正面から問い直す
司馬作品の大衆性
福間良明
『司馬遼太郎の時代~歴史と大衆教養主義』
中公新書 990円
司馬遼太郎が亡くなって26年になるが、今も書店の文庫コーナーには多くの作品が並んでいる。最近は定年後に再読する人も多く、根強い人気は変わらない。
福間良明『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』は、そんな国民的作家の本質を探る野心作だ。
歴史社会学者の著者が重視するポイントの一つに、司馬自身の〈戦争体験〉がある。陸軍の戦車隊に配属された青年は、技術軽視の姿勢に驚き、部隊を率いる者たちの人間性と能力に落胆する。
「勝つという目的」とは無縁の形式主義と、それを支える人事システムの機能不全。後に書く幕末物や戦国期をテーマにした作品などには、いずれも昭和陸軍への憤りが投影されていったのだ。
次が〈二流の視点〉である。著者は司馬の学歴や職歴が一流でも三流でもない二流だったことを指摘する。また司馬作品が正統的な文学とは異質であることや、アカデミックな歴史学と距離があったことも大きい。
傍流だからこそ見える真実があり、社会的な「エリート」への不信感や、主流派が示す「正しさ」への疑念を作品に反映させていく。
さらに本書で注目したいのは、司馬作品が書かれ、読まれた「時代」を掘り下げていることだ。
特に司馬作品が広がりを見せた1960~70年代の分析が興味を引く。経済成長と明治百年。企業社会との親和性。作品の文庫化と大河ドラマ。
司馬ワールドは大衆教養主義が咲かせた、最後の大輪だったのかもしれない。
(週刊新潮 2022.11.10号)