいたっています。

●為一(いいつ)期

『富嶽三十六景』をはじめ、錦絵版画の名作を連発

現代では定年を迎える60歳を過ぎて、葛飾北斎はまたしても新たな雅号を使い始めます。1820(文政3)年正月の
摺物に署名した為一(いいつ)がそれです。この期の前半は戴斗期に引き続いて絵手本制作に熱中していましたが、
次第に色紙判の摺物に秀作を数多く残すようになっていきます。そして、錦絵に傾注するようになり、不朽の名作を
世に送り出すことになります。その作品こそ、今日、北斎と聞いて多くの人がすぐに思い浮かべる、『富嶽三十六景』です。
また、『諸国瀧廻り』、『諸国名橋奇覧』などの風景版画や花鳥版画、さらには古典や怪談をモチーフにした色鮮やかな錦絵
版画など、このころの秀作は枚挙にいとまがありません。


●画狂老人卍期
(がきょうろうじん まんじ)

老いてなお、意欲は旺盛、最晩年まで肉筆画に没頭

浮世絵版画で名声を得たにもかかわらず、葛飾北斎は次第に版画への熱意を失っていきます。しかし、75歳にして上梓
(じょうし)した風景絵本『富嶽百景』に、葛飾北斎は作画へのあふれる情熱を記し、画狂老人卍へと号を変更。老いて
なお意欲は衰えず、晩年を迎えてさらに新たな世界に挑む姿は感嘆に値します。北斎が最後に手がけたのは、肉筆画。
それも、当時の風俗ではなく、和漢の故事や宗教に基づく歴史画や物語画、あるいは動植物にモチーフを求めていました。
また、独自の洋画風表現方法にチャレンジするなど、その旺盛な制作意欲は常人を超えたものといっても過言ではないでしょう。

70年にわたって、貪欲に独自の画風を追求し、今際(いまわ)のきわまで絵筆を握り続けた葛飾北斎。その驚異的な絵師
人生は、新時代の足音が大きくなった1849(嘉永2)年、ひっそりと幕を下ろしました。

北斎の衝撃 和楽ムックより

今回の展覧会ではその気ごとの絵が展示され、どれだけ絵が好きだったのかと思いました。特に年齢が上がっていくほど
素晴らしくなっていくことが何か凡人にも勇気を与えるようなものでした。
私の持っている博多織の帯も北斎漫画から取ったと説明がありました。今回の展覧会でも和装の図案帳もありました。
その構図の斬新さから、素描の生き生きとした表現、晩年のやさしい植物の肉筆画。これだけの作品を見るだけでも
受け取るものが大きくて衝撃的です。描かずにはいられない、描くことが大好きな人というイメージです。

また小布施に行ってみたくなりましたが、次回は岩松院の天井画の大作「大鳳凰図」を見てみたいです。私も好きな街です。



最晩年に近い作品 向日葵 はシンシナティからの里帰りでした。
晩年の北斎を表したものとの説もあります。遺作は富士山の絵とか。
最後まで情熱を持ち続けた画家です。


六本木ヒルズの一日            



何回来ても同じ写真を撮っています。変わりゆく東京。新宿御苑の手前に建設が進んでいる国立競技場が見えます。
新宿御苑や明治時宮の森が見えます。




真ん中近くに迎賓館と東宮御所でしょうか・・ 




スカイツリー方向に見えるのは皇居。東京の緑はほとんど皇室関係か江戸時代の大名屋敷の名残とかですね。

六本木についたら、キューピーさんにつかまってしまいました。何かキャンペーンをやっていて
無理やりでもないけど、写真を撮ってくれました。


















毛利庭園の桜はまだでした。










ヒュウガミズキとアシビくらいしか咲いていなかったけど、池のほとりでお弁当を食べました。
自分で作ったお弁当はおいしいです。




まだ少し肌寒かったので、この水のオブジェ?は寒すぎる。








March 15  2019  Roppongi

コメント (4)
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